異世界ネコ歩き

金澤流都

動物写真家・岩合玉三郎(上)

 僕はとっさに、思い切りハンドルを切った。教習所では「猫ごときでブレーキを踏んだりハンドルを切ったりするな」と教わったが、いやそれは無理というものだ。

 視界の向こうに猫、黒猫が逃げていくのを見た直後、僕の乗った軽自動車は思い切り電柱に突っ込んだ。そして、再び目をあけたら、そこは見たことのない世界だった。


 ◇◇◇◇


 なんだここは、えらく活気のあるところだな。さっきまで田舎町の猫寺を撮影するべく、古くて寂れた田舎町をウロウロしていたというのに。

 気付けば車に乗っていない。足元には愛用のデジタル一眼レフと画像を取り込むためのノートパソコンがあり、ズボンのポケットにはポケットワイファイが突っ込んである。

 僕――岩合玉三郎は、どうやら異世界にやってきたらしい。ふと顔を上げると、日本語でもその他地球の言葉でもないのに「肉屋」と書いてあるのが分かる店に、顔が大きくて脚のがっしりしたキジトラのオス猫が入っていくのが見えた。

 つい動物写真家の習性としてオス猫を追いかける。店にはマンガ肉や生ハムの原木なんかが並んでおり、女将さんがキジトラのオス猫にソーセージの切れ端を食べさせていた。


「おや、見ない顔だね」


「あ、ご、ごめんなさい。猫を追いかけてしまって」


 口から出る言葉も日本語や英語ではない。いちおう世界各国走り回って猫の写真を撮ってきたのだが、こんな言葉聞いたことがない。


「こいつかい? こいつはオーロっていってね、いっつもうちでソーセージをねだるんだ」


「オーロくんかあ。いい子だねえ」


「ナオーン」


 すかさずさっとカメラを構える。オーロくんは満足げに口の周りをぺろぺろなめていた。そこを写真に収める。

 オーロくんは肉屋の女将さんによしよしされたあと、てってけてってけと店を出ていった。


「それじゃ失礼します」


 そう言ってオーロくんを追いかける。顔が大きくて脚が太いオス猫は僕の好みどストライクだ。オーロくんは魚屋に入っていった。


「おっ、ポロット! 魚食うか?」


「ナーン」


「よしよしポロット。いま出してやるからな」


 魚屋の大将はマグロの血合いのような魚の切り身を小皿に入れて、オーロくん改めポロットくんに差し出した。ポロットくんはうまいうまいと魚を食べている。


「この猫、ポロットって言うんですか」


「野良猫だから勝手にそう呼んでるだけだよ」


「近くの肉屋でオーロって呼ばれてソーセージもらってましたよ」


 魚屋の大将はハハハと笑った。


「ポロットお前、策士だなあ!」


「ナーオ」


 カメラを構えてカシャカシャと猫の写真を撮る。魚屋の大将はよく分からない顔だ。


「それなんだい?」


「カメラ……ですけど。ご存知ないですか?」


「えっ、カメラってもっとこう、四角くていかつい機械じゃないのか? かがり火みたいなの焚きながら使う……そんなすごいもので猫なんて撮ってどうするんだ?」


「動物の写真を撮るのが僕の仕事なんです」


「え? ど、動物の……写真? 写真って王族とか政治家が撮ってもらうものだろ?」


 どうやらナーロッパ的なところに飛ばされたらしい。写真がごく一部の特権階級のものであるところからすると、どうやら写真というものはあまり普及していないようだ。


「お兄さん、あんた『彼方』から来たのかい?」


「……彼方?」


「こっちの世界より文明が進んでて、みんな賢い世界だ。たまぁに、あっちからこっちに来る人がいる」


「はあ……」


 おーい、と魚屋の大将は奥に声をかけた。少年が出てきて、大将は少年に店番を言いつけ、僕をなにやら大きな建物に連れていった。


 ◇◇◇◇


 異世界の街――王都には、たくさんの猫が暮らしており、人間も猫を可愛がっていて、野良猫に名前をつけて食べ物をやり、子猫が生まれたら祝い、ということをしているらしい。

 まあナーロッパに去勢手術を求めるほうがおかしいし、獣医学が発展していないので猫の寿命も短く、子猫が生まれてすぐ死んでしまうこともままあることのようだ。それで王都の猫口(人口だとおかしいと思ったので……)は一定の線で保たれているようである。

 魚屋の大将に連れてこられた大きな建物は、どうやら役所のようなところであるようだった。

 中に入って、なにやら立派な身なりの紳士に、「こちらへどうぞ」と案内されたのは、ガチのVIPルームであった。いい匂いのするお茶と、質素なお菓子が出てくる。


「お名前を伺ってもよろしいですか」


「岩合玉三郎です」


「タマサブロー様ですね。お仕事はなにを?」


「動物写真家です」


「どうぶつ……しゃしんか?」


「はい。いまは猫が主な被写体です。昔はオランウータンとかも撮ってました」


「おらんうーたん?」


 知らないようなので説明する。ジャングルに住んでいる、森の人とも呼ばれる賢い猿で、人間の手によって滅びつつある、と。


「へえ。『彼方』にはそんなものがいるのですか」


「ええ……まあ最近は猫のひとと認知されてますけど」


 僕は現実世界において、最近はもっぱら猫の写真ばかり撮っていた。それでヒットしてしまったのだから仕方がない。

 何冊も写真集を出し、Xには冠番組「岩合玉三郎の世界ネコ歩き」の撮影状況や、家にいるなら飼い猫のみっちゃんとあっちゃんの写真をポストしていた。

 ああ、みっちゃんとあっちゃんが恋しい。吸いたい、いますぐに。


「猫の……写真を……撮る……?」


「おかしいことですか?」


「い、いえ。『彼方』の人は猫に印画紙を使う余裕があるのだなあと」


「印画紙……フィルム的なやつですか。そんなの使いませんよ、ふつうにデジカメです」


 僕は小脇に抱えていたノートパソコンをテーブルにおいて起動した。

 電源のところには無限マークが出ている。どうやら異世界でも都合よく使えるらしい。


「たとえばこんなの」

 と、写真を表示すると、紳士はビックリした顔をした。


「ね、猫のあくびなんて一瞬ですよね!? どうやって撮ったんですか!?」


「この世界のカメラは時間がかかるんですか」


「はい。子供なら退屈して泣き出すぐらい時間がかかります。それにこれは色がついている」


「色がついているのもシャッタースピードを変えられるのもふつうのことですよ?」


 紳士は目を回していた。

 そんなやりとりをしていると、パソコンの通知がなにか示した。ポケットワイファイでネットと繋がっているらしい。出版社の人からメールが来ているようだ。

 ぽちぽち操作してメールを確認すると、「いまどこにいるんですか!?」というメールだった。


「ナーロッパにいます」


「ナーロッパって、あのナーロッパですか? 岩合さんの車が電柱に衝突して、岩合さんとカメラとパソコンが消えていたので」


「どうやら異世界に転移しちゃったみたいで」


「その異世界って、猫います?」


「います。写真送ればいいですか?」


「猫寺企画は中止して、異世界の猫の写真集を出しませんか。モキュメンタリーという体裁になるとは思いますが」


 それはいいアイディアだ。オッケーです、と返信する。

 というわけで、僕は目の前の紳士に、街中で猫の写真を撮っていいか訊ねた。


「構いませんが……『彼方』では猫の写真などなんに使うのですか?」


「本にしてかわいいねーって眺めたり、展覧会に展示してかわいいねーって眺めたり」


「はあ……」


 よく分からなかったらしい。

 とにかく王都で猫を撮るお許しが出た。ようやっと放免されたので、もらってきた王都の地図を開き、猫のいそうなところに見当をつける。

 王都は好都合なことに港町で、近くに大きな漁港があるらしい。そこに行ってみよう。(つづく)

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