失格勇者と落第魔王が「楽園」で巡り会う話

卯月 幾哉

本文

 ここではない、別の世界の話をしよう。


 その世界では、「魔王」と呼ばれる残虐ざんぎゃくな化け物が何十体もいて、人間社会の平和をおびやかしていた。魔王は怪力や強力な魔法を操るので、大の大人が百人がかりで挑んでもかなわない。

 そんな魔王に対抗できるのは、人間たちの中で一握りの「勇者」と呼ばれる者たちだ。それは特別な肩書きで、魔王たちとの戦いの最前線で戦う資格でもある。


 ヒースという青年がいた。

 彼はある魔王が起こした戦禍せんかによって家族を亡くし、天涯てんがい孤独となった。その後、ヒースは一人の老いた元勇者に育てられた。


「ヒース、お前は勇者にはなるな」


 老勇者は亡くなる前、ヒースにそう言い遺した。

 しかしながら、老勇者の死を看取みとった後、ヒースは勇者になるための試験を受けることにした。

 ――自分の力を試したい。そして、その力で人々のために戦いたい。

 ヒースはそう思った。


 だが、試験で失格となった。


 ヒースの力量は十分だった。

 ただし、彼はあまりにも優しすぎた。試験のために集められた、何の罪もない魔物を殺すことができなかったのだ。

 ――亡き老勇者には、そんな未来が予見よけんできていた。


「貴様は勇者には向かん。――『エデン』へ行け。その力を後の世のために役立てろ」


 ヒースの試験を担当した試験官は、彼にそう言い渡した。

 勇者になれないと悟って打ちひしがれたヒースは、言われた通りに『エデン』という大陸に渡ることにした。




 『エデン』――「新大陸」とも呼ばれるその土地は、戦争とは無縁の場所だった。

 ただし、その土地で多くの人々が暮らすためには、広大な未開の原野を切りひらく必要があった。

 すなわち、ヒースは開拓者として働くことになった。


 数か月がった。

 ヒースはおのが身一つで海際うみぎわの森一個分を切り拓き、開拓仲間からもその働きを認められていた。


 そんなある日、ヒースは魚をるために浜辺へ向かう。

 ヒースはそこで、打ち上げられた一そうの小舟を見つける。大海を渡るには心許こころもとない舟だ。ヒースは不審に思い、舟に近づく。


 ヒースが舟の中をのぞくと、そこにはうら若い女性がたった一人で乗っていた。


「君! 大丈夫かい!」

「……」


 ヒースは声を掛けたが、返事はなかった。女は意識を失っていた。

 彼がじかに肌にれて確かめたところ、女はひどく衰弱すいじゃくしていた。


「いけない。すぐに休ませないと」


 ヒースは女を抱き上げ、森を拓いて建てた自分の家に連れ帰った。




 女の名はラウという。

 翌日に目を覚ました彼女は、その更に翌日になってからヒースに名を明かした。


「まだ体力は戻ってないだろう。好きなだけここにいるといい」


 ヒースはラウに何もかなかった。

 どこから来たのか。なぜ海を一人で渡っていたのか。訊きたいことは色々とあるはずだった。

 ラウにとって、そんなヒースの対応は都合が良かった。しかし、どうして何も訊かないのか、と疑問に思ったのも事実だった。


 数日が経って日常動作に支障がなくなった頃、いたたまれなくなったラウは、ヒースに家事を手伝うと申し出た。


「じゃあ、無理のない範囲で頼むよ」


 それから、三か月の月日が過ぎた。


 ラウの体調はとうに万全まで回復していた。この間に彼女は何度か、黙ってヒースの家を去ろうかと考えた。ヒースは全く彼女の自由を制限しなかったので、それはいつでも実行できただろう。


 しかしラウは結局、ヒースの家に留まっていた。

 ここを出た後、行く宛がなかったという理由もある。しかし、そうでなくともヒースとの別れを惜しむ自分がいることに、ラウは気づきつつあった。


 ――こんな穏やかな日が、いつまでも続けばいいのに。


 彼女の願いは、間もなく裏切られることになる。




 ある日、ヒースの家を一人の勇者が訪ねて来た。

 名はジャスティン。勇者の中でも上澄うわずみの実力者だ。


「女……貴様、魔王に連なる者だな」


 ジャスティンはラウを見るや否や、腰にいた剣を引き抜いた。


 身を固く強張こわばらせるラウを、ヒースはその背でかばった。


「やめてくれ! 僕はこの三か月、彼女と共に暮らしてきた。彼女は誓って、誰にも危害を加えてはいない!」


 ヒースの主張を聞いたジャスティンは、その目を細めた。


「勇者の出来損できそこないと聞いていたが……魔と通じたか。怖れを知らぬ者よ。ならば、ここで俺に粛清しゅくせいされても文句は言えぬな」


 ジャスティンの燃え上がるような戦意に当てられ、ヒースもまた剣を抜かざるを得なかった。

 二人はヒースの家の前に出て、剣を交えることになった。


「僕が勝ったら、彼女を魔の者と断じるのはやめてほしい」

「フンっ、出来損ないが。この俺に勝てるつもりか」


 約束は交わされぬまま、二人の戦いは始まった。

 戦いは一刻に渡って続いたが、やがてヒースに軍配が上がった。


「さあ、約束しろっ! 彼女を魔に連なる者とは見做みなさないと!」

「くっ……!」


 満身創痍まんしんそういひざをつくジャスティンだったが、首を縦に振ることはしなかった。


「……認められるものか。その女は魔族だ! 本部に戻ったら討伐隊を編成する」

「なんて頑固がんこなやつだ……」


 意固地いこじなジャスティンに言葉を失うヒースは、続く彼の言葉に目を見開く。


「それが嫌だというなら、今ここで俺の首をねよっ!」

「なんだと!」


 ヒースは迷った。

 ラウを守るには、ジャスティンを殺さなければならない。

 しかし、人類の守護者である彼を殺すのは、正しいことなのか――。


 ヒースが考えあぐねていると、彼の正面にすっとラウが立ちはだかった。彼女は両手を広げ、ヒースに無防備な姿をさらす。


「ヒース、どうぞわたくしめを殺してください」


 ヒースは目を見開いた。


「何を馬鹿なことを!」


 いきり立つヒースに対し、ラウはぽつりぽつりと語りだす。それは、これまで彼女が明かさなかった、彼女自身の素性すじょうに関することだ。


 ラウは、人類と争う魔王の一柱であるサタンの、七十三番目の娘だった。

 彼女は次世代の魔王の一翼をになうべく、魔王の育成機関に所属していた。しかし、進級のための試験に何度も失敗した結果、落第した。その結果、父親のサタンにも見放され、追放されることになった。


「――島流しにされ、あの浜辺に流れ着きました」

「そうだったのか……」


 ラウは浜辺で助けられて以来、ヒースに深く感謝していた。

 そのヒースが自分のせいで苦境に追い込まれるのは忍びない。そう思った。


「一度はあなたに救われた身の上です。あなたのためならこの命、惜しくはありません」

「そんなことは――」


 ラウの話が一段落する頃、ジャスティンは剣を握って動けるだけの体力を取り戻していた。


「魔王の娘! 望み通り殺してやる!」

「――ラウ! 危ない!!」


 ジャスティンの剣は、ラウを庇ったヒースの胸を深々とつらぬいた。


「ヒース!! ああ、なんてこと……」

「ごふっ。……ラウ。僕に構わず、逃げろ……」


 ラウは悲鳴を上げた後、崩れ落ちるヒースの体を抱えて座り込んだ。


「フンッ! 魔族を庇うとは愚かなやつだ。勇者になれなかったのも当然だな。――お前もすぐに後を追わせてやる」


 ジャスティンはもう一度剣を構え、次こそはラウの命を奪おうとする。


「許さない……」


 ラウの瞳にくらい炎が灯った。

 彼女の長い黒髪がぶわりと逆立ち、周囲から吹き込む風がうずを成した。


「な、なんだ……?」


 ジャスティンは困惑した。

 魔王の娘とはいえ、脅威きょういあたいする存在ではないと思っていたのに……。


 ラウの指先から雷光のような光がほとばしる。

 それはまたたく間にジャスティンを貫いた。


「ギャアッ!! バカな! この光は神の……」


 言葉を最後までつむぐこともできず、ジャスティンは気を失って地にせた。


「ラウ……すごい魔法だな……」

「じっとしていてください」


 ヒースはかすむ視界の中で、ラウが魔法を放つ様子をとらえていた。

 ラウは目を閉じて、意識を集中させる。その様は、さながら神に祈る修道女のようだった。


 ラウの両手から柔らかな光があふれ、ヒースの上体を包み込む。

 光がヒースの傷口から体内に浸透しんとうすると、彼の傷はみるみる内にふさがった。


「こ、これは……!」


 驚愕きょうがくするヒースに対し、ラウは苦笑を見せた。


「魔王になれなかったのは、闇魔法の適性が全くなかったからです。簡単な魔法も使えなくて、試験に落ちました。――逆になぜか、光魔法には適性がありました」


 ラウの光魔法への適性は、ヒースの負った致命傷ちめいしょうをわずかな時間で完治させるほどの、非常に優れた素質だった。


「でも、魔王なんかになれなくて良かった。もともと争いは嫌いですし、おかげであなたにえたから」


 ラウはほほを上気させ、花がほころぶような笑顔を見せた。

 そんな彼女に、ヒースは自分も勇者になれなかったのだと語って聞かせた。


「――僕も同じだ。君と争うようなことにならなくて、良かった」

「私たち、似た者同士だったんですね」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 その後の二人がどうなったかは、また別の話だ。


(了)

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