序章-2 崩壊する監獄、天翔ける星

 下頼殿からいでんを後にし、仙界の最南端を目指して歩く。

 仙界の端には人界へ降りるための場所が東西南北と四つある。その内の一つが下頼殿ここの少し先にある。しかし、久しぶりに歩くせいか少々遠く感じてしまう。

 仙人だから、体が衰えたというわけではない。感覚、心が衰えた。

 周りを見渡しながら歩く。

 仙南域 [仙界の南エリアのこと]は特に変わっていない。けれど、懐かしくも真新しく感じてしまう。千年の暗闇からの解放。色々と感覚を狂わせる。


                  ◆


 しばらくしてその場所に着いた。

 前方には雲海。そして白い外套を揺らす風。

 深呼吸をする。


「よし─────」


 一歩。

 前に出た。そしてすぐに下に引っ張られる。

 迫る雲海。体を貫かんとする風。

 千年前もこうして風を受けながら人界へ降りたっけ。

 遠い過去に浸る。

 自分と仕えていた武官三人でこの空を浴びた。その記憶が雲を通してみる地上のように薄く脳裏に蘇る。

 それも刹那の間。すぐに雲海を突き抜ける。と同時に─────────


「!─────」


 目前に黒い亀裂が現れた──────

 過去にそのまま浸っていればそれを認識することはできなかっただろう。

 このまま行けばそれとぶつかると瞬時に理解した。落ちているから止まる、だなんてことは絶対にできない。

 シャン無鏡ウージンは精一杯力を込め、何とか触れないように体を傾ける。

 寸前。

 結果的に亀裂にぶつかることなく上下にすれ違った。

 あれは一体何だ?

 仙人の術か?否。そんな術は見たことないし、仙人が仙界へ帰る際は、将軍に仕える武官の誰かが人界にいる仙人に転移陣[仙界へワープすることができる小エリア]を送ることになっている。

 さらに数秒後に、


シャン無鏡ウージン様、聞こえますか?』


 思子宗スーズーゾンから貰ったつう筆書ひつしょから本人の声が聞こえた。袖の中、さらにこの豪風の中でもしっかりと声が聞こえるとは思わなんだ。

 袖から通筆書を取り出す。書を開けば相手の顔や状況もわかるが、今はそれどころじゃないので開かずそのまま声だけの会話をする。


「どうしたの?」

『良い知らせと悪い知らせがあります。良い知らせは、貴方に協力してくれる武官が二人名乗り出てくれました』


 これで穴は埋まった。安心して人界で活動ができる。


「それで、悪い知らせは?」

『先ほどまで貴方が居た石蔵が破壊されました』


 ん?石蔵が?破壊された?

 いやいや、そんなことある訳ないだろ。あの石蔵は将軍はもちろん、幕下並みの力が無ければ破壊はできない物なんだぞ?


『自然に倒壊したとは思えない壊れ方と轟音。誰かが破壊したとしか思えません。その件があるが故に貴方の手伝いをする武官の到着がさらに遅れる可能性が高いです。もしかしたらひょうゆうこく内部での合流となるかもしれません。道中お気を付けて』


 通筆書から声が聞こえなくなる。

 何やら割ととんでもない事が仙界で起こったらしい。

 けれど、今は自分の事に集中しなければならない。仙声せんせいも底の底。他人に協力を頼まなければならない程。三人の武官が到着するまで厄介事は避けないと。

 しばらく風を受け続けていると、だんだんと地面が近づいてきた。

 だがそれは山道。少し奥に冰有国がある。そう、着地地点がズレている。考えられる原因としては、あの亀裂を避けようと体の向きを変えたからだろう。それ以外思いつかない。

 だが考えてる暇は無く、そろそろ着地する姿勢をとらないと頭から突き刺さることになる。それだけは避けたい。

 体を回して足を下に向ける。

 迫る地面に合わせて膝を曲げ、衝撃を吸収する。

 着地自体は無事にできた。が、やはり感覚だけでなく身も衰えているようだった。少し足が痺れる。歩くことはできるが、ここから冰有国まで歩くとなると少々気が遠くなる。

 歩き出そうとした瞬間、後ろから声か聞こえる。


「おーい!そこの小姑娘おじょうさん。こんな山道で何やってるの?獣に襲われても知らないよ」


 振り向くとそこには牛車に乗った黒衣の少年が居た。握る手綱を巧みに使い荷車を引く牛を止める。

 実年齢はわからないが見た目から推測するに十七、八歳ぐらいだろう。顔立ちはしっかりしているが、どこかまだ幼さが抜けていない。


「その服を見るからに、小姑娘おじょうさんは道士なのかな?」

「まぁ、そんなところだね」


 仙界の禁忌の一つ『自身が仙界の使者であると人界の民に明かしてはならない。』

 人界に降りた以上、自分の身分は隠さなくてはならない。この少年が私の姿を見て道士だというのなら、人界での身分は道士ということにしておこう。


「それで、道士様がどうしてこんな山道を?」

「えーっと、修行で山に来ていてね。あと冰有国に用事があってここを歩いていたんだ」


 必死に脳内の引き出しや棚を漁り、この状況に合う言葉を並べる。

 それを聞いた少年は微笑みながら私に話す。


「歩くのも修行の一つ?それなら邪魔はしないし、修行でないなら荷車に乗りなよ。丁度僕も冰有国に用事があるんだ」


 人界に降りて早々幸運が舞い降りた。

移動に便利な牛車。優しい少年。この仙声集めの旅の始まりは少々恵まれすぎているかもしれない。故その後が少し不穏だ。このまま何も起きないでくれ。

 シャン無鏡ウージンは小さく頭を下げ、荷車に乗り込んだ。

 乗り込んだことを確認した少年は再び手綱を巧みに使って牛を動かす。

 荷車には箱と藁が乗せてあり、私はその藁の山に寄りかかった。


                   ◆


 数分経って少年が道中の暇つぶしに何か話でもしないかと尋ねてきた。もちろん承諾した。特に何もすることなく黙っていられるわけもないので。


「道士様は何をしに冰有国に行くの?」

「妖鬼退治だよ。と言っても普通の妖鬼じゃないんだけどね」

「もしかして─────ようけつ歩団ほだん?」


 寄りかかったばかりの藁の山から飛び起き、少年の近くまで行く。


「君はその妖鬼の集団の事を知ってるの?」

 興味津々に少年に問いかける。少年は応じる。

「もちろんだよ。何でも聞いて。でも全知全能じゃないから答えられる範囲は決まっているけど」


 それでも十分だ。

聞きたいことは色々ある。だが初対面の人に図々しく質問攻めをするのは失礼極まりない。きちんと頭の中で整理して面倒くさがられないよう質問する。


「その妖血歩団には長みたいな奴は居るの?」

「いるよ。聞いた名前は確か、チウハーと言ったかな。最近はそいつの名前をよく聞く」

 チウハー。聞き馴染みのある名前だ。確かしょうこくで同名の人物がいた気がする。だが所詮は妖鬼。偽名でもなんでも使うだろう。過去に居た彼と同一人物とは限らない。


「最近?」

「ああ、最近だ。そもそも妖血歩団の存在自体が最近だ。昔から血を啜る赤い鬼の噂はあったんだけど結局は噂だった。だけど最近になってただの噂でしかなかった赤い鬼の目撃情報が多発。それでその名が付けられた。チウハーは高笑いして自分で名乗ったそうだ。人伝だから必ずそうだったとは言えないけど」


 昔からの噂。

 千年前あのとき、そんな噂を耳にしたという記憶が無い。これは間違いなく言える。彼は知っているだろうか。他の質問を退けてダメもとで聞いてみることにした。


「昔からって、いつぐらいから?」

「僕も正確にはわからない。でもかなり昔かららしい。十数年とか数十年とかじゃなく、数百年単位だそうだ」


 数百年単位と聞いてシャン無鏡ウージンは眉をひそめる。

 自意識過剰かもしれないが、それぐらい昔の話なら私が関係している可能性もあるということだ。千年前にあんなことが起こっているんだ。その怨念が募り民たちは妖鬼となって血を求め彷徨い歩いていてもおかしくはない。

 しかし世間全てを知っているわけじゃない。私が罰を受けている間に誰かが禁忌を犯して人界に影響を及ぼしている可能性だってある。その可能性達を脳の奥にしまっておく。

 シャン無鏡ウージンは質問を続ける。


「奴等の目的とかは?」

「残念ながらそれもわからない。まぁ他の妖鬼同様に腹を満たすために殺しているんだと思うけど」

「そっか…じゃあ妖血歩団の規模はわかる?」

「それならわかる。でも正確じゃない。ざっと数えて二十くらいだった」


 二十と聞いて想像していたより少なすぎると感じるが、その考えは間違いだ。

 通常の妖鬼とは異なる性質、そして集団行動。

 十分に解明されていない妖鬼が束になってかかってくるとなると全体の数が二十でも恐ろしい。対峙する際は慎重に行かなければならない。

 険しい顔をしているとふとあることが頭を過ぎる。

 こんなに話しているのにまだお互い名前を知らない。先に質問するべき内容が飛んでしまっていた。申し訳なさそうに問う。


「そういえば、君の名前を聞いてなかったね。何て言うの?」

「名前?」


 少年は少し間を置いた後、シャン無鏡ウージンの目を見て答えた。


「─────名前はバンシンだ」


 彼が言った名前を何度か口の中で転がした。変わった名前ではあるが転がしていく内にしっくり来た。


「私は性がシャン、名が無鏡ウージンの二文字」


 互いにやっとの自己紹介を済ませた。

 その後も二人の話は尽きず、西寄りに傾いていた青空の太陽は、空を橙色へと染め上げながら山の奥へ潜ろうとしていた。

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仙華頌籟 ~Vivid・Touring~ 織羽りんご @shikiha_ringo

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