それからの話と、RPGシナリオ論
『ポケモン』シリーズとは長い付き合いになった。『金銀』はもちろん、その後もDS版あたりまではついて行った。だが、一番ゲームを楽しんでいたというか、圧倒的に楽しく感じていたのは初代の頃である。
一番はじめの何も知らなかった頃、雑誌や攻略本で情報を得た頃、インターネットに繋いでさらにディープな情報を漁るようになった頃。どれも楽しかった。むしろ段階的に明かされていったからこそ楽しみが何倍にも膨れ上がったのだと思う。バージョン違いや派生作品が出たとはいえ、一つのゲームで3年以上、たっぷり遊ばせてもらうという経験は、オンラインゲームなどを除けばこれが唯一である。
後のポケモンももちろん面白かったのだが、既に『金銀』の頃にはインターネットが当たり前になっていた。当然、ゲームのほうもそれを前提とした複雑化が進んでゆき、初代のころのように純粋な気持ちで探求していくのは難しくなっていった。これは単純に歳を重ねたということもあるのだろうが。
最近の新作には手を出していない(なにせSwitch本体すら持っていない)のだが、たまに懐かしくなって旧作をプレイする。そんなときは決まって初代である。単純に思い入れが一番強いというのもあるのだが、シナリオのシンプルさ、不快感のなさも大きな理由だと、近年になってから実感するようになった。
1990年代ごろから、RPGのシナリオはひたすら壮大になっていった。同時に、プレイヤーが操作する主人公は、その大きな流れに振り回される存在になっていった。もちろん最後のボスにとどめを刺して大団円に至らせるのは主人公の役割なのだが、その道中においてはひたすら悪役の手のひらの上で転がされる。プレイヤーとして頑張ってダンジョンを攻略したり中ボスを倒したりしても、破局の流れは変わらない。
いつの頃からか、その手のシナリオがRPGのスタンダードになっていった。『DQ』シリーズは4あたりから、『FF』シリーズは2から傾向が見られる。そして『ポケモン』シリーズも、伝説のポケモンやら悪の組織を巡ってそのような流れのシナリオが当たり前になっていく(さすがに大規模なカタストロフや人死には無いにしても)。
当初、初代『ポケモン』のシナリオは単純で子供っぽいと思っていた。『FF』シリーズが定着させたような展開こそが王道だと思った。しかし大人になってから昔遊んだRPGをやり直してみると、とにかく主人公の活躍でひたすら事態が前に進むという、素直でポジティブなストーリーこそが至高だと思うようになっていった。それがプレイヤー=主人公であるゲームの正しい姿である。
初代『ポケモン』は、シナリオの方向性とボリューム、ゲームバランスが絶妙な加減で成り立っている。昔はこのゲームについて、純粋にポケモンの捕獲や育成のシステムが面白いからハマっていたのだとばかり思っていたのだが、本当に面白かったのはそのようなプレイを気持ちよく成立させてくれるシナリオだったのではないか。例えば全く同じシステムを陰惨なストーリーの上に乗せたら、きっと楽しめなかったのではないか。
このことに気づくまで20年以上かかったかも知れないが、今ならはっきり言える。初代『ポケモン』は私がプレイした歴代のRPGの中で、文句なしの最高傑作である。
初代ポケモンはなぜ面白かったのか? 矢木羽研(やきうけん) @yakiuken
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