不幸を買う魔女

杏仁堂ふーこ

不幸を買う魔女

 グレンの住む田舎町に魔女が住んでいる。

 ある日ふらっとやってきて、そのまま居着いてしまった。最初こそ町の人間たちは魔女の存在を恐れ、遠巻きにしながらひそひそしていた。黒い髪に黒い目、黒い爪を持ち、黒いローブを羽織っている。見るからに魔女らしい風貌だったのも遠巻きにされ、警戒された一因だろう。王宮に使える魔女や街中で商売をしている魔女がいるらしいが、いかんせんグレンが済む町はとにかく田舎で、よそ者に厳しい。

 しかし、そんな風貌や町の雰囲気とは裏腹に魔女は礼儀正しく、朗らかだった。

 すれ違えば挨拶をし、行儀正しく買い物をした。

 最初こそ住人達の目は厳しいものだったが、害がないとわかると町に住むこと自体は認めたようだった。

 周囲に不幸を撒き散らすと気味悪がられている自分とは大違いだ。


 ──あら、あなたは魔女である私以上に疎まれているという噂の子ね?


 グレンが買い物を終えてとぼとぼと歩いていると魔女が不思議そうに話しかけてきた。

 話しかけられるとは思っておらず、驚きのあまり買ってきたばかりのりんごが袋から零してしまった。ころころと転がるりんごを見て、魔女が笑いながらそれを拾い上げる。


 ──驚かせてしまったようね。ごめんなさい。


 そう言って魔女は真っ赤な林檎をグレンが抱えている袋に戻してくれた。ドジな自分を情けなく思い、「あ、あり、がとう、ご、ざい、ます」とどもりながら言うと、魔女はおかしそうにころころと笑う。喋り慣れてない様子がおかしかったのだろう。笑われたことで一層情けなく思えてしまい、グレンは身を小さくした。

 魔女はじいっとグレンを見つめると、優しく微笑んだ。


 ──あなたの話が聞いてみたいわ。よかったら、お茶でもどう?


 目をまんまるに見開く。

 しっし、と追い払われることはあっても招かれることなんかなかったからだ。

 断った方が良いと思いっていたのに、気がついたら「はい」と返事をしていた。



◆ ◆ ◆



 魔女の家は町の片隅、森のすぐ傍にある。

 不思議な花々に囲まれたこじんまりとした家だった。

 彼女はグレンを警戒することなく家の中に入れて、宣言通りにお茶を出してくれた。焼き立てだと言ってスコーンも出してくれた。そのスコーンはどこからともなく現れたので目を白黒させていると、「魔法で焼いたのよ」と笑って教えてくれた。

 お茶とスコーンの香りの他に、甘い香りが漂う。


「……ふ、不思議な、香り、ですね」

「ええ、心が落ち着くお香よ。私の好きな香りなの」


 彼女の視線を追いかけると、棚には白磁の香炉があった。そこから細く白い煙がふんわりと漂っており、香りの正体はあの煙のようだ。

 瞬間、魔女が自分を食うつもりだったらどうしようと身を固くした。

 童話の中に存在する魔女のように、飲み物やお香で眠らせてそのまま──。

 などと荒唐無稽なことを考えてから、自嘲気味に笑ってしまった。ここで食われたからと言って惜しむものも、惜しんでくれる人ももういないというのに。もし、彼女が童話に出てくるような『悪い魔女』だとしても、自分にはなんら関係がない。


「あなたの話を聞かせてくれる?」

「い、いいん、です、か……? 僕なんかの──」

「ええ。聞きたくて誘ったのだもの。ああ、ゆっくりでいいのよ。そうね、まずはお茶を飲んで、スコーンも食べてちょうだい」


 彼女は魔女らしからぬ優しい微笑みを浮かべる。

 しかし、お茶を勧めるために伸ばした指先、長く黒い爪を見てこの人は魔女なんだと思い直す。いくつも身につけている指輪やブレスレットなどの装飾品は普通の人間はつけないようなものだばかりだ。少なくとも、グレンが知っている町の住人たちがこんなものをつけているところは見たことがない。

 自分自身を落ち着けるために、勧められるがままにお茶を飲み、スコーンを食べた。

 落ち着いたタイミングでゆっくりと口を開く。


「……僕が五歳の時、母親が死にました。元々体が弱い人で、僕を産むのも無理をしたと聞いています。時折熱を出しては寝込んでいましたけど、いつも気丈で……何となく、母は大丈夫だろうという変な自信がありました。

ですが、結局、風邪をこじらせて呆気なく死んでしまったんです。

多分、それがはじまりだったように思います──」


 グレンはそうやって話し始めた。

 人の顔を見ながら話すなんて久々すぎてどうやって話そうか悩んだのだけど、淀みなくすらすらと言葉が湧き出てきた。

 母親が死んだこと。

 父親が「お前を産まなければ──」とグレンを詰ったこと。

 祖母は「病気がちで役立たずだったけど男を産んだことだけは褒めてやりたい」と笑い、次の嫁候補を探してきて父親に怒鳴られていたこと。

 そんな父親や祖母に対して、祖父は無関心だったこと。

 母親の死を起点に起きたことをつらつらと話した。

 魔女は非常に満足そうに聞いていた。


「それから──、」

「あ。今日はここまでにしましょう」


 母親の死にまつわる話をし終え、次の話に移ろうとしたところで魔女に止められた。

 はっと我に返ると、日が沈みかけている。

 あまりに話しやすかったために調子に乗って話し込んでしまったことに気づき、グレンは身をぎゅっと小さくした。


「お母様が亡くなられて大変だったのね? 思い出すのも辛かったでしょう? さ、スコーンのおかわりがあるわよ。遠慮せずに食べて? 何なら持って帰ってもいいわよ」


 彼女は気を遣ってか、そう言って更にスコーンを出してくれた。スコーンはやっぱり焼き立てで、一体どうやって魔法で焼いているのかわからない。更にどこからともなくスコーンを入れる籠まで出てきた。グレンは魔法についてはさっぱりで、目を白黒させるばかりだ。

 空になったお皿にスコーンを一つ、残りを全て籠に入れてグレンに手渡す魔女。


「ねぇ、よかったらまた話に来てくれないかしら?」

「えっ」

「まだ続きがあるんでしょう? あなたさえ嫌じゃなければ聞かせて欲しいの」

「……い、いいんです、か?」

「もちろん」


 柔らかく微笑む魔女。やはり彼女が魔女だなんて信じられなかった。

 こんなに優しく微笑んでくれるのに──。

 胸が熱くなるのを感じながら、スコーンをやや無理矢理に口に詰め込んだ。

 三日後に続きを話すと約束し、魔女の家を出た。


 帰る折、魔女が家の外で見送ってくれた。

 グレンが歩き出し、少し離れたところで振り返ると──魔女は庭にある鉢植えのうちの一つを抱えている。

 それには大きな花が咲いていたが、グレンが来た時にはあんな花は咲いてなかった。午後から夕暮れ時にかけて咲く花なのだろうか? と不思議に思ってぼーっと見つめていると、グレンの存在に気付いた魔女が笑いながら手を振る。

 覗き見をしていたような気分になり、慌てて魔女の家から走り去った。


 三日後、約束通りにグレンは魔女の家へと訪れた。

 魔女は快く迎え入れてくれ、今度はケーキを出してくれた。

 こじんまりした家の中は相変わらずだったが、三日前に庭で抱えていた鉢植えが中に移動しているのに気付く。見たこともない花で、花はやけに大きく、いくつか蕾がついていた。花はグレンの瞳と同じ紫色をしていたが、ただの偶然だろうと視線を逸らしてしまう。


「この間は話を聞かせてくれてありがとう。そして今日も来てくれたこと、嬉しく思うわ。──これ、よかったら生活の足しにしてちょうだい」

「え!? こ、こんな……いただけませんよ……!」


 そう言って彼女は金貨一枚をテーブルに置いた。

 この金貨一枚で一ヶ月は生活ができる。グレンにとっては大金だった。ただグレンが自分の身の上話をしただけで、しかもお茶もスコーンも出してもらっているのに、お金までもらうわけにはいかない。

 焦って固辞しようとすると、彼女はグレンの手を取り、掌の上に優しく金貨を置いた。


「辛いことを思い出させているのだもの……これくらいさせてくれないと私の気が晴れないわ。お金を払うだなんていやらしいと思うけれど……どうか受け取ってくれないかしら?」

「……う。は、はい……」


 有無を言わさぬ声だった。グレンは頷くしか出来ない。

 悪いことをしているような気分になりながら金貨を受け取った。


 不思議なことに魔女はグレンの身の上話を聞きたがった。

 どう考えても気持ちの良い話ではないし、楽しくも面白くもない。

 なのに、魔女は話が一区切りついただろうところで「また三日後」と約束をする。グレンは約束通り、三日後にまた魔女の家を訪れてお茶とお菓子をいただきながら続きを話した。

 魔女が家の中に入れた鉢植えは常に紫色の花が咲いており、話が終わる頃には花弁を水滴が伝っていた。まるで泣いているように見えて、グレンの心が僅かながらに慰められた。この不思議な花のことを聞きたかったが、聞いたらどこかに隠してしまうような気がしたので花を視界に入れるのみで、話題には出さずにただ話をした。


 十歳の時、祖父が死に、父親と祖母の仲がどんどん悪くなっていったこと。

 十五歳の時、父親が死に、祖母がグレンのことを「疫病神」と言い始め、町の住人たちにそれが伝染していったこと。

 二十歳の時、祖母が死に、「死神め」と言い残して死んだこと。町の住人はいよいよグレンを気味悪がったこと。

 その間にも母親がいないことで同世代の人間からは虐められていたし、父親と祖母が不仲なことで双方の鬱憤がグレンに暴力という形で向かったし、祖父はグレンにはなんら関心がなく風邪を引いていても心配すらしなかった。

 たまたまだったと思いたいが、小さな子どもの落とし物を拾って届けてあげた翌日に彼が高熱を出したなんてこともあった。よくよく思い出してみると少年は前日から具合悪そうにしていたように思う。けれど、それを弁明しても町の人は全く聞いてくれなかった。

 ただただグレンの存在を気味悪がり、「不幸をまき散らす」と噂をして関わろうとすらしなかった。


 家族もおらず、友人もいない。楽しみすらない。

 何とか仕事も見つけてやっているが、生きていくのがやっとだった。最近では何のために生きているのかわからない。

 生きていてよかったのは最初に五年だけ。

 当時は父母と仲が良かったし、祖父母とも上手くやっていたので、家の中は平和だった。

 今となっては荒れた家に一人でいるだけだ。


 そんなことを話し終えた頃には、金貨は十枚になっていた。グレンが話すたびに魔女は金貨を渡しながら「話してくれてありがとう」と言うのだ。お菓子もお土産にと持たせてくれる。

 話していた気付いたのだが、魔女には少し訛りがある。それが少し可愛い、なんて口が裂けても言えなかった。

 魔女のおかげで最近楽しい。

 自分の辛い過去を話しているのに、魔女に聞いてもらえるのが嬉しかった。話すことで辛かった気持ちが少しずつ軽くなっていくようだった。

 けれど、グレンの身の上話だって無限にあるわけじゃない。

 金貨が十三枚になった時、とうとう全てをすっかり話し終えてしまった。


「全てを話してくれてありがとう。あなたの話、とても良かったわ。……辛いことを話させたのに、良かったなんて言っては駄目ね」


 そう言って魔女は困ったように笑う。

 どうしよう。と、思った。

 もう魔女の家に訪れて、二人きりで話すことはなくなってしまう。


「あ、あの──まだ続きが、あって……!」

「あら? 嘘は駄目よ」


 咄嗟に嘘を吐こうとした瞬間、魔女はくすりと笑った。

 見透かされたことに気づき、グレンの顔がかーっと赤くなる。何故、浅はかにも嘘を吐こうとしたのか。つい一瞬前の自分が信じられなかった。ぎゅっと膝の上で手を握りしめていると、魔女がグレンを見つめて目を細める。


「ありがとう、本当に感謝しているわ」


 礼を言う魔女。一体何に対しての礼だろうか。

 むしろ、礼を言うべきなのは──。


「……こ、こちらこそ、聞いてくださって、ありがとう、ございました……」


 何とかそれだけを絞り出し、頭を下げた。

 次の約束はなく、翌日には魔女は姿を消していた。

 魔女の家があった場所は更地になっていて呆然とするしかない。 

 残ったのは魔女がくれた金貨と、淡い恋心だけ。

 しかし、妙にスッキリしていた。これまで誰もグレンの心の内など聞いてくれなかったし、興味も持ってくれなかった。


「──よし!」


 引っ越しをして、新しく部屋を借りて、仕事を見つけるまでは魔女のくれた金貨で十分やっていける。

 荒れた家や、不幸を撒き散らす存在だと疎むこの田舎町に拘る理由などどこにもない。

 グレンは自由なのだ。ようやくそれに気付いた。

 顔を上げ、胸を張り、グレンは夜が明けると生まれ育った町を出ていった。



◆ ◆ ◆



「またコレクション増えたで! 五年ごとに家族が死んでいった青年の悲劇や! なかなかやろ?」

「「きっしょ」」


 グレンの不幸話を買っていた魔女、ヴィルヘルミーナは仲間の魔女と定期的に開いているお茶会の中でウキウキと声を弾ませる。

 しかし、同席している魔女二人は声を揃えて冷たい反応を返した。


「ひっどいなぁ。蜜めっちゃ溜まったんやで? ほらほら、見てみ!」


 そう言ってヴィルヘルミーナはとろみのある液体が入った小瓶が入った籠をテーブルの上に乗せた。中の液体はよく見れば紫がかっているが、ぱっと見は透明だった。

 二人の魔女はそれを見て目を丸くする。


「ぅわ、いつになく大量ですねぇ」

「すごいすごーい。一瓶いくらで売るんだっけ?」

「この小瓶一つで金貨二十枚やな。ウチの取り分を除いて二十二個作れたわ。普段は十個くらいやからな。ほんまにええ子やった……次から次へと襲う不幸のおかげでかなりの時間、不幸話を花に聞かせてやれたし……」


 ヴィルヘルミーナの目的は不幸話を自分が育ている特別な花に聞かせ、そこから採れる蜜を集めることである。

 無論、ヴィルヘルミーナが欲しくて集めているのだが、不要な分を特殊な金持ちに売ってみたら大当たりだった。口当たりや味は蜂蜜と似ているが、聞かせた不幸話の内容と時間によって味や採れる量が異なるのだ。同じ蜜は二度と採れないため、希少性を高めている。

 ヴィルヘルミーナは様々な場所を転々として、グレンにしたように不幸話を話すように誘導しては蜜を集めていた。


「てゆーか、なんでこんなことしてるんですっけ?」

「え、趣味?」


 ケロッと答えると、二人共嫌そうな顔をした。


「……悪趣味ぃ」

「毒薬マニアと拷問マニアに言われたくないで。まぁ、それはそれとして──他人の不幸は蜜の味、っちゅう言葉があるやろ? それを再現してみたかったんがキッカケや。そしたら、その味や色味にハマってなぁ……いや、やっぱ趣味やな、これ」


 二人揃って「理解できない」と言わんばかりの表情を見せる。とは言え、ヴィルヘルミーナだった二人の趣味を理解できないのでどっちもどっちだ。


「金貨十枚ちょっとが四十倍に化けるんですからボロい商売ですねぇ」

「でもでもぉ、他人の辛気臭い話聞いてるんでしょー? 私だったらぜぇったい無理ぃ。途中でキレちゃう」

「話聞くこと含めて趣味やなぁ……」


 思い返してみてもやはり趣味だった。というか、魔女全般が大体趣味で独自の研究を進めている者が多い。ヴィルヘルミーナもその一人に過ぎなかった。

 不幸話のみならず、幸せな話からも蜜が採れるだろうが──今のところは興味がない。採ったこともあるが、不幸の味が一番だったのだ。


「これは情報提供のお礼な」

「あ、要らないです。なんか気持ち悪いんで」


 小さなリボンを掛けた小瓶を手渡そうとするが、素気すげなく拒絶されてしまった。


「えー? 折角かわいくラッピングしたのになぁ……」

「ねーねー。ミーナ、次はどこに行くのー?」

「んー? 次はなぁ、北の方の修道院に婚約者に裏切られた女の子がおるらしいから、そこかな?」


 ヴィルヘルミーナは『不幸話をしてくれたグレン』に感謝をしている。グレンの話も覚えているし、蜜の味や色も忘れない。超長期保管ができるようにしているからだ。

 しかし、グレンの顔は既におぼろげだった。

 ただ私利私欲のために不幸な人間を探し、その不幸話を買って花に聞かせ、蜜を集めるだけなのだ。

 彼がそれをどう思ったのかなんて興味もなかった。


(終わり)

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