第5話


それからマクレーレンは、ペルシャとの交流の時間にふとしたときに物思いに耽るようになった。

何かを言おうとしては口を噤み、ポコポコと水面に水泡が浮かぶ。


「殿下、どうされましたか?」

「いや……、なんでもない。楽しんでいるかい?」

「ええ」


ならよかった、と力無き笑みを浮かべたように見えたペルシャは、少し壁を感じて寂しくなってしまった。


あれからマクレーレンか目を開けたまま浮かんでいてもペルシャは動じることがなくなった。

慣れた、といっても過言ではないが、四阿で穏やかな陽気の中、二人でうとうとするのが心地よかった。

魚と猫でなければうたた寝する交流などはしたないと言われるかもしれない、と、ペルシャは奇妙な組み合わせにふと笑みが溢れる。

それを見た護衛騎士シュヴァルがペルシャを見て和み、シュヴァルを見たマクレーレンが二人の仲に割って入れない疎外感を感じていた。


その後、マクレーレンは一人で決意する。それはあまりにも孤独で悲しい決意だった。


晩餐の折、食卓の上に置かれた水槽にマクレーレンの為に作られた特製の魚の食物がパラパラと撒かれる。

それが落ちていくのを眺めながら、マクレーレンは口を開いた。


「父上、母上。これまで私を育ててくださりありがとうございます」


食事を始めようとする両親に、突如として感謝を述べる息子に思わず目を見開いた。

それはまるで――自身の先を悟ったかのような悲壮感を感じたからだ。


「晩餐の前に私からお願いごとがあるのですが、聞いていただけますでしょうか」


生まれた感謝を述べわがままも言わなかった息子の願いは何でも叶えたい国王と王妃はそれを聞いてなんとも言い難い気持ちになった。


「申してみよ」

「ありがとうございます。……ラグドール公爵令嬢との交流を打ち切ってほしいのです」


その言葉は聞いていた二人だけでなく、マクレーレンの弟であるトラオム、また、使用人までもが息を呑んだ。

ペルシャと交流が始まって、マクレーレンは目に見えて活き活きしていた。

それまで静かに過ごしていた王子が交流の為に中庭に出向き、水槽の中を自在に泳ぎ回る姿を見てきたのだ。

それを自ら望んで打ち切るなど、理由が分からなかった。


「マクレーレン、そなたはラグドール公爵令嬢との交流を楽しみにしていたではないか」

「そうよ。ペルシャも貴方と話せて楽しいと言ってくれていたわ」


お互いあまり意識は無いが、運命の番という特別な絆があるせいか、魚と猫でも楽しく過ごせていることがマクレーレンの生きる希望になっていた。だが――


「私はもう、十分に楽しく過ごさせていただきました。――けれど、時間は有限なのです」


その言葉にみながハッとした。


マクレーレンは魚だ。

海の中、どこにでもいる魚。

獣人から生まれた魚だからか今まで生きてきたが、所詮は魚。

海の中で生きるマクレーレンと同じ魚の平均寿命は約二年と短い。

それを約十八年という長い年月、王家の力を駆使して奇跡的に延命してきた。

今までは何の問題も無く過ごしてきたが、これからは……

平均寿命の約九倍生きてきたことが奇跡なのに、その事実を見ぬふりをしていた。


しかし、マクレーレンが口にしたのは別のこと。


「ラグドール公爵令嬢は十六歳。今は婚約者はいないがそろそろ先を見ないといけない。

このまま王家が独占していては彼女を妻にと望む異性が現れても、諦めてしまいかねない」


言いながら、マクレーレンは水の中で良かったと思った。

目から出てきたものはすぐに溶けて誰にもバレないから。


「私は彼女と話せて良かった。もう、満足です。だから、交流は終わりにします」


彼としては大丈夫、王家の教育の賜物で、辛いときでも自分は笑えるんだとにっこり笑ったつもりだが、魚ゆえ表情には出ない。

けれど長い間家族として過ごしてきたから何となく伝わるのだろう。

いや、家族だけでなく、その場にいた使用人たちもマクレーレンの本心ではなく、ペルシャの為に身を引こうとする彼の気持ちに心を打たれた。

水槽の中をくるくると泳ぎ回り、はしゃいでいた彼が自らそれを終わらせるということが悲しくて仕方ない。


「あなた、やはりペルシャ嬢に……」


涙を浮かべる王妃に、国王は力無く頭を振った。

その先はペルシャを思うなら言ってはいけない。望んではいけない。

それをマクレーレンが一番よく分かっているからこその申し出。無碍にするようなことをしてはいけない。


王妃も頭では理解している。だが息子の今までにない幸せそうな姿があまりにも印象的すぎて感情が追いつかない。

だがマクレーレンの言う通り、時間は有限だ。

貴族令嬢ともなれば、幼い頃に婚約していても不思議ではないのに、ペルシャに婚約者はいなかった。

けれどそれもそろそろ終わり。

今から探さなければ行き遅れの烙印が押されてしまうだろう。

可愛がっているからこそ、ペルシャにそんなものを課せるわけにはいかなかった。



翌日、ラグドール公爵家は王家からの通達を受け取った。

それを見た公爵は顔を顰め、どうするかの判断はペルシャに任せることにした。


父に呼ばれ王家の手紙を読んだペルシャの手は震えていた。


「私が何か粗相をしてしまったのでしょうか?」

「いや、ペルシャはよくやってくれたと感謝していたよ」


ペルシャは俯き、手紙を食い入るように読んでいる。マクレーレンからの手紙もあり、日々楽しかった事を感謝する文が綴られていた。それを見てペルシャも悲しんでいるのだな、と公爵は思っていた。


が。


「何を勝手に……私の気持ちは無視ですか……?」


ぷるぷると震えているのは怒りを堪えていたから。


「お父様、私出かけてきます!」

「ペルシャ!」


フシャーッと威嚇せんばかりの勢いでペルシャは駆け出した。

擬人化したままでは遅すぎる。

くるんっと一回りすると真っ白な長い毛並みの猫に変身した。


(私の魚! 逃さないわよ!)


ペルシャは駆け抜け、王城の門もするりと入り込み門番が止めるのも聞かずに一目散に目指したのはいつもの面会の場であるマクレーレンの応接間。

彼の私室の隣で語り合った日を思い出し、ペルシャは憤りで泣きそうになった。


扉の前に来ると、ぴょんっと飛んでレバー式のノブをガチャンと下ろし開いた隙間に入り込む。


なぜかどんよりとした暗い部屋の中心にあるテーブルに備え付けられた水槽に彼はいた。


「大丈夫……ぐすっ。俺はただの魚じゃないんだ。グシュッ。スーパー魚なんだ。うぎゅっ」


水槽の中にぼろぼろと涙を零しながら、マクレーレンはいじいじと呟いていた。

そんな彼に足音も立てずペルシャは近付く。


ぴょんっと飛んでテーブルの上に乗ると、水槽の中を覗き込みパシャンと手を入れた。


「泣くくらいならどうして交流を止めるって言うのよ!」

「うわああああ!!」


水面がばしゃばしゃ叩かれ、マクレーレンはビクぅと全身が跳ねた。


「どうして諦めるのよ! どうしてもっと貪欲にならないのよ!」

「ペ……ペルシャ嬢……?」

「魚だから? だからなんだって言うの! 魚でもいいじゃない! 運命の番なんでしょう?

勝手にかわいそうに思わないでよ!」

「ペ、ペルシャ嬢、待って、水面叩かないで。冷たいしきみが濡れてしまう」

「冷たいわよ! もうとっくに濡れてるんだから!」


泣きながら怒りながらペルシャは水面を叩き続けた。

そんな彼女におろおろしながら右往左往するマクレーレン。

騒ぎを聞き付けた使用人が物々しい雰囲気に扉を開けて見てみれば。


そこには猫が魚を獲ろうと躍起になっている光景があって。


「なっ、殿下! 殿下をお守りするんだ!」

「ちょっ、待って! 彼女は違う!」

「長毛種の猫ちゃん! それはエサじゃないんだよ〜」


そろそろ近付く使用人たちを無視してペルシャは水面をパシャパシャ叩く。


「殿下のばかあ!!」

「ペルシャ嬢落ち着いて!」

「嬢とかいらないわよ! いつまで他人行儀なのよぉ!!」


にゃあああああん、と泣き出すびしょ濡れになったペルシャに、マクレーレンは戸惑いながらもペルシャの言葉は他人行儀じゃ嫌だと言っていることに喜びを隠しきれず、報告を受けた国王夫妻がやって来るまで水槽の中で右往左往とそわそわしていたのだった。

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