前世編/第一章
第1話
「やあ、初めまして。ああ……何ということだ。きみは私の番だね……。
ああ、すまない。私の名前はマクレーレン・ヘヒト。この国の第一王子だ」
自己紹介をして、きっと彼は笑ったのだろう。
マクレーレンの目の前にいた少女は少しばかり目を見開き、そう思った。
「すまないね、驚いただろう」
「……っ、いえ、その」
苦笑されたと思った少女は、動揺を悟られまいと慌てて居住まいを正しカーテシーをした。
「申し遅れました。ペルシャ・ラグドールと申します。よろしくお願いします」
「ペルシャ……、ペルシャか。いい名前だね。きみにぴったりだ」
ペルシャはマクレーレンに、ふわ、と柔らかな笑みを見た気がした。
誰から見ても無表情で無機質な彼だが、運命の番たる彼女から見れば分かる。分かるからこそ運命の番なのだ、と普段鈍感なペルシャだがここぞとばかりに鋭い勘を発揮した。
目の前にいるのは触れられない尊き存在。けれど一目見たときに心の底から歓喜した。
自分はこの者に出会う為に生まれてきたのだと。
現に涎が出てくるのを堪えるのに必死だ。
あまりの歓喜に恍惚の表情になりそうだし、彼女の本能が刺激される。
それを淑女の矜持をもって必死に押さえている。
「ありがとう、ございます……。殿下も、ぴったりなお名前です」
彼のきょとんとした丸い瞳が少しばかり大きくなる。やがて、破顔してきっといい笑顔で吹き出して笑ったのだろうと、その場にいるみなが思った。
なぜなら、そこに響いたばしゃんばしゃんと跳ねる水音が喜びを表現しているからだ。
マクレーレン・ヘヒト第一王子とペルシャ・ラグドールという運命の番はこうして出会いを果たした。
ただ一つ、他と違って残念なのは。
マクレーレンは魚、ペルシャは猫獣人という組み合わせ。
これで運命の番というから、運命というものは皮肉である。
◇◇◇
「王家というものは色んな血筋が入るものなんだよ。先祖である王太子が真実の愛で結ばれた相手が実は人魚だったらしい」
マクレーレン曰く。
時の王太子が他国へ視察に出掛け、帰りの船が嵐に遭遇し難破してしまった。あわや全滅かと思いきや、ちょうど通りがかった人魚たちが息がある者を救助し、王太子はじめ数名の乗組員は生き延びたのだそう。
その後助けてくれた人魚を探すと彼女は人型になって現れた。
「当時の王太子には既に婚約者がいた。だが命の恩人の人魚を他に下げ渡すこともできず、正妃として迎えたんだよ」
マクレーレン曰く。
婚約者より人魚の方が美しかった。
更に出会った時の格好は、美の女神のごとく上下とも貝殻で大事な部分を隠していただけだというから、王太子のスケベ心を存分に刺激したのだろう。
いわゆる「真実の愛」である。
「婚約者との婚約は破棄して周囲の反対を押し切って結婚し、子宝に恵まれた。子どもたちは普通の獣人だったそうだ」
マクレーレン曰く。
数百年、王家に人魚の血が現れることはなかった。だが遺伝子は残り、こうして時を経て子孫に発現した。ただ、薄くなりすぎた為か人になれる程魔力はなく、こうして魚として産まれたのだと研究者は語った。
「母上は私を生んだ時とても驚いたそうだよ。超安産だと喜んだのも束の間。お腹の中の殆どが塩水で、出てきたのは私だったんだ。産婆の持ったタオルの上でビチビチと跳ねる我が子を見て卒倒しなかったそうだからさすがだよね」
さすがは王妃様、とペルシャは謎の感慨深さを覚えた。自分なら産まれた子が魚なんて耐えられないだろう。卒倒しなかったということは強靭な心の持ち主に違いないと尊敬の念すら芽生えた。
ちなみに獣人ははじめ、獣の形で生まれる。この国ノルデンは主に獣人が住まう国だが、世界中を見れば人間の比率が高い。
だから幼少期に体内魔力を使って人型になる練習をし、その姿を維持する事で外に出られるようになるのだ。
だがマクレーレンは生まれた時から保有する魔力が少なすぎて人型になれず、更に余命五年と宣告された。
だが王家の力を駆使しなんと十八年も生き長らえてきたのだ。
王家の力は偉大なり。
「第一王子用の予算を全て私の延命に使ったそうだよ。この水槽から繋がる回廊に設置された管を通ったり、中庭の人工池に繋げて更にそこから海に出られるようにしてあるし、割と自由に過ごせているよ」
スイスイと水槽の中を優雅に泳ぐ様を見て、ペルシャは思わず手が出そうになるのをもう一方の手で必死に押さえた。
猫としての本能が爪を立てたいと叫んでいる。
そうして咥えて誰にも見つからない場所へ運び、思う存分堪能したいとも。
いやいや、それはいけない、魚とはいえ彼は第一王子。決して網の上で焼いて、大根をおろしたものに東国の秘伝ソースをかけて絡めたら、なんて発想も慌ててかき消す。
――この縁談は断ろう。
運命の番だからこそ、彼には長生きしてほしいし幸せであってほしい。
運命の番から捕食されるなどあってはならないし、仮にも第一王子。
ペルシャはマクレーレンの話を上の空で聞きながらそう決意した。
そんなペルシャの様子を見て、やはり魚では無理だよな、とマクレーレンは毎度のことだと己に言い聞かせていた。
縁談自体初めてではない。
何度も顔を合わせ、その場で倒れられた。
第一王子に会えると意気込んで来た令嬢たちは、みな謎の体調不良を訴えた。
宣告された余命を遥かに上回る生を得られたが、二十歳までは流石に……というのが医師の見解だ。
せめて年頃男子のように女性とお話を、と片っ端から人間、獣人問わず年頃になった女児がいる家をあたり、九十九人目にしてようやくペルシャに出会えた。
ちなみに倒れなかった女性はペルシャだけだったので、マクレーレンはいつも以上に饒舌になっている。けれど浮かない表情のペルシャを見て口を閉じてしまった。
「……やはり、魚の私ではだめだよな……」
すっかり気落ちした声を出し、底に沈みそうなマクレーレンに、ペルシャはハッとして慌てて否定した。
「いえ、そうではありません。……ある意味そうなのですが、猫と魚という、その……捕食者と獲物というのが私の本能を刺激してしまうのです」
マクレーレンは目を見開いた。
初めて、魚であることに嫌悪を示されなかったからだ。
むしろ獲物として見られているのは中々どうして背筋――背ビレがビシッとなる思いだった。
「どうだろう、ペルシャ嬢。きみさえ良ければ私の話し相手になってくれないか?
きみの本能をなるべく刺激しないように万全の体制を整えるから」
マクレーレンは逃したくなかった。
運命の番というのを除いても、彼女と過ごしたくなったのだ。
ペルシャは少しばかり考え、小さく頷いた。
運命の番というものが彼女を突き動かしたのだろうか。
食べたくなる欲求を押さえられるならマクレーレンのことをずっと見ていたいと思ったのだ。
魚ゆえ表情には出辛いが、彼はくるくると表情が変わっている、と感じていた。
だから、この時間が楽しかったのだ。
彼の声をもっと聞いていたくもあった。
「ありがとう、ペルシャ嬢。これからよろしく頼む。……って握手すらできないけど」
照れながら、マクレーレンは水槽のガラスに胸びれをちょん、と付けた。
ペルシャは何だか可愛らしいものだと微笑んで、ガラス越しにその胸びれにちょん、と指先を付けた。
たったそれだけで、何だが心が温まるような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。