第18話 ミユキ、巨悪に近づく?

ミユキ、巨悪に近づく?


エピローグ


「北の傭兵は、まるで役に立たなかったようだな……」

と、杯を口に運びながら、初老の長い顔の男が言った。

三人の男が、老舗の料亭の離れで、宴を開きながら、秘密の会話をしているのだ。

「所詮、退役した軍人だからな……」

と、一合徳利を長い顔の男の空いた杯に近づけながら、恵比寿さまに似た細い眼の男が応えた。

「いや、中には特殊部隊にいて、工作員だった男たちもいたんだよ!」

と、もうひとりの髪の毛が薄くなった太った男が杯の酒を飲みほして言った。

「なら、何故壊滅したんだ?」

と、恵比寿顔が訊く。

「敵対する一派に、妖術使いがいるようだ!」

「妖術?おいおい、漫画の世界じゃないんだよ!妖術で軍隊が全滅するか……?」

「妖術!というか、呪術師といわれる輩がいるそうだ!高野山の術師のように、幻を見せることができるんだよ!熊野古道で殺(や)られた一隊は、熊に襲れる幻を見せられたそうだ。ひとりだけ、生き残りがいてね……」

「高野山の術師?式神とかいう、幻術を使うのか……」

「とにかく、『七色の弥勒菩薩』の内、ひとつは、『真・弥勒教会』が保持していることは、間違いない!我々の野望を実現するためには、複数の宝玉を手に入れる必要があるんだ!」

「妖術を使う輩がいるなら、我々も術師を雇うしかないな……。『世界民族平和教会』の全支部を使って、呪術師を雇うんだ!金に糸目を付けずに、な……」

「それと同時に、『真・弥勒教会』の信者を買収しておこう!教会の入口さえわかれば、傭兵をまた差し向けられるから、な……」

「金で動かぬモノはない!か……」


「迷彩服の軍人の姿は見えなくなったのですけど、登山者やハイカーを装って、教会の入口を探す輩が絶えないんです……」

と、『真・弥勒教会』の教祖美麓聖子の従妹が言った。コトという若い女性は、黒いビジネススーツに銀縁の眼鏡という、目立たない格好で、熊野古道近くの施設から九度山の慈尊院に出てきたのだ。

わたしの名は、ミユキ。世間からは『霊媒師』と呼ばれる職業をしている。いずれの組織にも属さない、フリーの活動家だ。ただし、それでは収入面で不安定なので、最近は元の師匠が立ち上げた『心霊等研究所』という会社(?)の手伝いをしている。

今、わたしがいるのは、真言宗の開祖、空海が、その母親のために建立したという、慈尊院だ。目的は高野山に伝わっていたとされる『紫色の弥勒菩薩像』を探すことだ。江戸時代が始まる頃、九度山に蟄居していた真田幸村にそれが渡されたようだ。『大阪冬の陣』開戦前夜のことらしい。幸村は、弥勒菩薩像をこの地に残し、九度山を出立したようだ。だから、九度山のどこかに、弥勒菩薩像は隠されている!と考えられるのだ。

「しかし、教会の周りは、霊的バリアーで結界を張っていますから、侵入は不可能でしょう?」

と、若いイケメンの真言宗の沙門が言った。名を旋空という高野山の術師だ。今は、師匠筋の上司(?)と揉めて、破門!または、謹慎!処分を自ら受け入れ、修行と称してわたしに弟子入り志願をしている。才能あふれる若者だから、元師匠の『心霊等研究所』で働いてもらうことになった。彼が言った霊的バリアーの強化に、彼の能力が生かされている。

「結界は有効ですが、我々が外出する機会が制限されるのです!月に二度ほどの信者の息抜きのための外出はもとより、食糧の買い出しにも支障が出ているんです!わたしは、夜間に出立してきました……」

と、コトが言った。

「夜間に?よけい怪しまれるよ!」

「もちろん、わたし自身に術を施していますから、人目には、狐に見えたはずです!」

「自身を式にするの?逆転の発想ね……、今度やってみるか……」

「ミユキさん!話が脱線していますよ!コトさんのご依頼は、教会の入口を探している輩をなんとかしたい!ってことなんですから……」

「ああ、そっちね!やり方は、いくつかあるわ!まずは、殲滅すること!わたしにはできないけど……。人を殺める行為に霊能力は使っちゃいけないから……」

「それは、我々も同じです!」

と、コトが言った。

「なら、相手に諦めてもらうことね!」

「諦めてもらう?無理でしょう!」

と、旋空が言った。

「入口を探している輩は、誰かに雇われているのよ!その大元と交渉して、止めてもらう……。少々、荒っぽい手を使うか、目的を達成させてやるか……」

「目的は、教会の所有する宝玉を手に入れることですわ!そんなこと、させられません!」

「偽物を掴ます!って手はありますね!弥勒菩薩像の宝玉って、ごく限られた人間しか見たことがないから……」

「ようこそ、ジャパンへ!」

と、黒いスーツ姿の中年男性が握手をしようと右手を出しながら言った。

「君が、わたしを呼んだ雇い主なのかね?」

と、握手を無視してそう言ったのは、黒い道服を着た白髭白髪の年齢不詳の男だった。

「いや、わたしは代理人です!しかし、全権を委託されています!ですから、劉大人に仕事をお願いするのは、わたしからになります!佐藤五郎と申します!」

「まあ、いいだろう……。金さえ貰えれば……。だが、契約に嘘があったり、裏切り行為があった場合は……、わかっているだろうな?わたしの部下たちは、人の命も枯れ葉も同じようなものだと思っている輩ばかりだからな……」

劉という男は、ニヤリと笑って、用意されていた黒塗りの高級車に乗り込んだ。彼の部下らしい、黒いタートルネックのシャツに黒パンツ姿、サングラスをかけた男がその横に座る。佐藤という男が助手席に乗り込み、車は駅前を離れて行った。

「台湾の『世界民族平和教会の台北支部』から、依頼のことは、少し訊いたのだが、その『真・弥勒教会』という組織には、わたしが出向かなければならんほどの術師がいるのかね?」

と、後部座席に深く腰をおろし、桜材の杖に両手を乗せた姿勢で、劉が助手席の佐藤に尋ねた。

「はい!その『真・弥勒教会』にもですが、正体の知れない、呪術師たちが、我々に敵対しております……」

「呪術師?どんな術を遣うのかね?」

「幻術と言いますか?殺られた工作員の生き残りの話では、熊に襲われた!と……。しかし、別働隊が調べましたところ、付近に熊の出没した痕跡はなく、巨漢の山伏がいたそうです。残念ながら、山伏は逃走したそうですが、仲間がいたようで……」

「山伏?山岳修験者のことか?その山伏が熊の幻術を駆使して、工作員を全滅させた!と言うのか?」

「そうらしいのです!式、あるいは、式神という紙片を操る術だそうです!」

「フムゥ!我が道教に伝わる奥義が、日本にも伝わっているのか?陰陽師にそのような術を使う者がいたと、書物で見たが、千年も昔の人物のことだった!確か……、安倍晴明という男だったが……」

「蘆谷道満という男もおりますが、平安時代の人物ですよ!」

「佐藤さん!その者たちの末裔という人間は、おりませんか?」

と、今まで無言だったサングラスの男が尋ねた。

「末裔?さあ……、千年の時が経っていますから……、天皇家以外で末裔を探すなど、不可能でしょう……」

「他に、呪術を継承している組織はありませんか?日本には、忍者という特殊な集団がいるそうですが……」

「呪術の集団なら、高野山の僧侶の中に、妖怪退治や、悪霊を祓う祈祷師の集団がいるそうですが……」

「高野山の祈祷師?なるほど、その辺りかもしれませんね……」


「ミユキさん!聞こえますか?」

と、わたしの頭に直接男性の声が届いた。いつも身につけている『紫色の御守り袋』を経由して届けられる、相棒のクロウからのテレパシー通信だ。

「聞こえているよ!何だい?こんな朝っぱらから……」

といっても、午前九時を過ぎた頃だ。

「事務所に浄空さんが訪ねて来まして、ミユキさんに伝えたいことがあるそうです」

「浄空さんが、わざわざ?」

浄空というのは、高野山の沙門だ。『裏高野』と業界筋では呼んでいる、呪術師集団のメンバーで、かなりの腕利きだ。どちらかというと、我々をライバル視していたのだが、弟弟子の旋空がわたしに弟子入り志願してきた所為か、ここ最近、協力的に、と態度が変わった。

「では、浄空さんの言葉を伝えます!」

「はい、どうぞ!」

「例の『世界民族平和教会』の奈良支部に、台湾の術師が招かれたそうです!名は劉景。字(あざな)は白雲。通称、雲龍先生。あるいは、劉大人と呼ばれています。道教由来の術師で、弟子も多い、と訊いています……」

「何で、浄空さんが『世界民族平和教会』の、しかも、奈良支部のことを調べているの?」

と、わたしは疑問を感じて尋ねる。少し間を置いて、クロウが答えてくる。

「奈良支部だけじゃなく、京都と大阪の支部にも、高野山の沙門を派遣して、動向を監視しているそうです!旋空の父親の仁海さんが、現れる可能性があるらしいので、ということです……」

「なるほど、例の傭兵部隊と戦闘していたから、ね……。で、その劉大人っていう術師は、何のために来日したんだい?教会の信者でもないだろうに……」

「もちろん、傭兵の代わり、というか、教会の戦闘員としてですよ!弥勒菩薩像の宝玉を奪うための新戦力です!つまり、我々に敵対する可能性が高いのです!おそらく、熊野古道近くの『真・弥勒教会』を襲撃するつもりです!と浄空さんが言っています!」

「道教由来の術師って、どんな術を使うんだい?」

「我々が使う、式だったり、器物を飛ばしたり、変化させたり……。催眠術や幻術。おまけに拳法や棒術といった武術も使うそうです!」

「まるで、術師の百貨店だね?それじゃあ、無敵だよ!」

「そうです!だから、警戒するようにミユキさんに伝えたかったそうです!もし、対戦する場面に遭遇したら、一番の対策は、逃げることだそうです!相手の術を見定めるまでは……」

「遭遇しないことを祈るよ!どんな風体の男なんだい?」

「中肉中背の白髭白髪の初老の男。普段は黒い道服姿です。背中に雲龍の刺繍入りだそうです!」

「雲龍先生、か……。わかりやすいね!」

「ただ、一緒に来日した、弟子風の男は、目立たない、黒服にサングラスをしていたようです。浄空さんが陰から観察した感じでは、弟子のほうが、かなりの霊能力者だそうです!」

「つまり、劉大人より、弟子風の男が要注意人物なんだね?」

「はい!劉大人が『ロン(=龍)』と呼んでいました!」

「ロン!ね……。麻雀の『当り!』じゃないわよ、ね……」

「剛斎は、使い物にならなくなってしまったようだな……」

「はい、不思議な術にかかって、小屋の外に飛び出したところを、山伏風の大男に、金剛杖で肩口を叩かれ、気を失いました。介抱して、蘇生はしましたが……」

「憑依していた『熊の精』が消え失せた、か……」

奈良の吉野山の一角にある小屋の中で、数人の山伏装束の男たちが集まっている。一派の長らしい男が、大男を連れて、小屋に到着した仁海と会話をしているのだ。大男は剛斎だ。一派の長は、加藤幻斎と名乗る男だが、見た目の年齢が合致しない。

「不思議な術というのが『夢見の呪術』のようだったんだな?ならば、播磨のマコモが絡んでいるのか……?」

「わたしの訊き及ぶ『播磨の呪術』とは、違うような……。播磨の呪術は数日の期間が必要なはず……。一晩というか、数時間では、無理ではないか?と……」

「つまり、別の術だ!というのか?播磨以外に、人の夢の中に入り込む術があり、それを使いこなす術師がいる……?土御門の柳斎でも、高野山の翔空でも無理であろう!日の本に、奴ら以上の術師は、居らぬはず……」

「高野山といえば、剛斎から熊の精を祓った山伏の側に、浄空という高野山の術師がおりました。なかなかの腕利きですが、『夢見の術』は、高野山には伝わっておりません!せいぜい、金縛り程度です!」

「ならば、その山伏らしき男が『夢見の術』を使いこなす術師か?山岳修験者に、そのような術師は、居らぬはずじゃが……」

「わたしは、その男と顔を合わせておりませんが、異様な雰囲気を持っておりました!あるいは、大陸から来た者かもしれません!」

「まあ、我々に敵対する輩ならば、いずれ出会うこともあろう……。それより、北の傭兵どもは、どうなっているんだ?我々は、夜叉姫が失った『青い宝玉』の行方に注力していたから、美麓聖子の方は、剛斎に任せていたのだが……」

「傭兵は、ほぼ、始末しました。たいしたことない輩が、『真・弥勒教会』の入口を探していますが、進展はないようです!ただ、新手の人材を雇った様子で、一旦別の場所に移動しました!」

「うむ!おそらく、劉景という、台湾人の術師だろう……。どれほどの腕前か……、楽しみだな……」


「ミユキさん!頼んでいた物が届きましたよ!」

慈尊院の住職、導海と縁側でカビ臭い古文書というか、代々の住職が書き残した日記のような文書を開いていたわたしに、中庭から旋空が声をかけてきた。

旋空が 手にしていた小さな木製の箱の蓋を取ると、絹の織物の上に黄色に輝く弥勒菩薩像が微笑みを浮かべていた。

「ほほぅ、これは美しい像じゃな?」

と、わたしの横に座っている導海が感嘆の声をあげた。

「とても硝子でできたものとは思えないわね……」

「ええ、一流の硝子細工の職人に頼んで作ってもらいましたから……。硝子も特殊なもので、宝石のような仕上がりでしょう?」

「確かに……。この箱も年季が入っている感じね!本物と並べて比べない限り、偽物とは思えないわね……」

「これをどうするつもりじゃな?」

と、導海が尋ねた。

「欲しがっている輩に、くれてやりますよ!欲望を満たしてやるために、ね……」

「しかし、ミユキさんが自ら行くのは、危険過ぎますよ!劉景という術師の実力も不明ですし……」

と、旋空が言った。

「あまり時間がないからね……。聖子の教団の信者の中には、施設外で会いたい親族が居たりするのよ!もう、一ヶ月も外出禁止になっているから、不満が出始めているようだよ!無断で施設を出たら、傭兵たちに拉致されるだろうし、ね……」

「それでも、ミユキさんが、身代わりに拉致されるふりをするなんて……、無謀過ぎますよ!」

「大丈夫!防御力は、従妹のカナちゃんから授かっているよ!」

カナは本来は、又従姉妹なのだが、面倒臭いので、従妹ということにしている。

「しかし、ミユキさんのような美貌の女性だと、男の欲望の的になりますよ!」

「あら、旋空君も、わたしを欲望の的にしているの?夢で、わたしのセミヌードのお尻を見たそうだし……」

「いえ!そんな欲望は持っていません!夢で見たミユキさんは、金太郎の姿でしたけど、僕にはその弥勒菩薩に見えました!お尻も神々しい、オーラに包まれていました!」

(やっぱり、お尻は見たんだ……。でも、今の言葉に嘘はなさそうね……。クロウと同じように、真面目で、純真なんだ……。惚れちまうやろう!)

「ミユキ殿、その防御力というのは、どういうものかな?相当な術師に通用するものか……?」

と、導海が尋ねてきた。

「術師であるがゆえに、通用するんです!諸葛亮孔明の『空城の計』ですから……」

「何だ?こんな汚い女が、『真・弥勒教会』の信者なのか?」

と、スーツ姿の佐藤五郎が言った。

「はい、例の炭焼き小屋近くをうろついていました!この近辺は我々の仲間が見張っていますから、外から入り込むことは考えられません!」

と、ハイカー姿の部下らしい男が言った。

「しかし、髪はバサバサ!洋服は埃だらけ!しかも、今時分、見かけない、モンペだぜ!何処の田舎モンだ?側に寄るな!ションベン臭(くせ)エ!」

「何、言ってんダ?施設の風呂が壊れて、もう、ひと月、風呂に入ってねえダヨ!教祖さまが、外へ出ちゃなんねぇ!っていうから、我慢サしてたどモ、もう限界だワ!教祖さまの寝室から、金目のモンをカッパらって、逃げてきたんだバ。コン男にトッ捕まって、イヤらしいこと、されンのかと思ったらバ、目隠しサ、されて……。ここは、何処ズラ?アタイは、兄(あん)ちゃんのところへ帰(けえ)るズラよ!金目のモンを銭に代えてヨゥ……」

と、牛乳瓶の底のような、分厚いレンズの眼鏡をかけた、フケと埃だらけの年齢不詳の女が言った。

「こいつ、何処の生まれだ?訛りがひどくて、何を言っているのか……?」

と、佐藤が身を引き気味に、部下に尋ねた。

「東北か?あるいは、伊豆の山奥か……?ただ、施設から、逃げてきたのは、間違いないようです……」

と、女から『コン男』と呼ばれた部下の体格の良い男は、真面目に答えた。

「施設の中は、風呂が壊れて使えない状況のようです!」

と、別の男が付け足した。

「わかった、わかった!それ以上、近づくな!乱暴はしない!兄のところへも帰してやる!ところで、今言っていた、教祖さまの寝室にあった『金目のモン』とは、何だ?なんなら、わたしが買ってやってもいいぞ!見せてみろ!」

「ダメだぁ~!それを取り上げて、アタイにイヤらしいことをして、ソープランドに売るつもりダベ?」

「ソープランド?いやいや、お前をそんなところには……」

(売れねぇ!だろう……)

「本当ケ?なら、見せるだけズラよ?デェじなお宝だケン!教会の御神体じゃケン!目が腐るベェ……」

(御神体?目が腐る?いやいや、腐るじゃなくて、瞑れるだろう……)

「ホタラ、向こう向いてケレ!大事なところに隠してあるケン……」

と、女は言って、モンペの紐を解き、股の間に両手を入れる。

「お、お前!そんなところに……」

と、佐藤が驚く。女が背中を向けて、モンペを下げる。白いお尻が半分覗いた。股の間に木綿の、紐付きの巾着袋がぶら下がっていて、その紐を解いて、袋を股の間から引き上げたのだ。

「あっ!イヤらしい眼で、お尻を見たベ?観覧料を貰うベヤ!」

と、モンペを引き上げながら、女が言った。

「バカ!見せたのは、お前のほうだ!目が腐るところだったワ!」

「そんなことねぇダベ?兄ちゃんは、可愛いお尻だ!ゆうて、撫で撫で、してくれたズラよ……」

(お前の兄貴は、変態か?)

「ま、まあいい!その袋の中に、お宝が入っているのか?おい!お前!袋を開けてみろ!」

と、女の側に立っている部下に命じる。

イヤそうに顔と鼻をしかめて、男は女から袋を受け取る。

「エイ香りズラ?兄(にい)さん!好きそうダやなぁ!」

と、女がニヤリと笑って言った。

「バカやろう!臭くて、鼻が曲がりそうだ!」

と言いながらも、両手で巾着袋を開き、中から、木製の小箱を取り出した。

「うん?古臭い箱だな?開けてみろ!」

と、佐藤は興味を示した。

男が箱をゆっくり開ける。

「おぅ!これは……?間違いない!弥勒菩薩の宝玉だ……」

(ふふふ、まんまと罠にかかって、くれたわね……。この先の黒幕のところまで、案内して貰うよ……)


「それで、何事もなく、解放されたのですか?」

と、旋空が言った。

「そのあと、劉大人に会わされて、わたしが偽情報を流していないか、確かめられたよ!催眠術で簡単な質問をされてさ!でも、最初から疑ってないから、すんなりとパスして、また目隠しされて、奈良の駅前で解放されたんだよ!かなりの現金を渡してくれて、今日のことは、誰にも話すな!って口止めされてね……」

「劉大人の催眠術をパスした?」

「たいした術じゃないよ!その辺の手品師レベルさ!加藤幻斎の幻術のほうが凄かったね……」

「尾行は、されなんだか?」

と、導海和尚が尋ねた。

「されましたけど、駅の女性トイレに入って、中で変身を解いて出てきたら、まったく違う女に変身してしまいましたから、ね……。いつまで経っても出て来ない女に、尾行したふたりは、イライラしていたことでしょう、ね……」

「まったく別の人格に変身したのか?それは、新たな術じゃな……」

「前に、コトちゃんが自分を式にして、狐に変身したでしょう?あれをやってみたんですよ!自分を式に見立てて、少しオツムのネジが緩くて、はすっぱな、ド素人の女性に変身すれば、ある程度の術ができる人間にとって、最初は警戒されますが、お里が知れると、まったく警戒心が薄れてしまうんです!」

「それは、孔明の『空城の計』では、ないのう……。じゃが、術師の盲点をついておる!旋空!よく覚えておけ!」

「それで、偽物の弥勒菩薩像は、黒幕の元に届くのでしょうか?」

と、旋空が話題を変えた。

「多分ね……、ただ、山岳修験者の一味が、どう出るか……?傭兵たちを見張っているはずだから、その行動には、眼を光らせているはずよ!」

「その一味に、わたしの父も絡んでいるのでしょうか?」

「剛斎と幻斎が本当に兄弟ならば、確実に絡んでいるわ!でも、わたしには、違和感があるのよ!わたしの出会ったふたりが似ていないのは、まあ、あり得るとして、年齢が、ね……」

「歳の離れた兄弟もいますよ!」

「でも、年下の弟はいないでしょう?結婚による義兄弟なら、あり得るけど……。弟の剛斎がかなり年上に感じたのよ……」

「それは、幻斎の術の所為でしょう?幻斎は、僕の祖父と同じくらいの年齢だそうですから……」

「いや!わたしが会った幻斎は、若かったよ!一度目は、術で騙されていたのかと思ったけど、二度目に富士山の樹海近くで会った時は、変身してなかったよ!わたしの眼鏡の反応で、わかったんだけど、ね……」

「ならば、今の幻斎は、二代目だな!歌舞伎役者の襲名のように、な……」

「二代目?そうか!ならば、夜叉姫も、二代目なのか……」

「ところで、偽物の弥勒菩薩像の行方は、どうなっているのですか?」

「大丈夫!特殊な液が塗られているんだ!式のカラスが跡をつけているよ……」

「どうだ?その後の『真・弥勒教会』の様子は……?」

と、髪の毛の薄くなった太り気味の男が佐藤五郎に訊いた。

「はい、どうやら、御神体の弥勒菩薩が盗まれたため、施設から撤退をしたようです!小型のバスが信者を乗せて、九度山方向に走り去ったようです!」

「ほほう、撤退したか……。宝玉を手に入れるということは、邪魔な教団も解散に持っていける……。一石二鳥だったというわけか……」

「御神体の宝玉がなくなれば、美麓聖子もただの女!ということです……。それで、宝玉は、いかがなさいますか?」

「先生のところで、保管して貰おう!最近、特捜か、地検がワシを探っておるようでな……」

「例のアメリカの……?」

「ウム……、FBIが、先方の何かを掴んだらしい。いつ、家宅捜査に入られるかもしれない……。宝玉が見つかったら、別の話になってしまう……。『ピーナッツ』くらいなら、なんとか、誤魔化せるだろうが……」

「では、先生の秘書の方に、連絡をとってみましょう!先生も、お忙しい方ですから、ね……」

と、佐藤五郎は言って、紫色の風呂敷に包まれた小箱を持ち上げ、深く礼をして部屋を出て行った。

(ここが、黒幕の終点では、ないようだな……。カラスの式をもう一度、飛ばさねば、なるまい……)

佐藤五郎が大きな屋敷から出てきた背中を、雲水姿の浄空が見つめながら、心の中で呟いた。

弥勒菩薩の偽物の宝玉に塗られた秘薬を、式のカラスが追いかけたのだが、そこは、京都の伏見方面だったのだ。わたしは、クロウに連絡して、カナちゃんに、もう一度カラスの式を作ってもらった。その式を追って、浄空が佐藤五郎にたどり着いたのだが、黒幕はどうやら、ひとりではなさそうな雰囲気だ。

クロウは、『心霊等研究所』の大得意先の議員さんから、相談事がある!と急な依頼があり、金にならない、わたしのほうには、かまっていられないらしい。

屋敷を出た佐藤は、電柱の陰に待機していたガタイのよい男に視線で合図を送り、歩き出す。

(おや?佐藤五郎のあとをつけているのは、わたしだけではないようだ……。あれは、山伏の一派か……)

目立たない、作業服姿の男ふたりが、現れて、佐藤たちのあとをつけ始める。

(あっ!まずい!六人に囲まれたぜ……)

木立に囲まれた公園入口から、四人の男が現れて、佐藤たちの行く手を阻んだ。

「鞄の中身を返して貰おうか?そいつは、盗まれたもののようだから、な……」

と、行者姿の男が、金剛杖を左手に持ったまま、右手を差し出した。

「おやおや、山伏の一派は、したたか誰かに負かされて、撤退したものか?と思っていましたが……。『漁夫の利』を狙って、こう来ましたか……」

と、佐藤が余裕綽々といった態度で、それに答えた。

「素直じゃないんだな?我々を甘くみないことだ!ヤレ!」

と、行者が命じる。

佐藤の後ろにいた男が、先に動き、後方のふたりの尾行者のひとりに、蹴りを入れた。佐藤がその後を追い、もうひとりに体当たりをする。しかし、行者の部下と思われる三人が、予想以上に素早く動き、逃げ場を塞いだ。公園のフェンスを背中にする状態で、佐藤たちは周りを固められたのだ。攻撃を受けたふたりも、無傷のままだ。二対六の戦いになった。

「待ちなさい!」

と声がして、公園の垣根を飛び越えて、白髪の黒い道士服を着た初老の男が現れ、佐藤の前に立ちはだかった。

「おや?劉大人というのは、あなたのことですかな?お年寄りは、おとなしくしていたほうが、よろしいですよ……。『年寄りの冷や水』という、日本の諺(ことわざ)をご存知ない、かな……?」

「ほほう、ワシの名を知っておったか!ならば、自己紹介の名乗りも、挨拶も不要じゃな……」

と、言って黄色くなった乱喰い歯を見せて笑う。右端の男が一歩摺り足で間合いを縮めた。その男の腹に向けて、劉大人が左手を開いて、腕を伸ばす。

「うっ、グゥ……」

と、呻き声をあげて、男が前のめりに崩れ落ちた。

その様子を、雲水姿の笠を右手で持ち上げながら、浄空が見つめている。

(気功か……、なかなか、やるが、行者姿の男には、効きそうにないな……。さて、どうなるかな……?)


「それで、どうなったの?式のカラスのこの様子だと、最後の黒幕には、たどり着けなかったようだけど……」

と、わたしは浄空に尋ねた。

「ミユキ殿も、九度山のほうはどうなったのですか?あっ!カナちゃん、コーヒーをありがとう……」

と、浄空が言った。

今、我々は『心霊等研究所』の事務所にいるのだ。わたしと旋空は、九度山から帰ってきたばかり。浄空は、劉大人と幻斎一味との争いを見学して帰ってきたところだ。事務所の受付嬢のカナが三人にコーヒーを淹れてくれたのだった。

「カナちゃん?浄空さん!カナを『ちゃん』付けで呼んでいるの?わたしは『殿』なのに……?そんなに歳は、離れてないよ!見た目もだけど……」

「い、いや……。クロウ君が、ミユキ殿は、ミユキさん!と呼んで、カナさんは、カナちゃん!と呼んでいるので……、わたしも、カナちゃん!と……」

(なるほど!浄空さんが、たびたび、ここへ来るようになったのは、カナちゃんの所為か……。まあ、わたしに似て、美貌の霊媒師だもの、ね……)

「ゴホン!それで、九度山のほうは?」

と、わたしの頭の中を察したのか、空気を変えるように浄空が話を戻した。

「高野山の『紫色の弥勒菩薩像』は、見つけたよ!でも、そのままにしているの!場所は……。だから、秘密よ!それより、さっきの続きよ!劉大人は、どうなったの?」

「この、粉々の『黄色の弥勒菩薩像』を見れば、だいたいは、結論は知れていますけど、ね……」

と、コーヒーを一口飲んで、旋空が言った。

眼の前のテーブルの上には、バラバラに砕けた『黄色い弥勒菩薩像』の偽物の残骸が乗っている。式のカラスが咥えてきたものだった。

「結論は、そういうことです……。劉大人の気功で、ふたりの山伏一味が倒れましたが、まだ四人いますから……。ひとりは、佐藤についてきた傭兵の男が、立ち向かっていましたが、佐藤は、その隙に公園の中に逃げ込んだのです……」

「つまり、劉大人は、幻斎を含む、三人に対峙していた!ってこと?」

「そう!佐藤が逃げる時間稼ぎを引き受けただけでした、ね……」

「無理に戦わず、足止め役に徹したか……?で?浄空さんは……?佐藤のあとを追ったんでしょう?」

「ええ、公園の中へ……」

と、浄空は、そこでコーヒーを飲んで、間を作った。

「そこに、旋空の父親の仁海が現れたのです……」

(やっぱり!仁海は、幻斎一味と手を組んでいたのか……)

「そう簡単に、逃げられる!とは、思わぬことだな……。命が惜しければ、その鞄をおとなしく渡すことだ!命はひとつ!弥勒菩薩は、七つあるようだから、な……」

と、雲水姿の仁海が言った。

「坊主か?山伏一味に坊主もいるのか?」

と、佐藤が身構えながら、言った。

「一味ではないが、協力はしている!さあ、時間がない!力づくで、いただく!」

と、言って、仁海が懐から、紙片を取り出し、それに「フッ!」と息を吹きつけた。紙片が狐に変身して、佐藤の腕に襲いかかる。二匹目の狐が、佐藤の手から離れた鞄を咥えた。

「あっ!待て!」

と、佐藤が叫んだ。しかし、もう一匹の狐に足を噛みつかれて、尻餅をついた。

「フッ!無駄な抵抗は、しないほうがいい!次は、喉を噛みつかれるぞ!」

と、仁海は薄笑いを浮かべて、鞄を咥えた狐を呼び返した。

「ヒュッ!」

と、空気を切り裂く音がして、鞄を咥えた狐が、元の紙片に戻った。鞄が宙に舞った。西洋の猛獣使いが用いる革製の長い鞭が、鞄の持ち手に巻き付いて、大木の枝に座っている黒い影のような人間の元へと浮き上がって行った。

「クゥッ!まだ、仲間がいたか……」

仁海が、その鞭に向けて、手裏剣を放った。見事に鞭を切り裂き、鞄が宙に舞う。その時、鞄の蓋が開いて、中から紫の風呂敷がこぼれ落ちた。

「いかん!弥勒菩薩像が……」

と、仁海は呟き、佐藤に噛みついている狐の式を引き返させる。

同時に、大木の枝にいる人間が、何かの式を飛ばした。

だが、ふたつの式とも間に合わず、風呂敷は強く地面の、しかもコンクリートのベンチに叩きつけられた。

風呂敷の中から壊れた木箱が現れ、次にバラバラになった、黄色いガラスの破片がベンチから土の上にこぼれ落ちた。

大木の上からの式は、ハヤブサのような鳥の形をしていて、風呂敷を咥えて、空に舞い上がる。仁海の放った式の狐は、木箱の残骸を咥えて、仁海の元へ走る。

地面にこぼれ落ちた、ガラスの破片は、七羽のカラスが現れて、あっという間に咥えて飛び去った。

「くそ!肝心な宝玉が……」

「どうやら、痛み分けだな……」

と、大木の枝から男の声がした。

「式を遣うようだが……?劉景の弟子か?」

と、空に向かって仁海が呼びかけた。

「そちらも、式を見事に操ったところを見ると、高野山の術師だな?わたしの名は『ロン(=龍)』だ!ただし、劉景の弟子ではない!あやつのほうが、わたしの傀儡よ!名は訊かぬ!次の弥勒菩薩像をまた探すつもりなら、再び逢うこともあろうからな……」

そう言って、龍は、大木から、次の大木に身を翻して、姿を消した。佐藤も姿を消していた。

「浄空!先ほどのカラスの式は、お前のものか?」

と、陰で一部始終を見ていた浄空に、背中を向けたままで、仁海が尋ねた。

「いや!わたしの式ではありません……」

「そうだろうな!あれが、お前の式だったら、お前はわたしより、腕を上げたことになる……。何者か知らぬが、世の中は、広いものよ!浄空!父上は、達者か?先日、息子に会ったが、名を何とつけた?」

ゆっくりと、浄空のいる木陰のほうに振り向きながら、仁海が訊いた。

「はい!師匠は、ご健勝です!孫には『旋空』と名付けました……」

「旋空か!いい名だ!素質もあるようだったな……」

「兄ジャ!何故、幻斎などの下で動いているのです?」

「下ではない!まあ、都合上、共闘をしておるだけよ!そなたも、裏高野の仕事ではあるまい?」

「はあ!土御門の柳斎師からの依頼から、端を発したものですが……、いずこに向かうのか……」

「なるほど、柳斎か……。ならば、幻斎たちと敵対するのも頷ける……。『七色の弥勒菩薩の宝玉』を探しておるのだろう?わたしが最初に見たのは、『黒い弥勒菩薩像』だった……。比叡山の僧が作ったもの!と言っておったが……。持ち主の僧崩れの男が死んでしまって、行方不明よ!それで、わたしも宝玉探しの旅に出たのさ……!『青い宝玉』を夜叉姫という巫女が持っている!その兄に幻斎と剛斎という山伏がいることを知って、仲間入りしたのよ!ところが、宝玉は、夜叉姫の元には失くなっていて、他の宝玉を探す仕事を引き受けたのさ!金になるから、な……。おっと、幻斎と劉大人の戦いも痛み分けのようだ!では、また、な……。弟……」


エピローグ


「ちょっと!いくつか疑問があるわ!」

と、わたしが言った。

「まあ、そうでしょうね……」

と、浄空がコーヒーを飲み干して言った。

「浄空さんと仁海の関係よ!兄ジャ?弟?つまり、兄弟なの?なら、浄空さんは、翔空さんの息子?」

「違いますよ!兄弟と言っても、義兄弟です!仁海の歳の離れた妹と、わたしが夫婦になったんです……」

「ええっ!浄空さん、結婚しているの?奥さんがいるなんて、素振りも見せてないじゃない!しかも、カナちゃんに、色目を使っているし……」

「カナちゃんに色目なんて……。しかも、昔のことですよ!結婚して、ひと月足らずで亡くなりましたから……。白血病で、余命三ヶ月!って言われて……。師匠が不憫に思って、わたしに頭を下げて、娘に女の悦びを教えてやってくれ!と……」

「つまり、初夜の経験を?ってことなのね……?なら、一夜だけの関係で、よかったんじゃあ……?そうか、娘さんは、浄空さんが好きで、白血病のことは、知らないで……?なら、正式に結婚するしかない、か……」

「もちろん!わたしも好きだから、結婚したんですよ!カナちゃんに、似ているんです……。もちろん、ミユキさんにも……」

「わかった!わかった!カナちゃんと付き合うことを許す!もうひとつ、『黒い弥勒菩薩像』について、教えてよ!比叡山に伝わる宝玉って、黒いの……?」

「兄は、それ以上は話しませんでしたが、我が高野山に伝わる『紫色の宝玉』を知る老師の話では、比叡山の宝玉は、何故か黒にしたそうです……」

「宝玉だから、黒水晶か、黒曜石か……、黒い石があったんだろう、ね……」

「ところで、佐藤五郎が最初に偽物の宝玉を持ち込んだ、黒幕のひとりは誰だったのですか?」

と、旋空が話題を変えた。

「確か、門の表札は……」

と、浄空が言いかけた時、クロウが事務所のドアを開けて、飛び込んできた。

「大変です!うちの得意先の議員さんの後援会長をしている、大手商社の会長さんが、贈収賄と、外為法違反で検察に逮捕されたようです!議員さんにも影響がありそうなんです!祈祷はしましたけど……」

と、一気に喋った。

「大手商社の会長さんって、誰?」

「小山内保雄という、財界では、黒幕的な存在だそうです……」

「小山内保雄?佐藤五郎が訪問した屋敷の表札が、その名前でしたよ!」

「なるほど、黒幕のひとりは、財界の黒幕か……。そいつが『先生』と呼んだ男は、政界の黒幕だね!きっと……」

(まあ、我々は深入りしないほうが無難な相手だ!それより、次の宝玉は比叡山の黒い宝玉になりそうだ、ね!美麓聖子は教団員と、しばらく下界の空気を吸って、元の施設に帰るだろうし……。黄色の宝玉は、粉々になった!と、我々以外は思っているから、教団は一安心だね……。また、聖子から謝礼金が届くかな?今回は、佐藤五郎からもかなりのお金をいただいたから、しばらく、仕事はしなくていいよ、ね……)

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