第3話
「殿下は本当に博識でいらっしゃいますね」
「弟の授業を一緒に聞いていたんだ。彼が国王になるだろうから、できれば補佐をしてやりたいんだがね。ヒレは出せなくても相談相手くらいにはなれるように」
「きっと頼もしい参謀になりましてよ」
出会った日から数カ月。マクレーレンとペルシャの面会は、和やかな空気が漂う。
時折水槽にペルシャの手が伸びるが、初日の握手もどきを思い出したマクレーレンがそわそわしながら胸びれをくっつけるからそれがまたほのぼのな空気を生み出していた。
ペルシャはそんな空気を壊さぬように伸びる手をもう一方の手で押さえながらニコニコと笑みを浮かべた。
「本当なら触れ合えたらいいんだけど、……獣人の体温は魚にとってはヤケドしてしまうらしいんだ」
「大丈夫ですわ、殿下。今のままで十分満足しておりますから」
「……そうかい」
無表情だが、なぜかペルシャの目にはしゅん、と少し寂しげに俯くマクレーレンが見えている。
なんとかそんな彼を励まそうと、積極的に話し掛けているのだ。
「そうですわ、殿下。水槽の中のこの穴はどこかに繋がっているのですか?」
「ああ、実はこの水槽は外の中庭やその先の海に繋がっているんだよ」
マクレーレンの棲家である水槽は私室の真ん中にある立派な棚に置いてあり、水槽の底の部分には丸い穴が空いている。見た目には分からないが、棚の下の扉を開けば配管が隠されていて、マクレーレン曰く王宮の廊下を通り外に繋がっているらしい。もちろん下水道とは別ルートだ。
「水槽の中だけでは退屈だろうと、父上たちが特注で作って下さったんだ。王宮の廊下に水管を張り巡らせているからどこにでも行けるんだ。壊れないよう強化してあるから安全だよ。
……そうだ、中庭に散歩に出てみるかい?」
ペルシャは目を丸くした。マクレーレンとの面会は部屋の中で話したり食事をするくらいだろうと思っていたから。
「ぜひ、お願いします!」
「では早速行くとしよう。すまないが、そこのきみ、ラグドール公爵嬢を中庭までエスコートしてくれ」
「かしこまりました」
マクレーレンが控えていた騎士に指示すると、騎士は「失礼いたします」とペルシャの手を取った。
ペルシャもにこやかに自然にエスコートに身を任せる。
それを見たマクレーレンは、仕方ないこととはいえ、チクリと胸が痛んだ。
自分が頼んだはずなのに胸の奥が焼け付くようだった。
けれどこぽりと息を吐くと、水槽の中を一回り。
「じゃあ、私は先に行くから。中庭で待ってるよ」
返事を待たず、ぱしゃんと音をさせて水槽の底の穴に入って行った。
ペルシャと騎士は目を見合わせて、中庭へと歩を進めた。
王宮の回廊を騎士のエスコートで歩く。
普通であれば隣にいるのは殿下だったのだろう、とペルシャは不思議な感覚をおぼえた。
マクレーレンは魚ゆえ魔力が低く、人型になれない。
ふと、もしも彼が人間になれたなら、と想像し、ペルシャは一瞬身震いがした。
魔力が足りず、結局体は魚のままで、胸びれが手になり腹の下から足が生えている姿が浮かんでしまったからだ。
足のつま先からぶるぶるっと波打つように毛が逆立っていくのを、頭を振ってごまかした。
すると隣からクスリという声が聞こえた。
訝しげにそちらを見ると、騎士は口に手をあて咳払いをして気まずそうに誤魔化した。
「すみません、令嬢の反応に見入ってしまいました」
面白いものを見たと言わんばかりについ漏れ出たものだが、令嬢相手に失礼だったな、と頭を下げた。
「あなたは正直なのですね。許します」
「ありがとうございます」
目を見合わせ、互いにクスッと吹き出した。
「しかしとても難しそうな表情でしたが、何をお考えで?」
「たいしたことはないのです。ただ、もし殿下が人間になられたとき、お腹の下から足が生えてきたりしたらどうしようかと」
真面目に話すペルシャに、騎士は目を丸くした。
そして堪えきれないというように肩を震わせ始めた。
「……正直すぎるのは問題ですわ」
「くくっ、失礼いたしました」
思わず苦虫を噛み潰したような表情になるペルシャをよそに、騎士はしばらく肩を震わせていた。
王城の中庭にある東屋のそばには、小さな人工の池がある。
マクレーレンは既に来ていたようで、池でぱしゃんぱしゃんと飛び跳ねていた。
それを見たペルシャの本能がくすぐられ、騎士を置いてマクレーレンへ近付いていく。
「ラグっ、ドール、公爵っ、令嬢、待って、いたよ」
何度も跳ね、マクレーレンは声をかけた。
人工の池は水槽と違い目線の高さが合わず、当たり前だが蓋すらもない。
ペルシャのマクレーレンを見る虹彩は細くなり、人型になって隠れているシッポがしゅぽんと生えふりふりと動いた。
「いけませんよ、ラグドール公爵令嬢」
視線がマクレーレンに釘付けになったペルシャの手をそっと取って引いたのは先程エスコートした騎士。
ハッとして出てしまった尻尾を納め、顔を赤くして俯いた。
「すみません、つい……」
二人のやり取りを、マクレーレンはもどかしい思いで聞いていた。
ここが外で、水槽でなくて良かったと思った。
ペルシャがどんな表情で騎士を見ているかなんて知りたくなかったから。
もやもやした気持ちを払拭するように、池の中をスイスイ泳ぐ。
考えたいとき、考えたくないとき、思考がまとまらないとき、落ち着かないときは無我夢中で泳げば発散された。
魚で生まれたことを恨んだことはない。
魚で生まれた己を愛してくれ、気遣ってくれる両親や弟には感謝しかない。
けれど、今、こうしてペルシャに触れることができない事にマクレーレンは生まれて初めて歯がゆい思いがしていた。
「ラグドール公爵令嬢、中庭はどうだろうか」
「はい、お花がとてもきれいですね」
気を取り直して中庭を楽しむ事にしたマクレーレンは、もどかしい思いに蓋をしてペルシャとの時間を有意義に過ごした。
けれど、彼女のそばに寄り添う騎士に、少しばかり黒い気持ちを芽生えさせた。
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