試験ループから抜け出したい
海沈生物
第1話
タイムループに巻き込まれた。
特別、きっかけがあったわけではない。突拍子もなくタイムループに巻き込まれたのである。国語の試験開始から終わりまで、ちょうど六十分。その時間を無限に繰り返している。まだ六回目だけど。
面倒なことに巻き込まれたものだ。初回のループは「必死に埋めた解答欄がパーになってる!?」と驚いた。だが、二回、三回と繰り返して慣れると、ふと「これカンニングし放題じゃないか!?」と気付いた。
試験官の教師から怒られること承知で、クラスで一番賢い秀才の解答をカンニングした。何回も見て記憶したので、今回のテストは「勝ち」間違いなしである。
――ただ一つ、ループから抜け出せないことを除いては。
※ ※ ※
仕方がないので、このループから抜け出す方法を考えてみる。
まず、状況の整理からである。
①これは、国語の試験時間をタイムループし続けるものである。
②記憶の引き継ぎはあるが、肉体が丸ごとループしているわけではない。
(つまり、餓死することはない。千、二千と繰り返せば、発狂する可能性はあるが)
③ループしているのは自分だけである。
(五回も繰り返しているが、視界に映るクラスメイトが同じ挙動をしているため)
このループの持つ特徴は、エンタメ作品でよく見られるものだ。繰り返す時間が「国語の試験時間」という点が特異なだけである。つまり、ここにループを突破する秘密があるのではないか。
現在、ループ六回目。今回は試験問題を解くことではなく、この秘密を解くことに頭を使う。解答用紙を裏にすると、ふっと深呼吸をする。
『可能性①:国語の試験を嫌がる生徒が教室の中にいて、彼(あるいは彼女)の不安がループを引き落としているのではないか』
『可能性②:実は私が時間を操る力を持った人間であり、その力を意図せず暴走させ、この事態を引き起こしている!?』
『可能性③:私に恋する宇宙人が、アブダクションするために地球単位でタイムループを引き落としている!?!?』
ここまで書いて、無秩序な可能性の羅列は無駄であることに気付く。これは私の願望だ。本当にそうだったら、どれほど嬉しいかと思うけど。宇宙人なんて、なんぼいても良いですからね。
「……バカみたい」
後ろから声が聞こえてきた。教師の目があるので不用意に振り返ることはできないが、その声の主が誰なのか分かっていた。この紅の豚にジーナ役として出れそうな声の主は、幼馴染の
「今までのループでは話しかけて来なかった癖に、急になんだよ」
「ループ……?」
「いやなんでもない。それより、勝手に私のプリント覗いただろ。カンニングじゃないか?」
「しないわよ! あんたみたいな、バカの解答な……あっ」
私と晴美の近くには、ニコニコ笑顔で立つ教師の姿があった。
「あとでお話しがあります。雪子さん、晴美さん、教室の外に出ておいてください」
呆れとも怒りともつかない感情が、口からため息として漏れ出る。彼女のアイデンティティたる勉強のことを弄ると、すぐにヒステリックを起こす。
「……今、こいつ勉強のことを弄ったらすぐにヒステリックを起こす、って思ったでしょ」
「え? あー……そんなこと、は……」
「私、エスパーだから分かるのよ。隠さなくて良いわ。私、全然傷ついてないから」
仏頂面をした晴美はそのまま廊下の床に座り込むと、三角座りをして、小さく縮こまった。
「……ごめん」
「なんで謝るの」
「昔から、嫌なことがあると、そうやって縮こまる癖あったじゃん」
「覚えてないでよ、そんなこと」
「案外忘れられないもんだろ、そういう大切な記憶なんて」
「噓つき。本当に大切なら全部記憶していてよ」
「全部ってなんだよ。というか、私がいつ何を忘れているんだよ」
「そうやって解答ばかり求める癖、昔から変わらないよね。大事なのは解答じゃなく、その過程で何を考えていたのか、なのに」
晴美はムッとした顔をすると、少し背の高い私の顎をクイッと引き寄せた。
「問題へのアプローチとして、何かの型に当てはめ、理解するための補助線にする行為は悪くないわ。でもね、大事なのは”その現象を解決する方法”ではなく”その現象を起こした理由”の方なの。型ではない相手の感情と、ちゃんと向き合ってほしいの」
「それは……一体なんなんだ?」
「だから、そういう所が……っ!」
その瞬間、終了を告げるチャイムが聞こえてきた。どうせ全て巻き戻るし、この仲違いもなかったことになるのだが。それでも、少し気が重かった。意識が揺らぎ、暗転する。
……気が付くと、また自分の椅子に戻っていた。
「それでは、始め!」
現在、ループ七回目。前回の六回目で、なんとなくループの脱出方法は理解した。まだ予想の範囲になるが、原因は晴美である。
これは、可能性①に近い案件だ。晴美が持つ「怒り」や「不安」がこれを引き起こしている。こういう型の話は、タイムループものでよく見るから分かる。
しかし、それを理解した所で解決する方法が分からない。やれ「解答」じゃなく「過程」を重視しろだの、言っていたが。
「過程がどうあれ、解答さえ合ってれば問題ないだろ。たとえ、それが
……晴美は、幼い頃から勉強が得意だった。体育以外はいつもオール5、秀才を超えて天才の領域にあった。しかし、彼女はコミュニケーションを取るのがとても苦手だった。
ネイルやファッションに無頓着、恋愛にも興味がない。そうなると、仲間の女子と話す話題がない。結果として、クラスの中で孤立して、幼馴染の私とばかり一緒にいるようになった。いつも、腕にくっついてきていた記憶がある。両親からも「晴美ちゃんと仲良いわよね、あんた」「もう結婚したら?」とよく揶揄われる程だった。
けれど、中学生になって学校が離れると、次第に話す機会が少なくなった。疎遠になってからの晴美について、私はよく知らない。時折、朝家を出る時に顔を合わせては「眉のところ、怪我したの?」「サッカーの試合中に擦りむいちゃったんだよ」「……バカみたい。気を付けなさいよね、全く」なんて声を掛け合うぐらいだった。
ただ、それだけの関係だった。それだけだったが、少なくとも、私にとって大切な時間だったと思う。彼女の呆れた表情が、笑顔が、なんとなく心の中で優しい記憶として残り続けている。
そして、今。高校一年生の春。あまり勉強が得意ではなかったはずの彼女と、たまたま同じ学校で鉢合わせになった。彼女は昔と変わらないキーホルダーを鞄に付けていて、ぼさぼさの黒髪も以前と変わらず健在だった。
「久しぶり。元気してたか?」
「根暗コミュ力0人間が元気である瞬間なんて、あると思う?」
「あるだろ。人間なんだし」
「……そうね。人間ならあるんじゃないかしら」
「なんだなんだ? 遅咲きの中二病でも拗らせたか?」
「うるさい! この毎回国語赤点すれすれ女」
「知識問題は満点だろうが」
「読解問題は限りなく0に近いでしょ。毎回」
「出題者の意図が理解できないんだよ。意味不明な傍点を付けて物事を強調したり、一言で済むことを”真珠”だの”海”だの、わざわざ婉曲的に言ったりしてさ。結局、何が言いたいのか読者に伝える気がないだろ、と思わないのか?」
「言葉を弓矢のように真っ直ぐ放ったとして、それで相手の心臓に当たるとは限らないものでしょ?」
「そういうのだよ! そういうの! 伝えたいのなら、ちゃんと分かりやすく伝えたら良いだろ。わざわざ遠回しな表現を使う意味が理解できない」
「はいはい……つまりね、人の感情はそう単純じゃないのよ。よく言われる話だけど、感情を言語化する時、そこにある葛藤や感情の大部分はそぎ落とされるの。膨大な情報を単純化することによって、他者に伝わる言葉となり得る。ただ、そぎ落とされた言語化されていない部分を語る時、遠回しな表現が必要になる時があるのよ。理解した?」
「じゃあ、その言語化されていない部分を言語化したら良いんじゃないのか?」
「……バカみたい。伝えたい感情を全て言語化できるわけないでしょ。例えば、雪子が何か秘密を持っていたとして、それを誰かに明かそうとする。その時、貴女はその秘密の全てを、感じたことを、自分の思っている考えを、相手にその全てを理解してもらうことはできると思う?」
「できるだろ」
「……まぁいいわ。ともかく、言語化できない感情を伝えるために遠回しな表現は使われるものなの。理解しなくても良いけど理解して?」
「め、めんどくせぇ……」
そんな会話をしている内、チャイムが鳴ってしまった。お互いに顔を真っ青にすると、大急ぎで教室に駆けて行った。そんな記憶がある。というか、あとの記憶はもう思い出せない。記憶の闇に消えている。
「……言語化できない感情を伝えるために遠回しな表現は使われるもの、ねぇ」
頭を搔きむしり、ああもう、と叫びたくなる。具体的に「してほしい」ことが明かされないまま、曖昧な表現ばかりでのらりくらりとされるのは腹が立つ。それでも、その曖昧なものに向き合わないとこのループから抜け出すことができない。
「つまり、こっちからも曖昧な言葉を、含みのある言葉を返したら良いのか?」
根暗で、自分しか友人がいなくて、そんな相手と離れてしまう。孤立していた晴美が、私に求めるもの。想像して、想像して、想像して。面倒だと思いつつ、彼女が求める言葉を考える。考えて、考えて、考えて。そして、またチャイムが鳴った。
※ ※ ※
現在、ループ八回目。私はテストが始まると同時に知識問題だけを埋めると、背後をちらりと振り返る。
「すいません、先生。晴美さんの体調が悪いそうなので、保健室に行ってきても良いですか?
「別に良いですが……お二人の試験用紙はここで回収になってしまいますが、よろしいですね?」
「はい。……大丈夫だよな、晴美」
ちらりと晴美の解答用紙を見ると、既に全ての欄が埋まっていた。怖すぎる。まだ開始三分も経ってないぞ。私なんて名前すら書いていない白紙なのに。どんな超技術を使ったのかと思いつつ、困惑した表情を浮かべる晴美の手を引いた。
※ ※ ※
「なんなの、突然引っ張ってきて。何かあったの?」
困惑する晴美をよそに、私は考えていた言葉を吐き出す。
「……晴美、色々考えたんだけどさ。いくらお前のことを考えても、考えても、考えても。何にも、分からない。お前風に言うのであれば、その……”他者との思考を断絶する溝”みたいなものがある? 的な。どれだけ考えても、お前の思考を、求めているものを、与えることはできない、と思った」
「……そう」
「でも、私にとって、晴美は大切なんだ。こんな真っ直ぐな物言いしかできなくて申し訳ないんだけど。中学生の頃も、ほんの少し会話を交わすだけの関係だったけどさ。それでも、そのふとした触れ合いに、他愛のない会話で、心が軽くなっていたんだ……と思った」
「……そ、そう」
「……でさ、私、昔から宇宙人が好きなんだよ」
「え」
「何驚いてるんだよ。話はここからだ」
「う、うん……」
「それでな、思ったんだ。一緒に、宇宙人を探しに行かないか?」
「……は?」
「だってそうだろ!? 宇宙人の超技術があれば、晴美が私に抱いている不満や怒りだって共有し合えるだろ? そうしたら問題は万事解決、ハッピーエンドってわけだ。どうだ? 良い案だろ?」
いつも話している時みたいに呆れた顔をする晴美を見て、気が軽くなった。この表情だ。この表情の彼女を見ると、私の心は安らぐのだ。頬を緩ませると、そっと彼女を抱きしめる。
「多分、私は晴美の理解者にはなれない。エスパーじゃないしな。でも、晴美が寂しい時に、その遠回しでよく分からない表現を聞いてあげる存在にはなれる。ほら、鳥が止まるやつ……」
「止まり木?」
「そう、それだ! 止まり木、ぐらいにはなれると思うんだ。それで晴美が納得してくれるのか分からない。でも、それでも……大切なんだ、晴美のことが。少なくとも、その……」
「とまり、ぎ…………ふふっ、ふふふ」
「なんだよ、なにかおかしいのかよ」
「そんな表現が雪子から出てくるなんて、ちょっと思っても見なかったから。でも、ありがと。感謝しておくわ。……まぁ求めていた答えではなかったけど。ちゃんと感情と向き合ってくれたみたいだし。今回はこれで許してあげる」
晴美が珍しく笑みをこぼしたちょうどその時、チャイムの音が聞こえてきた。どくんどくんと緊張から心臓が跳ねる。しかし、暗転は起こらない。無事に乗り切れたようである。ほっと息をつくと、彼女は振り返り、不敵な笑みを浮かべる。
「やっとループが抜けられて良かった、って今思ってるでしょ」
「…………え」
「ほらほら、私は大丈夫だけど、雪子は国語のテスト白紙でしょ? このままだと、赤点祭りで卒業できなくなるわよ? ほら、勉強教えてあげるから。さっさと行くわよ」
彼女は私の腕をギュッと掴むと、ズルズルと教室へと引きずっていく。私は最大級の困惑を浮かべながら、今はともかく、これで良いかと思っていた。
試験ループから抜け出したい 海沈生物 @sweetmaron1
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