悪辣と呼ばれた翼

北岡エルザ

第1話 

 今からおよそ80年前、世界は燃えた――。


 それは「大破局戦争」と呼ばれる、人類史上もっとも愚かな戦い。


 種族、国家、信仰、技術――あらゆる違いが争いの火種となり、やがて大陸全土を覆う戦火となった。


 20年もの長きにわたり続いたその戦いは、ただ死と破壊を生み続けた。


 戦術機は空を裂き、地を砕き、数千万の命が消えた。資源を奪い合う者たちはやがて核と量子兵器さえ手に取り、怒れる神々の如く天を震わせた。


 そして最後――ひとつの大陸が消えた。


 地図からその名が消えた土地は、灰と塵の吹きすさぶ無の荒野。生命の息吹を許さぬ「静寂の墓標」となった。


 その惨状を目の当たりにして、ようやく彼らは我に返った。


 戦争の勝者はなく、残されたものは傷つき、引き裂かれた世界だけ――。


 愚かな戦犯者たちは慌てて停戦の名のもとに手を取り合い、歴史はひとつの幕を閉じた。


 だが、それは「終わり」ではなかった。


 焼け残った大地には、未だ戦火の残り火が燻り続けている――。







 「お父さん!今日はレイヴンズの話、してくれるんでしょ?」


 「そーよ!昨日は酔っ払って寝ちゃって、約束破ったんだから!」


 小さなリビングに、子供たちの弾んだ声が響く。


 「あー、そうだったな。まいったな、こりゃ。」


 ケイン・エヴァンズは苦笑いしながらタブレットを閉じた。さっきまで熱心に見ていたニュースの映像は、すっかり子供たちの声に掻き消されている。


 彼の息子と娘――父親譲りの無邪気で少し勝気な二人は、父親がかつて“レイヴンズ”の隊員だったことを何よりの誇りにしていた。


 壁には古びた勲章や感謝状が整然と飾られ、ケインが歩んできた過去を静かに物語っている。


 「お父さん、ねえ!早く聞かせて!」


 子供たちの催促にケインは少し苦笑しながらも、ふと本棚の上に目を向けた。


 そこには、一枚の写真。


 埃をかぶったその写真には、かつてのレイヴンズの仲間たちが写っている。笑顔も、真剣な表情も、どれも色褪せていない――時が止まったままの一瞬。


 「結局、これ一枚だけなんだよな…。」


 ケインは静かに呟き、写真を手に取る。その目には、遠い戦場がよみがえるかのような懐かしさが滲んでいた。指先で丁寧に埃を拭いながら、彼は過ぎ去った日々に一瞬、思いを馳せる。


 「俺が世界を救うんだ」――あの頃は、何も知らないくせに、ただ燃えていた。


 18歳でセントレア軍の学校を主席で卒業し、迷わず空軍に入った。何せ、当時の俺は若く、無鉄砲で、そして信じていたんだ。自分の手で、世界を変えられるってな。


 その頃、セントレア帝国は新兵器「ヴァルク」の登場で沸き返っていた。


 正式名称、【Versatile Assault Leviathan Kinetics 】通称V.A.L.K。


 マナとよばれる新しいエネルギーを使った巨大歩行兵器――まるで悪夢から蘇った鉄の巨人だ。


 「これこそが未来だ」なんて言う者もいたが、俺には違って見えた。大破局戦争の愚かさを、何一つ学んでいない証拠にしか思えなかったからだ。


 全く。人間はいつの時代も何も学ばない。


 2年間――セントレア軍として過ごした日々。


 だが、そこで目にしたのは、戦うことへの“使命感”じゃない。野心だよ。


 セントレア帝国の掲げる「人間至上主義」。俺には、それがただの歪んだ誇りにしか見えなかった。今の時代にそんなものを掲げれば、何が起こるかは火を見るより明らかだ。


 だから、飛び出した。


 セントレアを出ると決めた日、家族は当然反対した――「お前は国を捨てるのか?」と。


 だが、俺は振り向きもしなかった。あの家から飛び出す時のように、背を向けて前だけを見た。


 向かった先は、アイオニア。


 何が俺を待っているのかなんて、わかりはしなかった。ただ――あのままじゃいられなかったんだ。


 今でこそ、この大陸では種族の垣根を越えて手を取り合う時代になった。だが、当時はそんなもの、あり得なかった。


 人間は「セントレア帝国」なんていう人間至上主義の国家を作り上げ、己の力だけを誇示し続けた。


 エルフたちは、魔力に守られた大森林の中に「エルヴィアーナ」――そう名付けられた魔法国家を築き、外界との接触を避けた。


 ドワーフは山の奥深く、オークは広大な草原で――それぞれが閉じた世界で生きていたんだ。


 それが普通だった。


 種族ごとに分かれて生きる。それが“当たり前”であり、“平和”だと思われていた時代だ。


 だが、ひとつだけ例外があった――アイオニアだ。


 アイオニアは、多種族が共に生きる、当時唯一の国だった。人間、エルフ、ドワーフ、オーク…誰もが行き交うその街は、珍しいなんてものじゃなかった。


 「流れ者の行き着く国」――そう皮肉を込めて呼ぶ者もいたが、俺は違った。俺はそこに、本当に求めているものがあると思ったんだ。



 「だからお父さんは、お母さんと結婚したの?」


 突然の質問に、ケインは顔を上げる。


 視線の先――台所では、エルフの女性が静かにコーヒーを淹れている。長い金髪が陽の光を受けて輝き、手元の仕草はどこまでも優雅だ。


 「いやぁ、それは、俺の一目惚れだ…」


 子供たちは満足げに笑い、ケインはふと、遠い昔のアイオニアの街並みを思い出す。


 そこは混沌としていて、騒がしくて――けれど、どこよりも自由な場所だった。



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