第2話 東の土地の支配者。
私の目の前にゆるりと座っているのは,一見線の細い,顔の綺麗な男。
その美しく余裕のある佇まいは,とてもこの大きな組織のトップだとは思えない。
街中で堂々と笑いかけてくるような,印象的でナンパな見た目。
金みたいな茶色の,ふわふわとしたパーマ。
こちらを見透かすような,青くゆるい瞳。
良く通った鼻筋も全部,私が1番近くで愛したもの。
ねぇ,蘭華。
今,23?
前回,どうして私を好きになってくれたかなんて分からないけど……絶対に。
私はあなたを落とすよ。
今,大きくて柔らかいベットに彼が,畳の上に私がいる。
襖を開いた先のこの部屋は,印象もぐちゃぐちゃで,テーマ性の欠片もない。
貴方らしいといえばそうなんだけど,畳の上にはテカテカと綺麗な茶色の机があるし,かと思えば真っ白のクローゼットには着物が入っていたりもする。
記憶の通り,この部屋はお互いにちっとも似合わないもので揃えられていた。
「君は…ここがどこか,分かる?」
胸に広がる,甘い切なさ。
やり直し,その意味を再認識させられた。
どんな女の子も虜になる,ハチミツみたいに甘い声。
だけどそう。
悲しくもその声は,私を特別だなんて思ってない。
「あなたの家でしょう」
灰色のパーカーにダメージジーンズだなんて,とても蘭華らしいと私は思った。
その辺でつまんで身に付けただけの,悔しいくらいに似合う気軽な装い。
私がそんなことを考えているだなんて少しも知らない蘭華は,足を組んで余裕そうに頬杖をついている。
その口元が,ゆっくりと弧を描いた。
じっと見つめられて,私は本能的な恐怖に震えながらも,笑みを顔に乗せる。
理由は簡単。
彼の気分で,ただの小娘でしかない私は今すぐにでも命を落とすからだ。
蘭華はふるふると首を振った。
「そうだね,間違ってはないけど…今は組織の拠点としての姿の方がとても正しい」
私はお客様なんかじゃない。
「私が,あなたに誘拐されたから」
そうよね……
「そう。何でか分かる?」
喉が渇く。
彼に,私の嘘が通じるかなんて分からない。
でも…
「分からない。私はただ,花の水やりを終えて,お店の前を掃除していただけだもの。危ない現場なんてものも,何も目撃していないわ」
それでも今は嘘をつくしかない。
私は確かに"知らなかった"。
下手なこと,言うわけにはいかない。
「君のお父さん,有名みたいなんだよね」
「父なんて,会ったこともないわ」
お母さんはもう,私が自立するずっと前に他界した。
話に聞きはしても父親の顔を見たことがないのも本当だ。
私が生まれたときには,もうそばにはいなかったと言う。
「そんなこと関係ないんだよ。いい? 君の父とやらは,昨日亡くなった」
人が死んだと聞かされるのは,分かっていても衝撃を受ける。
それが自分の父親なら尚更だ。
分かってる。
私はその人を,救うことはできない。
「君はどれくらい自分の父親について知ってる? まずはそこからだね」
「…母より2つ年上で,たばこ好き」
「それだけ?」
「そうよ」
それ以外,うちでは聞かされなかったから。
気にもならなかったと言えば,薄情かもしれないけれど。
「じゃあ……君はこの島の警察をどう見る?」
突然変わった話題。
私はこれがどう繋がるのか,知っている。
「日夜問わず,必死に働いている。けれどあなた達によって無駄骨を折ることも多い」
この組織の関係者。
決定的な証拠さえなければ,それだけで,蘭華によって次々釈放されてしまうから。
"他の組織"の人間ならば,それもまた然り。
土地を支配し統治する,それらを可能にする権力を持つと言うことはそういうことなのだ。
そして。
その力が彼らへと与えられ続ける所以こそ
「それ以上に,この地区の安全は"あなた達"によって維持されている。本来警察へと行くべき人間を,殺すことによって」
彼らが自主的に請け負っている,役目とも言える武力による均衡の維持にある。
そうゆうサイクルで,ずっとこの島は出来ている。
だから誰,もこの場所に手を出すことなど出来ない。
手を出すものに命などない。
代わりに差し出される彼らの価値。
彼らは,この賑やかな島最大の抑止力だ。
「現状で,この島の警察は機能していない」
民間での取り締まり。
組織による半ば強硬な結束。
両者良し悪しあれど,それは揺るぎない事実なのである。
「だから,君の父親は…雑魚から片付けることにした」
時に脅して,時に予測出来る犯罪をわざと警察の目の前で行わせて。
言い逃れ出来ない状況を作り,無理矢理にでも牢屋にぶちこんだ。
お父さんは,そういう新しい勢力ののリーダーだった。
…らしい。
そうして牢に入った人を救い出せないのにも理由がある。
東,西,南。
どの組織も,島民によって最低限の正当性を示さなければいけない。
もし島民に認められず,島をあげて反抗されたら?
押さえつけるのは簡単かもしれないが,それではこの先の未来,島を続けていく人間がいなくなってしまう。
奮う相手のいない権力などなんの意味もない。
だから,支配者たちは島民とのギブアンドテイクの関係を保つ。
組織を立ち行かなくするなど,愚かではないからだ。
その小さな隙をつつくようにして活動していたのが,私の父親なのだろう。
事実としてだけではなく,実際父親らしい側面も持っていたらしい。
「君は昨日1日"だけ"そのチームに守られていた」
父亡き後,私が狙われると分かってか,仲間が私を見守ってくれていた。
中々だよね。まぁ僕に見つかった瞬間,君はあっさり拐われたわけだけど。
と蘭華は笑う。
遅かれ早かれ,どこかに拐われた。
そう言いたいのだろう。
ちなみにそのチームと言うのは,私が多数のストーカーと勘違いして警察に届け出た人達の事だ。
こうゆうのを,世間では皮肉と言うらしい。
「清く正しくがモットーの僕のところと違って,あちこちで恨み買ってるんだって。利用できそうだから連れてきちゃった」
細められた瞳が,その瞬間冷たく光った…気がした。
"利用"…
私は単なる交換材料。
どこかの面倒で大きな組織なんかが私を欲しがれば,私はあっさりと引き渡される。
それでその先,私がどう扱われるかなんて分からない。
私はゴクリと喉を鳴らした。
「君,慣れてる? こうゆうの」
突如,話を区切るように蘭華は首をかしげる。
「なに,が」
私は返事をするので限界だ。
「仮にも初めましての,この組織のトップだよ? それとも僕を舐めてるの? 落ち着きすぎなんじゃない?」
うん,なんて言えない。
もしも私がそう言ったなら,私ごときに舐められるような人間じゃない証明に,腕の1本でも持っていかれそうだから。
四肢は命の次に大事なものだわ。
「舐めてなんて,ない。怖いわ,とても」
順当に行けば,私だって普通の女の子なんだから。
私,まだ21なのよ,蘭華。
「そうだね,とても震えてる」
小鹿のように小さく奮える私の肩を見逃さず,蘭華の右手がすっと私に伸びた。
ぎゅっと抱き締められて。
かと思えば,次の瞬間。
私の足は地についていなかった。
思わず小さく悲鳴をあげる。
蘭華に抱き抱えられて,私はボスンと蘭華のベットに落とされた。
そうだ。
私は,先の事ばかりに気を取られて,忘れていた。
私達の始まりは…
「怖いなら,僕に抱かれてみる……? 何にも分かんなくなるから」
こうだった。
あの時は力一杯突き飛ばした。
でも今は,そんなこと出来ない。
「あなたは…蘭華は私を抱かないでしょ?」
本当になにかされたらどうしよう。
今の蘭華は,私の求める蘭華じゃない。
そう喉の奥の震えが訴えるけど,大丈夫。
蘭華は絶対に本気なんかじゃない。
「どうして?」
パチクリと幼い表情で目を丸くした蘭華が,綺麗な顔を傾ける。
早く退いて欲しい,その一心で私はぎゅっと目を瞑った。
「蘭華好みの女の子なんて,他に沢山いるじゃない! 島の人は…この地区に住んでいる人は皆知ってるわ!!」
あぁ,なんで胸が痛むの?
ただの事実だって,それだけなのに。
感情のコントロールができないなんて,バカを見るだけなのに。
少し動いただけの蘭華に対応するみたいに,私はぴくりと動いてしまう。
それを目敏く見つけた蘭華は驚いたような顔をした。
「動揺…? もしかして」
蘭華の右手が,私の頬を包む。
私は驚いて,再びピクリと反応した。
「免疫,全くないの? 反応が純粋すぎる」
今度ははっきりと,愉快そうに蘭華は言葉を紡いだ。
「強がって冷静に見せてたの?」
カッと頭に血が上る。
恥ずかしくて,悔しくて。
「仕方ないじゃない! 怖くて仕方ないんだもの!」
気付けば,こんなでも本当はこの島で1番恐ろしいその人に怒鳴っていた。
サッと血の気が引く。
己の過ちに気づくのは早かった。
前と今は,全然違うのに。
私の心配とは裏腹に,私の反撃を食らった張本人は目を大きく見開いて。
片眉を下げて,おかしそうに笑った。
「はは」
何が,楽しいの…
私は呆然と,彼の下でその表情を眺める。
その私の長い茶髪を,蘭華は掬い上げた。
私はやはり,眺めていることしか出来ない。
「可愛いね。手懐けたくなる」
「…なっ」
そんなこと,1度目では言ったこともなかったじゃない!
緑の瞳いっぱいに,蘭華の顔が映る。
天使がモチーフの天井の絵だとか,壁紙だとか。
そんなの一切気にとめられない。
「君,名前は?」
「りりあ。凛々彩」
これが2度目の,あなたとの出逢い。
「君は自分の苗字,知ってる?」
「珍しいから,危ないって」
ふわふわと聞かれるまま,答えてしまう。
危ないの意味も,今ではしっかり理解しているけれど。
思考する私の横に,いつの間にか蘭華がいた。
「どっちの性も知ってるけど,聞きたい?」
「別に,いい。私はずっと凛々彩だったから。蘭華は? 蘭華はないの?」
苗字がないのは,基本的に……
島の中央に1つだけ存在する大きな教会。
そこで育つような孤児だけだ。
なのにそんなはずはない蘭華の苗字を聞いたことも,1度もなかった。
「両親が僕の苗字でケンカして,なくなったんだよ。母の方だったら立花だったらしい」
ー父の方は長くて覚えてない。
蘭華は起き上がって,ベットの縁に座る。
立花 蘭華。
その可能性に,私は小さく微笑んだ。
好きな人のことは,どんなことだって知れれば嬉しい。
私は片方の手を掴まれて,枕に頭を預けたまま蘭華を上目で見る。
その刹那,蘭華と視線が交わった。
状況の理解が及ばないままその綺麗な青を見つめていると,掴まれた右手首にぐっと力が込めらる。
あっと思うよりも先に,端正な顔が,私に影を作った。
ちゅ…と確かに唇が触れる。
私は目を見開いて,言葉を失った。
こんなことは,初めの日には起こらなかった。
想いも通じていない初めの日には。
私は,ポロポロと訳も分からず涙を流す。
それを見て,蘭華が目の端に,涙を吸うようなキスを落として。
「ごめんね,泣かないで」
私の前髪を撫でた。
「無理,みたい」
私の返答は,蘭華を困らせるだろうか。
だけどそんな蘭華の瞳にも既に,私の困った泣き顔が映っている。
蘭華はそんな私と反対に,くすりと笑った。
「僕はね,嫌がる女の子を無理矢理ってのはあんまり好きじゃないんだよ」
だからその気にさせるのが得意なんでしょ?
その言葉を,ぐっと堪える。
「よく聞いて」
蘭華は言った。
そして
『「僕は君を利用するけれど,その間だけ。僕は君を保護してあげる」』
さっと襖を開けて出ていってしまった。
一人残された私は起き上がって,両手で顔を覆う。
次から次へと溢れる涙が,止まらなかった。
「蘭華…っ」
嬉しいのか悲しいのかも分からない。
ただ苦しいくらいに大好きな人の名前を呼ぶ。
蘭華は,あまりにも蘭華だった。
涙を流しながら,私は笑う。
無理にでも。
今は嘘になっても。
そうしなくてはいけない理由があるから。
「私は,しあわせ」
私は確認するように,天井を見上げて呟いた。
あなたに聞こえますように。
信じて貰えますように。
同じくして,キスの温度が私の唇に消えていった。
あなたと誓った約束の合図。
今日を生き抜いた私は,きっとこの先も上手く行くと信じる。
ひとつ呼吸をしただけの私は,いつの間にか眠りについていた。
貴方の涙を拾うため,人生巻き戻ってきました! 不破 海美ーふわ うみー @aisunomori
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