聖女試験

櫻井金貨

第1話 試験前

「一通」

「二通」

「三通……」


 その日の朝、ルミエールは小さな寮の個室に置かれたストーブに、手紙を一通、一通と差し入れて燃やした。


 全部で二十三通。


 最後となる手紙は、今日の十時に神殿に届けられるはずだ。

 それは二年間、休むことなく続けられた故郷からの大切な手紙。


 ルミエールの故郷は、王都を遠く離れた辺境にある。

 緑の山と呼ばれる山の上では、ルミエールの家族を含め、数家族が暮らしている。


 山のふもとには、小さな村と古い領主館があった。

 老いた領主の後継となる青年の名前は、レック。

 ルミエールより何歳か年上の彼は、穏やかで、誠実な男だった。

 父を助けて、領地のために日々働いている。


『これは助かる。老先生はもう足腰が弱って、山に薬草採りに行くことはできないからね』


 ルミエールは少年のような服装をして、ヤギと一緒に山を駆け回り、レックに頼まれた貴重な薬草を採って、領主館に届けた。


『ルミ、おまえは本当に私の弟のようだね』


 村中を歩き回って、領民の手助けをするレックに付き添い、まるで助手のように働くルミエールに、レックはよく言ったものだった。


 そんなレックは、二年前にルミエールが王都へ行ってから、毎月のように山に登り、ルミエールの家族を訪ねて手紙を受け取った。

 その足で馬を走らせて王都の神殿まで手紙を運ぶのだ。


 毎月一回、二十三通にもなった手紙。

 でも、これももうすぐ終わる。


 ルミエールは、わざと震える手で、一通の手紙を書いて、ベッドの上に残した。

 むき出しのレンガの壁に沿って置かれた、小さなベッドだ。


『わたくしには聖女は務まりません。女神様、試験を受ける勇気もないわたくしをどうぞお許しください』


 そう書けば、神殿の神官達は、落ちこぼれ聖女候補はしっぽを巻いて逃げ出したのだ、と納得してくれるだろう。


***


ルミエールが試験控室に入ると、いっせいに冷たい視線が向けられた。


「主役は一番最後の登場、というわけ? 成績最下位の落ちこぼれ聖女候補のくせに」


「あら、お掃除と奉仕だけはよい成績だと伺いましてよ」

「さすが、庶民だけありますわ。誰にでも取り柄はあるものですわね?」


「田舎の山から来た、野蛮人。教養もなくて、どうして神殿でお務めができましょう?」


 一人の金髪の少女が、すっと立ち上がって、ルミエールの栗色の長い髪を引っ張った。


 背が高く、すらりとして、腰まで届く金糸のような金髪をした少女だった。

 聖女候補の白い簡素なドレスも、彼女のものは高価な布地を使って仕立てた、特注品だ。


「汚らしい色。これだから、庶民の娘は」


 金髪の少女は公爵令嬢で、誰もが認める筆頭聖女候補のベルリアーナだった。


「品位というものがないわ」


 少女達のくすくす笑いが控室に広がる中、ルミエールは無言のまま部屋の端に置かれた椅子に腰を下ろした。


 まばゆい白大理石造りの神殿。

 参拝者の目に入らない、こんな奥まった一角でも、神殿内は美しく整えられていた。


 ゆったりとソファでくつろぐ他の聖女候補の少女達から離れて座っていても、ルミエールは居心地が悪い。


 落ちこぼれ聖女、というのは正しいかもしれない。

 ルミエールは思った。


 自分は何をしても悪目立ちして、とても立派な聖女候補とは、言えない。


 しかし、成績最下位、というのは事実と異なる。


「ルミエール、あなたの課題を貸してちょうだい」

「あっ……! 何を……! 返してください!」

「ふふ。心配しないで? わたくしから先生に提出しておいてあげますわ」


 ルミエールの仕上げた課題はいつも少女達に奪われ、めちゃくちゃにされるのだった。


 授業中も邪魔をされるので、ルミエールは教師の質問に答えることもままならない。

 ルミエールは一度として正当な評価をされないまま、二年が経った。

 そんな神殿での生活も、まもなく終わりを迎える。


 二年間の聖女教育の最終段階。

 今日、聖女候補達は一人ずつ名前を呼ばれ、別室で聖女試験を受ける。


 今、試験室からかすかに聞こえてくるのは、すすり泣きだった。


「だめだった。どうしてだめなの!?」


 そんな声がもれ聞こえてきて、控室に座っている少女達は不安げに顔を見合わせた。


 バタン、とドアが開くと、試験を終えた聖女候補が泣きながら飛び出してきて、控室を去って行く。


 一人、また一人と脱落して、部屋に残ったのは、落ちこぼれ聖女候補ルミエールと、誰もが認める筆頭聖女候補のベルリアーナの二人のみになった。


「取引をしませんか?」


 突然、ルミエールがベルリアーナに話しかけた。


「あなたは心から聖女になりたいですか?」


 その言葉に、ベルリアーナが鼻白む。


「当たり前でしょう。馬鹿にしないで。落ちこぼれ聖女候補のあなたとは違うのよ」

「でも、今のままではあなたは聖女になれない」


「なんですって」

「たとえあなたがどんなに優れていても、今のままでは、聖女にはなれません。秘密を教えましょうか? でもこれは取引です。わたしも必要なものはいただくことになります」


 試験室からは、少女のすすり泣きが聞こえてきた。

 控室では、ルミエールとベルリアーナが、まるで睨み合うかのようにして、向き合っている。


「……話しなさい」


 試験は終わったようだ。

 いつ少女が試験室から出てくるかわからない。

 時間は限られていた。


(話してもかまわない。どうせ、もし信じないのであれば、情報を与えたとしても無駄になるのだから)


 ルミエールは心を決めた。


「心から、癒しヒールを必要としている人々のために祈るのです。それだけ。でも、もしあなたがただ自分のため、名誉欲のため、お金のために祈るのであれば、癒しヒールの力は使えない」


 ベルリアーナの表情が険しくなった。


 気分を害したとしても、かまわないわ。

 そうルミエールは思った。

 本当に聖女になりたいのなら———ベルリアーナは何をすべきか、わかるはずだから。


「どうして、あなたがその秘密とやらを知っているの?」


 意外なことに、ベルリアーナから質問が返ってきた。

 驚きながらもルミエールは淡々と言った。


「先週、神官様が聖女試験について説明された際に、試験の意図がわかったのです」


 そう言われても、ベルリアーナには何のことやらわからないだろう。

 しかし、ベルリアーナはそれ以上もう何も言わなかった。


「信じなくても結構。ただし、もしわたしが正しかったら、わたしはをいただきます」


 ベルリアーナはルミエールを見つめて、眉をひそめた。


「あなたの……?」


 次の瞬間、試験室のドアが開いて、泣きながら少女が飛び出してきた。

 時間切れだ。

 もはや運命は女神様に任せるしか、ない。


「ベルリアーナ嬢、どうぞ」


 神官が声をかけ、ベルリアーナが立ち上がる。

 そのまま、ルミエールの方を見ることなく、彼女は試験室に消えた。


 取引成立だろうか?


 ルミエールは両手を握りしめた。

 これは自分自身の賭けでもある。

 もし、ベルリアーナが失敗すれば、ルミエールは王都の人々のために聖女にならざるを得ないだろう。


 聖女はいつも足りない。

 十人いる同期の中で、見事聖女になれるのは、毎年、一人いるかどうかなのだ。


 聖女候補が受ける教育は二年間。

 神殿には常に二十人の聖女候補がいることになる。


 彼女達は聖典を読み、聖句を暗記し、瞑想と祈りを行う。

 行儀作法を習い、歴史を学び、掃除と奉仕を実践する。


 しかし、癒しヒールの実践授業はない。


 聖女候補達は、癒しヒールを行う方法を学ばないまま、最終試験となる聖女試験で、癒しヒールの実践を求められるのだ。


「”真の聖女であれば、女神はあなたに癒しヒールの力を授けるでしょう”」


 ルミエールはそう厳かに告げた、神官の言葉をつぶやいた。


 ここまでで全員が脱落した。

 もし、ベルリアーナもだめなら、ルミエールは聖女になる覚悟を決めていた。

 なぜなら———。


「困っている人を見捨てることは、できない」


 ルミエールの脳裏に、故郷の山で苦しんでいた隣人の姿が浮かんだ。


 冬山で大けがをして、すぐ治療が必要なのに、山を降りて医師を呼ぶことができない。

 たとえ山を降りられても、深く雪の積もった山を登ってくれる医師などいない。


 何かがうまくいかなかった出産。

 産婆では対応できず、母親の命も、赤ん坊の命も危ぶまれた時。


「本当に、心から祈るしかない時というのはあるの。ひたすら、その人のために女神様に祈るのよ。そして、女神様が応えてくれるのを待つの———」


 ルミエールは、そうして苦しんでいる人を癒したのだ。

 女神は、辺境の山の上で、ルミエールに癒しヒールの力を授けた。


 ルミエールの目に涙が浮かんだ。

 その時だった。


 試験室にざわめきが起きた。

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