試験をする男

赤坂英二

試験をする男



 寒い季節が近づいてくると思い出すのは学生時代に受けた試験を思い出す。



 試験を受ける夢も何度も見た。



 きっとこれからも私はそんな夢を見続けるのだろう。



 そしてそんな夢を見ては汗だくで飛び起きてしまうのだ。



 私は幼いころ読解問題が苦手だった。



 答えを文章から見つけるのも、どう答えを書くのかも苦手だった。




 よくクラスからは「理系は答えが一つなのに、読解って複数の答えがあるよな」などと声が上がっていた。




 その科目の教師に言わせれば「答えは一つしかないのだ」と言っていたことをよく覚えている。




 それに対し、クラスメイトは「えー」、「そんなことない」などと言っていた。



 両者の意見はどちらも正しいのではないかと私は思っていた。



 答えは一つしかないが、答え方は無数にあるということだろうか。




 解答者の立場から言えば、これは答えが一つじゃないと思っても不思議ではないのではないだろうか。




 解釈というものを一致させるのは容易いことではない。



 例えば物語にはよく天候と登場人物の心情をリンクさせた表現が多く出てくる。



 晴れなら肯定的な気持ち、雨なら否定的な気持ちの表れであるように。




 私はこう思ったことがある、「では砂漠地帯で育った人がこの文章を読んで問題を解くとき、その答えを導き出せるのだろうか」と。




 雨を待ち望む彼らにとって雨は否定的な心情表現となりうるのか、と。



 人の数ほど答えが登場してしまう可能性。



 それは計算から導く答えとは同じではないはず。



 生活感の違いから一点を失う者が今後現れるかもしれない。



 彼らの運命はその一点にかかっているかもしれないのだ。




 問題の作成者はそんな大きな責任を負っているのだ、もっと慎重になるべきではないか。



 もちろんこれは私のただの屁理屈であり、誰にも言ったことは無い。今後の話にも関係はないただの雑談である。





 また読書が好きな人は読解問題が得意だという話は聞いたことがあるが、あれは私には当てはまらないようだ。



 私も同年代の者たちより本は好きで読んでいた方だと思う。



 しかし私の読解の点数はあまりよくなかった。



 私はどうも本の世界に没入しすぎてしまうところがあった。



 世界に入り込んでしまうあまり、問題の出題者を無視してしまうのだ。



 出題者との解釈の乖離が起こってしまったのかもしれない。



 もっと言えば出題者の意図など気にしたことが無かったのかもしれない。



 今世界にはこの物語と私自身がいる、それで十分ではないかと、そんなことを思っていたのかもしれない。



 今思えば逆に本好きであったことがあだになってしまったとも思える。




 私は空想の世界で生きているのが好きだった、だからこそ問題を解く際にも余計な解釈をしてしまっていたのだと思う。




 試験の際にも物語を楽しんでいたのだ。




 試験の際に、それはあまりにも無駄なことだったが、幼い私はそれを知らなかったのだ。




 しかしそれを悪いと思ったことは一度もない。



 むしろこれは才能であると今になってみれば思う。






 そんな私は今試験を作る立場になっている。



 私の職業を知る周りの者たちは喜ぶ者と憐れみを抱く者に大抵別れる。




 喜んでくれる者たちは主にこの仕事の給料面を見て言っているのだろう。確かにこの仕事をしているとわりと豊かな暮らしをすることはできる。大金持ちというほどではないが、私は不満を持ってはいない。




 憐れみを向ける者たちは主に私の問題を解くことになる者たち、私に採点される者たちに対する憐れみだろう。




 私が幼いころから抱いていたあの気持ちを抱く者が世界にもいるのだろうか。



 私は彼らを苦しめることになってやしないだろうかといつも考えている。







 変わっている点、私の仕事の特殊な点としては、私はということである。



 そのため私に生徒はいない。



 私はただ試験を作り、この世界のどこかにいるであろう解答者が現れるのを待っている。



 そのために私は毎日テストを発信し、解答を待っている。




 回答は来ないことの方が多い。そういう時は日々自由気ままに時間を過ごしてい

る。



 この暇な時間はすごく安心感を持つ、平和な時間が流れている。




 あまりにも来ないのも問題だ。私自身生きるために稼がねばならぬ。いつまでも穏やかな気持ちで過ごしてはいられないのである。




 しかし実際に回答が来たときはとても緊張をする。




 点数を気にする解答者側も「どれくらい合っているだろうか」などと緊張するだろうが、採点者も悩んだりするものなのだ。




 この一点が彼らの運命を決めるかもしれないのだ、下手な気持ちで採点はできない。




 ここまで気合を入れるのは、世界で私だけなのかもしれないが……。







 私の作るテストには一つ特徴がある。



 読解テストの最後、点数には関係のない部分で、一つの問いを出す。




 例えば、「―傍線部⑫の気持ちはどのようだったか自らの意見を述べなさい(点数とは関係ありません)」などとするのだ。




 本当に様々な答えがここには集まってくる。



 私はその問題に対する解答を読むことが好きだ。皆物語に思いをはせて気持ちを書いてくれるからだ。




 実にユニークな答えも多い。



 花丸を付けることもある。



 子どもの時花丸をもらえると嬉しかったものだが、彼らは嬉しいのだろうか。




 興味深いのは点数の高い解答者ほど的確な、いわゆる無難な答えをし、点数が低い者ほど、意外な着眼点で意見を述べたりするのだ。




 これは点数の高い者に対して無意識のうちにハードルを上げているのかもしれない。もしくはをしてしまっているからかもしれない。




 逆に点数の低い者にたいしては、して読めているからかもしれない。




 一度も対面であったことのない彼らと文章を通して通じ合う。本当に面白い体験である。




 これまでに何度も彼らはどういう者なのだろうかと考えてきたものだ。



 これからも一度も会うことのない彼らの生活を想像してみるのも面白い。







 そんな幸せな時間を過ごした後、私の採点したテストはへ送られる。




 それは私が暮らす文明の重要機関。この文明は自らが一番になるために高度な文明の排除を行っているのだ。




 私はその機関の一つで働いている。




 私はテストを作り、採点をする者。




 まず、私が全宇宙に向けて発信する信号はある程度の文明を築いた生命体でなければ感知できない仕組みになっている。要は足きりだ。




 その後この試験に挑戦し、解答を送ってくれた生命体に対して採点をするのが私の仕事である。




 私が採点をし、合格点を出せばそれは高度な知能を持った生命体を意味する。



 そして我々の文明はすぐさまその生命体が住む世界を破壊するということだ。




 つまり私が良い点をつけるほど解答者である彼らは自らの寿命を縮めているということになる。






 私は今日も宇宙中に試験を発信し続け、そして解答を待っている。





 私は、そんな仕事をしているのである。





 そうやって、今日も生きていくのである。










 問 花丸を付けるときのこのキャラクターの気持ちを答えなさい。

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