第4話


 マクレーレンとペルシャの交流は穏やかに過ぎていく。

 庭の四阿に設置されたテーブルには、マクレーレンが登れる水槽が設置された。

 池のままではペルシャが屈まなければマクレーレンとまともに話せなかったからだ。

 魚だがマクレーレンにも王子費が宛がれわれているので費用はそちらから捻出された。


 テーブルに設置されたことで目線が合うようになり、ペルシャと目が合う度ドキドキする高揚感を味わう。

 虹彩が細くなり隠してあるシッポがパタパタ揺れる様が可愛らしく、マクレーレンは段々ペルシャに惹かれていく自分に気付いていた。


 だが、魚と猫の獣人。

 二人が触れ合える事は無い。

 マクレーレンは自分が魚であることを十分に理解していたから例え惹かれてもそれを口にする事は無い。

 ただこうして穏やかに話せたら。

 四阿で、陽の光を浴びてペルシャがうとうとする様を見れたら。

 それだけで彼は満足した。


 それでも日々膨らむものはある。


(私の気持ちを伝えては迷惑だろうな……)


 いつかペルシャは自分ではない誰かと結ばれる。

 奇跡が起きて気持ちが通じても魚ではペルシャを抱き締めることすら叶わない。

 運命の番といえど、結ばれるとは限らないのだな、とマクレーレンはこぽりと泡を吐いた。


 一方のペルシャは奇妙な気持ちが芽生えていた。

 目の前にいるのは運命の番という名の捕食対象者。

 最初の頃こそ本能が刺激されて手が出そうになっていたが、表情豊かな彼に対して交流を重ねる毎に庇護欲をそそられ、

 今では他の誰よりも一緒にいたいと思うようになっていた。


 けれど猫から好かれてもただでさえ短い命の危機を感じるだけだろうとその想いをひた隠す。


 魚と猫。

 それだけで、二人が想いを重ねられない理由に十分だった。



 そんな二人を周囲は温かく見守っていたが、ある時のこと。


 いつものようにマクレーレンを訪ねてきたペルシャは、彼の様子を見て驚きに息を呑んだ。


「殿下……っ! 殿下、しっかりしてくださいませ!」


 目を見開いたままのマクレーレンが水槽の中でただ浮いているだけ。

 いつもなら表情豊かに動き回る彼なのに、その日はただ静かに佇んでいるだけだった。

 ただならぬ様相にペルシャの顔から色が消える。


「どなたかっ! 殿下がっ……」


 淑女らしからぬ声を出し、足がもつれるのも構わず扉に向かう。ペルシャが慌てるのに異常を察した侍女が扉を守っている護衛騎士の一人に伝え、侍医を呼びに行き、もう一人いた騎士が倒れそうなペルシャを支えた。


「公爵令嬢殿、しっなりなさいませ」

「だって、だって、殿下が……、殿下……」


 騎士がちらりと水槽を見ると、確かにマクレーレンは動いておらずただ浮かんでいるだけ。

 ピクリとも動かない様子にドクン、と一つ鼓動が跳ねた。


「殿下のご様子がおかしいとお聞きしましたが」


 侍医が駆け付けマクレーレンに近寄る。


「……ふむ」


 水槽の上から、横から、斜めから診察し、そうして、小さく溜息を吐いた。


「殿下、恐れながら、お客様がいらっしゃっておりますよ」


 侍医が声をかけると、マクレーレンの瞳に光が差した。

 胸びれもぴくりと動き、ぱちぱちと瞬きをする。


「ん……ふぁ、あ……。すまない、ちょっとうたた寝してしまっていたようだ」


 マクレーレンがふああ、とあくびをすれば泡がポコポコと水面に浮かんだ。

 ペルシャは半ば呆けて、へなへなとその場に座り込んだ。


「殿下……ご無事で……」

「ん? あ、ああ、ラグドール公爵令嬢……、っと、すまない、交流の時間だったか! 寝過ごしてしまったようだ」


 あたふたと右往左往するマクレーレンを見て、ペルシャはじわりと目尻に涙を浮かべた。

 それを見たマクレーレンは目を見開き、更に右往左往する。


「すまない、ちょっと水温が温かくてついうとうとしてしまったんだ。せっかくの貴重な交流の時間だというのに失態だな」


 しゅん、と項垂れたマクレーレンを見て、ペルシャはふくっと笑いが漏れた。


「ふっ、ふふふっ、うふふふ。なんだ、なぁんだ、殿下は寝過ごしてしまわれただけでしたのね」

「す、すまない……」


 胸びれで頬を掻こうとするも届かず、代わりにパタパタと動かした。

 それを見てまた笑いがこみ上げ、同時にぽたりと雫が伝う。


「ラグドール公爵令嬢……」

「すみません、安心したら気が抜けてしまいました」


 懐からハンカチを出そうとするが、手に力が入らず上手く掴めない。そこへそばにいた護衛騎士がそっとハンカチを差し出した。


「私ので良ければどうぞ」


 一瞬目が合って、柔らかに笑んだ。断る理由もなく、ペルシャはありがたく使わせてもらう。


「ありがとうございます。貴方は先日の……」

「騎士のシュヴァル・ストークと申します」


 恭しく礼をすると、ペルシャはハンカチを受け取った。


「洗ってお返ししますね」

「かしこまりました」


 身分の高い女性と、王族の護衛騎士なんでもないやり取り。

 ホッとして気が抜けて涙が出た女性に、紳士として手を貸しただけ。


 たったそれだけなのに、マクレーレンはただ見ているだけの自分でしかないことにショックを受けた。


 ペルシャの涙を拭うのは自分でありたかった。

 少しうたた寝しただけで泣かせてしまう弱い存在でいたくなかった。

 震える手を包み込み、大丈夫だと言いたかった。


 けれど伸ばした胸びれはペルシャに届かない。

 ただ、水の中を小さく揺らし、それだけで終わってしまった。


(ただ、話をするだけでよかったのに)


 魚の自分を見て卒倒しない珍しい女性。

 それが運命の番という、奇跡的な巡り合わせ。


(きみはこんなにも遠い)


 水槽と陸地。

 大きな差はマクレーレンの心に再び陰を差した。

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