動物写真家・岩合玉三郎(下)

 王都の漁港は、たくさんの漁師や魚の商人が行き交っていた。忙しそうなところだ。

 揚げられている魚は色とりどりだ。わりと大きな魚が多い。小さな魚は狙わないらしい。

 漁師の一人が、雑魚をほいと放り投げた。物陰からハチワレの猫が飛び出してきて、雑魚にかぶりついた。

 ハチワレ猫はお腹に擦れた跡があった。きっと母猫なのだ。ついて行くと漁具をしまう倉庫に着いた。中から母猫の気配を察知した子猫のぴいぴい鳴く声がする。


「ハチワレさん、子猫の写真を撮っていいですか?」


「ニャー」

 OKが出た。


 そっと漁具倉庫の戸を開ける。子猫が三匹、お腹の空いた顔をして待っていた。母猫はぺい、と雑魚を子猫たちに差し出す。子猫たちはわっと群がって雑魚をムシャムシャ食べた。離乳食の時期らしい。

 子猫の写真をカシャカシャ撮る。子猫たちは雑魚でお腹いっぱいになったとみえ、無防備な体勢でぐうぐう寝始めた。かわいい。


「いい子だね」


 母猫は疲れた顔ででんと横になった。


「こっちに目線もらえる?」

 じろり、と睨まれた。


 母猫をカシャカシャ撮る。

 漁具倉庫は異世界の漁具倉庫なので、合成繊維の漁網ではなくなにやら植物質の漁網が置かれ、猫一家はその上でくつろいでいた。

 カシャカシャやっていると漁師さんがやってきて、「なにをしてるんだ?」と訊ねてきた。

 かくかくしかじかでして、と説明すると、猫の写真ならいくらでも撮っていいぞ、と言われた。


「この近くに猫がいっぱいいるところはありませんか?」


「うーん。あ、ネラ婆さんの宿屋なら、ひっきりなしに猫が出入りしてるな」


 宿屋の場所を教えてもらいそちらに向かう。もう夕方だ。泊まるところを確保しなくては。


 ◇◇◇◇


 ネラ婆さんの宿屋に着いた。確かに猫がたくさんうろついている。地図が不正確だった(断じて僕が方向音痴なわけではない)ので道中何人かに場所を聞いたら、「あそこは布団に猫が入ってくるからオススメしないよ」と言われた。


 我々の業界ではご褒美です!!!!


 ネラ婆さんとやらは元気そうなおばあさんだった。御年85歳。このナーロッパではかなりの長寿と言えるのではないか。

 お腹が空いていたので夕飯をお願いすると、ネラ婆さんの孫で料理人のレノという若者が、手早くスープとパンを用意してくれた。スープは豆を煮たもので、パンは黒パンというやつだ。

 食べる。うむ、うまい。食べた後客室に通してもらった。

 ……うむ。

 想像はしていたが、未去勢の猫が出入りしているので、寝具からそこはかとなく猫の小便の匂いがする。とりあえず疲れたから風呂に入ろう。バスタブにお湯を張る。

 ネラ婆さんが可愛がっているミケトラのかわいい子が、「にんげん……おゆにつかるのか……? なんで……?」という顔でこちらを見ている。このミケトラも子猫に乳をやっているらしくお腹がすれていた。


 風呂に入ってさっぱりしたので、布団に潜り込む。どうやらこの世界は夏に相当する季節なようなのだが、からっと乾いているので夜は涼しい。薄い布団一枚でちょうどいい感じだ。

 布団に入ったらなにやら柔らかいものが足にぶつかった。布団をめくって、小さなオイルランプの灯りに目をこらすと、そこにいたのはさっきのミケトラのかわいい子であった。

 人間より先に布団に入るとは、お主やるではないか。

 寝ようとしたらミケトラは布団から出ていった。

 さみしいなあ、と思っていたら、ミケトラはせっせと子猫を運んできて、僕の寝ている布団に入れ始めた。おいおいやめなさいよ。ひよひよの子猫が布団にいるんじゃ寝られないじゃないの!!!!

 しょうがないので部屋のソファに寝転がった。古いらしくギシギシするし猫のひっかき傷だらけだ。それでもどうにか寝た。翌朝ミケトラは不満な顔をしていた。不満なのはこっちだよと言ってやりたくなった。


 翌朝わりと早い時間に太陽が登ったので、ミケトラに承諾を得て親子の写真を撮る。子猫はミケトラが2匹と茶トラが3匹で、どうやら父親は茶トラらしい。部屋を出て食堂に向かうと、ネラ婆さんが心配そうな顔をしていた。


「ミケトラが子猫をつれて行かなかったかね」


「来ましたよ。子猫まで布団に入れるもんだからソファで寝ました」


「あははは。あんた、よほどの猫好きだねえ!」


 ネラ婆さんは笑った。朝ごはんが出てくる。きのうの夜とほぼ同じメニューだが、苦そうなお茶がついている。コーヒーみたいなものらしい。

 料理人のレノは猫の朝ごはんも用意していた。ちゃんとタンパク質中心の猫向けのものだ。この世界では肉とか魚とか、決して安くないだろうに。

 レノが手を鳴らすとわらわらと猫が群がってきた。ミケトラも来ている。うまうまうまうまと食事をする猫を見るのはハッピーなことだ。

 今晩も泊めてもらう約束をする。「彼方」から来た人間はタダで泊めねばならないのだそうだ。というか「彼方」の人間は王都のすべての商品やサービスがタダらしい。

 なにかお礼がしたい。

 なにがいいかなあ。プリンタさえあれば猫とのポートレート写真を撮って渡すことだってできるのに。


「あっ、こら!」

 ネラ婆さんが大きな声で言った。見ると顔のでっかい茶トラのオス猫が、思い切り壁にスプレーしていた。……そうだ。


「ここに重曹、ってあります?」


「あるけど……どうしたんだい?」


「重曹を水に溶いてスプレー……おしっこの跡にかけると匂いが薄れますよ」


「本当かい?」


 ネラ婆さんはよっこいしょと椅子から降りた。現実世界の最近のお年寄りと違って、思いっきり腰が曲がっていた。


「レノ、重曹と水と霧吹きを貸しておくれ」


「はあ」

 レノが山菜のあく抜きに使う重曹を取り出し、霧吹きに入れて水を入れる。よく振って、さっき茶トラがスプレーしたところに吹きかける。


「……本当だ。ずいぶんマシになった!」


「ばあちゃん、この人うちの宿屋の救世主じゃないかい!?」


 なんというか面映ゆいものだ。


「あんた、よかったらここを定宿にしなよ。こっちでは根無し草なんだろ? もちろんタダでいい。まあ猫のしょんべんの匂いはするけれど」


「ありがとうございます!」


 猫だらけの宿で暮らせるなら、それほど嬉しいことはない。

 僕はネラ婆さんに、ほかに猫がたくさんいるところはないか、と訊ねた。ネラ婆さんによると街外れの礼拝堂にたくさん猫がいるらしい。猫寺ならぬ猫礼拝堂だ。

 というわけで、僕はウキウキと礼拝堂に向かった。


 ◇◇◇◇


 そこはとても荘厳な佇まいの礼拝堂だった。王都では漁業の神や商業の神が主に拝まれているらしい。多神教の国であれば僕のようなノンポリ日本人でもなんとか生きていけるだろう。

 礼拝堂に至る石段の至るところで猫がぐうぐう日光浴をしている。

 礼拝堂に入ると木製のベンチのあちこちに猫が転がっている。

 誰も追い出そうとしないのは、数が多すぎて追い払えないのか、はたまた猫が生活の一部なのか。

 祭壇の上で、バラ窓からの色とりどりの光を浴びながら、黒猫が昼寝をしていた。

 そっと近づいてカメラを構える。


「なんじゃ。わしゃねむいんじゃが」

 シャベッタァァァ。


 いきなり猫が話しかけてきて、僕は仰天した。


「あっあっ失礼いたしましたお猫様!!!!」


「かまわん。そなた、『彼方』のにんげんじゃな?」


「あっ、はい」


「ふぅむ。わしはいっぺん、『彼方』のきゃっとふーどというものを食べてみたいんじゃが」


「餌付けはしない主義なんです」


「そうか。で、そなたはどうしたい? わしはさんじゅうねんいきておる。にんげんをいっぴき『彼方』におくりかえすくらい、おちゃのこさいさいなんじゃが」


「エッ!?」


 不意打ちすぎて変な声が出た。

 帰りたいと思ったことはなかったが、僕がいなくなったらみっちゃんとあっちゃんはどうなるのだろう、と心配はしていた。

 それに今この場にパソコンはないが、画像はぜんぶクラウドにバックアップしてある。


「……あの。とりあえず、僕をずっと預かってくれるつもりだった宿屋のみなさんに、お別れを言いたいのですが」


「よしきた。ほれ」


 黒猫はしっぽの先で輪を空中に描いた。


「な、なんだ!?」


 なにやら丸い穴が出現し、向こうからもネラ婆さんとレノが目をむいてこちらを見ている。


「あの! 僕は『彼方』に帰りますんで! ありがとうございました!」


「ええ!? なにごとだい!?」


「礼拝堂の黒猫さんが帰してくれるそうで!」


「どうぞ気をつけて!」


「きはすんだか、にんげんよ」


「ええ、まあ」


「ではかえすぞ、それ!」

 ドンっ!!!!


 ◇◇◇◇


 ふと気がついたら、車は危うく電柱にぶつかる寸前で停められていた。

 むこうに逃げていった黒猫が、恐る恐る近寄ってくるのが見える。

 僕はいいチャンスだ、とカメラを構えて、黒猫を撮影した。――あれ?

 カメラに、撮影した覚えのない猫の写真が入っている。なにやらナーロッパ世界みたいな背景の猫の写真だ。ハチワレの親子やミケトラの親子、いま目の前にいる黒猫にそっくりな黒猫が、なにやら礼拝堂みたいなところにいる写真もある。

 助手席に積んでいたパソコンがない。まあ写真を取り込んで確認するための安いノートパソコンだ、そう高いものでない。買い替えるいい機会だ。

 スマホの、パソコンと同期しているメールを確認すると、やった覚えのないやりとりが出てきた。なんだ、異世界猫写真集て。

 写真は真実を写すと書く。

 もしかしたら僕は、異世界に行っていたのかもしれない。

 それも、真実なのかもしれない。(おわり)

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異世界ネコ歩き 金澤流都 @kanezya

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