サブスクリプションライフ

テレキャスターマン

サブスクリプションライフ

「音楽だって、データやCDを購入したとしても、楽曲の著作権があなたに移るわけじゃないのよ。買おうがサブスクだろうがそこは変わらないでしょ。結婚だってそれと同じじゃない? あなたは配偶者との人生を楽しむ権利は得られるけど、配偶者の人格まで所有できるわけじゃない。法的な婚姻関係であろうとサブスクであろうとそれは変わらない。そうよね?」

 哲男のアパルトメントにやってきたレベッカはそう説明した。レベッカは聡明な雰囲気で、すらっとしており、哲男の好みだった。彼は結婚のサブスクリプションが利用できるウェブサイトで、徹底的に検索して彼女を選んだのだ。果たして、実際の彼女は期待以上だった。

「確かに」哲男はうなずいた。

「だから、サブスクに抵抗を感じる必要はないわ。料金を払い続ければいいだけ。私を大切に扱う義務はあるけど」

「そうなんだけど、ちょっと不思議な感覚だな」

「そうなの? 今までサブスクを利用した経験はない?」レベッカは意外そうに尋ねた。

「いや、あるよ」哲男は答えた。「僕は何年か前、イタリア車に乗っていたんだけど、そのときはサブスクで購入したんだ。でも書類上は、車の所有者はディーラー側になっていて、そのせいかあまり所有欲を満たせなかった気がする」

「所有欲?」

「そう、所有欲。もちろん君は自動車なんかじゃないし、所有するなんて考えも感覚も全くないけど……書類上は誰に属していることになるのかな?」

「私が登録したサブスク業者に、私は属していることになるわね、書類上は。なんの書類かはともかく」

「なるほど」哲男はうなずいて、イタ車のことをもう一度考えた。あのサブスクは失敗だった。車に情は移らなかったし、だからすぐに国産のスポーツカーに乗り換えたのだ。しかし結婚となると、そんな感覚ですぐに相手を変えるわけにもいかない気がする。たとえそれがサブスクであっても。

 それでも哲男がサブスクに惹かれるのは、一度目の結婚と離婚をするにあたって起きた「あれやこれや」が、彼にとって荷が重すぎる経験だったからなのかもしれない。


「たとえば、サブスクを三十年間、続けたらどうなるのかな?」哲男は聞いた。

「三十一年目のサブスクに自動更新されるわ」

「それだけ?」

「それだけよ」

「三十年続けても、契約上の変化はなにもない?」

「ないわね。でも長く続ければ、特典みたいなものはあるかもしれない」

「特典?」

「そう、特典。なにかあなたにスペシャルなものを贈ったりするどうかは、ルール上は未来の私に委ねられている。業者側の承認も必要だし、断言はできないけど」

 その「スペシャルなもの」について、哲男は少しのあいだ想像をめぐらせた。レベッカはブルーの瞳でじっと哲男を見ていた。バルコニーから差し込む午後の柔らかな光の下で、彼女の赤毛が輝いていた。

「契約の終了についてはどうなっているのかな?」

「それは普通の結婚と変わらないわよ」

「つまり?」

「契約の続行は基本的に双方の意思によって決まる。解約は一方的にはできない。ただし、死別などの止むに止まれぬ事情がある場合を除く。そういう感じね」

「なるほど」そうは言ったものの、哲男はよくわからなくなってきた。彼女の説明はクリアで率直だし、疑問点はない。しかし、サブスクとは一体何なのか、聞けば聞くほどつかみどころがないように思えてくる。


 二人が座っているダイニングテーブルの端には、哲男がかつて乗っていた真っ赤なイタ車のミニカーが置いてある。彼はその艶やかなボディをしばし見つめ、そして切り出した。

「ええと」

「ええと?」

「質問していい?」

「もちろん。あなたには質問をする権利がある」

「じゃあ、端的に答えてほしい。このサブスクと、普通の結婚との最大の違いって何かな?」

「最大って、それが何の尺度においてかで話が変わってこないかしら?」

「そうだね」

「どういう尺度において?」

「そう言われると難しいな」哲男は頭を悩ませた。「なにか参考に挙げてみてもらえる?」

「そうね、わかりやすく数字を出せるものでいい? あなたは契約中、サブスクの料金をずっと払い続けなくてはならない。普通の結婚でも収入の一部を配偶者の口座に入れることはよくあるだろうけど、サブスクの場合、支払ったお金は夫婦の生活費にあてられるわけではない。それは大きな違いね。あなたは初年度であれば、年間七百万円をサービスに支払うことになる」

「それは分かってる」

「その代わり、私自身にかかるお金、つまり身だしなみのための費用とか、医療費、保険料とかね。これらはサービス側が負担するから、あなたは気にする必要はない」

「うん」

「いちばん簡単に挙げられるのはそれね」

「君の気持ちという面ではどうなの?」哲男は聞いた。

「私の気持ち?」

「そう」

「私にはいつでもサブスクの契約破棄をリクエストする権利があるわ。それは普通の結婚と変わらない。これはもう説明したわね?」

「いや、そうじゃなくてさ」

「じゃあ何?」

「僕たちのこの出会い方と、結婚するっていう決心について、君の考え、気持ちはどうなの?」

 そう口にした瞬間、哲男はアパルトメントに流れる時間の進みが突然変わったような気がした。アクション映画で銃弾が放たれ、スローモーションシーンが始まったみたいに。

「哲男」レベッカは彼の目を見つめて言った。

「うん?」

「愛しているの」

 彼女はそう言うとスッと立ち上がり、着ていたサマーニットの裾をつかみ、一気に脱いだ。すらりとした彼女の上半身があらわになった。続けて彼女はデニムを脱ぎ捨て、下着もすべて取り外した。そして哲男を立ち上がらせ、彼に抱きつき、彼の唇を彼女の口に吸い寄せた。

 哲男はそれに応じながら考えた。自分は聞いてはいけない領域に踏み込んだのだろうか? この質問は契約の機会逸失に直結するもので、顧客からそういう発言が出たときはこう対応せよと、サービスのマニュアルに定義されているのかもしれない。そして彼女はその通りに行動しているだけなのか?と。しかし、レベッカとひとつになりながら、それ以上深く考えるのはあまりにも難しかった。

 彼とレベッカの契約はこれで締結されたことになる。それはしっかりと利用規約に書いてあるのだ。


 二人の暮らしはそうしてスタートした。契約成立の十五分後には、アパルトメントの六階にある哲男の部屋に、自律型のドローンで荷物が次々と運ばれてきた。それはレベッカの私物だった。彼女は脱ぎ捨てた服を元通りに着ながら、バルコニーからドローンを招き入れ、そのAIに的確に指示を与えていた。哲男は裸のまま、その一部始終を呆然と眺めるしかなかった。

 始まってみれば、結婚とサブスクの間に特に違いはないように哲男には感じられた。レベッカは哲男の所有物ではない。彼女は哲男の望むままに動くスタッフでもキャストでもなく、自由意志を持った生命体である。サービスの提供時間外である平日の日中に、レベッカが何をしているのかを哲男が知る術はない。それでも二人の関係は親密かつフェアである。あくまでフェアに、しかし激しく喧嘩をすることも珍しくないし、ある時にはレベッカが哲男を平手打ちしたこともあった。それは彼が怪我をしない程度に、完璧に手加減された平手打ちではあったが。

 ジェンダーや年齢層に関係なく、サブスクの利用者は増えているとの噂だ。哲男は他の夫婦とすれ違ったり、電車で真向かいに座ったりすると「ひょっとして彼らもサブスクか?」と気になり、ついジロジロと人間観察をしてしまう。しかし、それを判別できる材料は一切ない。つまり哲男とレベッカがサブスクの関係なのかどうかも、同じように他人からは見抜けないということになる。そう気づき、哲男はいつしかその観察をするのをやめた。

 それから何度の春が過ぎ、いくつの森林が酷暑下の山火事で失われ、何軒の屋根が雪かきされただろう。哲男とレベッカは変わらずあのアパルトメントで一緒に暮らしている。契約前に彼女が答えなかったあの質問は、今でも未回答のままだ。

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