第2話


「ラグドール公爵令嬢、息子の話し相手になってくれたことを感謝する」


 マクレーレンの父でもあるノルデン王国の王と王妃は、涙を流して喜んだ。

 ペルシャは苦笑いを浮かべそうになり、慌てて淑女の仮面を取り繕った。


 マクレーレンの押しと、胸びれによる挨拶が胸にキュンときたことにより話し相手になることを決めはしたものの、その先もねだられそうな気がしてしまったのだ。


「陛下、娘ももう十六と年頃です。殿下の話し相手にとは申しましたが……」

「分かっている。話し相手になってもらえただけでそれ以上を望みはしないよ」


 手布で涙を拭いながら、国王は汗をかきかき目玉を左右に忙しなく動かした。同時に王妃も涙を拭いながら右肘で夫を突き、ペルシャとその父をチラチラと見ていた。


「あ、あー……あとは、そうだ、うん。先があるかは二人次第ということで、その」


 歯にものが挟まったような言葉に、ラグドール公爵は不安をおぼえた。

 彼としてはそろそろペルシャに婚約者を、と思っていた矢先のことだった。

 第一王子のことは聞いていた。

 だから断る口実の為にも順番が回ってくるまでにいくつかの家に打診するも、なぜか都合よく相手側に運命の番が現れたのだ。

 獣人の運命の番は出会った瞬間恋に落ち他に目が行かなくなる。無理に結婚しても蔑ろにされるのは目に見えているし、ペルシャが猫獣人なだけに泥棒猫と言われてもたまらない。


 ただ、物事に例外はあって、ペルシャはのんびりやで勘も鈍い。親としては分からないまま終わってほしい。

 実際のところ、マクレーレンはペルシャに運命を感じたし、ペルシャもここぞとばかりに勘を発揮したが、生憎彼女はまず魚と結婚ができるのか以前に、獲物として見ないようにするだけで精一杯だ。

 恋愛以前にただでさえ別の本能を刺激されるのだ。

 だから運命の番と言われても目の前の獲物に飛びつかないようにする事に集中し、愛し合う以前の問題だったのはラグドール公爵にとって不幸中の幸いだった。


 互いに子の幸せを願う国王夫妻とラグドール公爵。

 願いはしても魚と、と思えばどうにかのらくらかわせないかというラグドール公爵と、せめて恋の一つ経験させてやりたい、あわよくば生きる糧となってほしい、なんなら運命の番だから番ってほしいし結婚してほしい国王夫妻の裏のやり取りが場の空気を作り、マクレーレンとペルシャは目が合うと苦笑してしまった。


「ラグドール公爵、見たか? 二人はもう目と目で通じ合う仲だぞ。さすが運命の番だな。はははは!」


 王妃に突かれ国王は苦し紛れにアピールする。

 公爵が娘を伺うように見れば、ペルシャは困惑気味だった。


 そんなペルシャの様子を見て、マクレーレンは小さく溜息を吐いた。コポ……と空気が水面に浮かび上がり、すぐに消えてしまう。


「父上、あまりはしゃがないでください。ラグドール公爵令嬢に迷惑ですよ。ようやく私の話し相手になってくれる女性に出会えたのです。

 良き友人になれたらそれでいいのですから」


 無表情に言うが、その様が親にとって悲哀を呼んだ。

 いっそのこと同じ種類のメスの魚を水槽内に入れようとしたこともあった。だが彼はあくまで獣人としての矜持を保ちたいとずっと独りだったのだ。

 魚に生まれたことを恨みもせず、むしろ生んだ母に感謝をするような息子だった。

 国王夫妻は不甲斐ないと己を何度も責めたが、マクレーレンは両親を責めなかった。


 弟と同じ部屋にいればいつの間にか言葉を覚え、喋り出したときを昨日のことのように思い出す。


『さ、魚がしゃべったぁ!!??』


 互いに抱き合い驚愕している二人に、マクレーレンは話し掛けた。


『マクレーレンです。ぴったりな名前を付けていただきありがとうございます』


 息子がまず述べたのは感謝だった。

 以後彼は知識を吸収し、もしも人型をとれていたなら間違いなく賢王と呼ばれる程になっていただろうと周囲を唸らせた。


『私はいつまで生きられるのでしょうか……』


 水槽内から見える花瓶の花の花弁がひらりと落ちたのを見て、呟いた。

 それは見る者の涙を誘い、そんな息子の為に国王夫妻はなんとかしたかったのだ。


 通常の獣人と等しい経験をさせてやりたい。

 息子が望んだのは誰かと友人になること。

 恋をしてみたいこと。


『きっと無理でしょうが』


 無表情でははは、と笑う様がまた、涙を誘う。

 王命で年頃の令嬢を招待し、マクレーレンに会わせて来たがどの令嬢も一目見るや気絶してしまった。

 七度の茶会で七十人。

 二度の夜会で二十人。

 個人面談に切り替えて八人。

 二度目に会うことはペルシャが初めてだった。


 マクレーレンの一つ下のペルシャだが、今までラグドール公爵がのらくらと躱し続けたせいで九十九人目になった。

 灯台下暗しとはこのこと。

 鼻息荒くなるのも仕方ないのかもしれない。


 けれど――

 そんな両親の熱とは裏腹に、マクレーレンは既に諦めてしまっていた。

 九十八回令嬢が気絶するのを見て気落ちした彼だが、ペルシャが気絶しなかっただけで十分だった。

 普段あまり喋らない彼が饒舌になったのは嬉しかったからだ。

 だから、もう、それだけで満足しよう。

 そう、思った。


「ラグドール公爵令嬢、ありがとう。私を見て気絶しないでいてくれたのはきみだけだった。

 昨日沢山話せたことはきっと一生の思い出となるだろう。もう、悔いはないよ。ははは」


 無表情で爽やかに笑ったような気がした彼を見て、ペルシャの胸がズキンと痛み、きゅうっと締め付けられた。

 魚ゆえ表情には出ないが、きっと今までもどかしい思いを何度もして、その度に諦めてしまったのだろう。

 それを思うとやはり無碍にするわけにはいかないと思ってしまう。


「お父様、淑女たる者、一度決意したことを覆すなどは許されませんわ」

「ペルシャ!」


 意を決し、ペルシャはマクレーレンの水槽に近付いた。


「殿下、申し訳ございません。大変失礼な真似をいたしましたこと、お許し下さいませ」

「れ、令嬢、頭をあげてくれ。きみは悪くないんだ」


 魚に生まれたことはマクレーレンの罪でもないのに、彼は諦めを覚え、慣れてしまったことがペルシャは悲しかった。

 本当は見ているだけでじゅるっと涎が垂れそうになる。

 ぱたぱたとヒレを動かす様を見れば、思わず手が出そうになる。

 けれどなんとか堪え、じっと彼を見据えた。


「私と殿下が運命の番というのであれば、きっと悪いようにはならないはず。おとぎ話でも幸せになれるって、言っていた気がします」


 相手が魚の場合はどうなのだろう?という疑問を振り払い、ペルシャはブンブンと頭を振った。


「まずはお友達になりましょう。その先は、自分たち次第でいかがでしょう」


 昨日よろしくと水槽越しに胸ビレと肉球を合わせた仲だ。

 すぐにでは無理でも、そのうちなんとかなるだろう。

 難しいことを考えるのは苦手なペルシャだが、それがマクレーレンの気持ちを救うことはまだ知らない。



 その後マクレーレンとペルシャの面会は、水槽にしっかりと蓋がなされ、侍女と騎士の見守る中行われた。


 ぎこちなさはあるもの、ペルシャは気絶することなくマクレーレンとの会話を楽しんだ。

 むしろ知識の豊富さに感嘆し毎日でも会いたいと望むほどで、次第に食欲ではなく、一獣人として尊重するようになるのだった。


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