ある一つの火山


 その日の朝、通勤途中にカバンから音が鳴った。

「何だろ」

カバンの中のスマホを取り出し、画面を確認する。

「お姉ちゃんだ」

そこには、姉からのメッセージ通知が一件、表示されていた。

『何なに?』

『私達にも見せてよ』

後ろから、向日葵と秋桜が顔を出して、スマホの画面を覗き込んでくる。

「なんか…、絵文字がいっぱいだな」

何やらたくさんの絵文字で彩られている文章の中に、驚きの言葉が書かれていた。

「『私の漫画、アニメ化決定したよ』…?えっアニメ化!?」

『アニメ化ー!?』

『へぇーすごいじゃない。そういえば、めいのお姉さんって漫画家だったわね』

「ほんとすごいよ。人気あるのは知ってたけど、まさかアニメ化だなんて」

興奮気味になりながらも、あまりにも驚きの報告で信じられなかった私は、SNSアプリを開いて姉の漫画タイトルを検索する。

「すごい、本当にアニメ化の情報出てる。喜んでる人もいっぱい。今話題のワードランキングにも入ってる」

画面をスクロールさせて夢中で見ていると、秋桜に肩を叩かれた。

『それより、時間は大丈夫なの?』

「わあほんとだ!そろそろ行かないと」

『早く行こう』

向日葵が背中を押してくれた。

「うん、返事は後にしよう」

私は急いで職場までの道を走った。



 仕事中、複雑な気持ちだった。

 姉からの報告を受けて思わず笑みが溢れたものの、今嬉しいという火山が噴火したとすれば、その噴出物の中には嫉妬や劣等感など、ネガティブなものも含まれていることに薄々気付いていた。

「はー…」

ちょうど周りに人が居なかったのをいいことに、品出し作業中にも関わらず、深くため息を吐いてしまった。靴下売場で、下を向いたまま商品をフックに掛けようとしていると、近くに人が来た。

「小柳さん、何してるの?」

話しかけてきたのは、先輩の氷雨ひさめさんだった。彼女はしゃがんでいる私を無表情で見下ろしている。何を考えているか読み取れないものの、オーラに凄みを感じた。

「す、すみません!周りに誰も居なかったので、つい…」

必死に頭を下げた。

 これはきっと怒られる。そう思っていた。

「具合でも悪いの?」

氷雨先輩はしゃがんで目線を合わせ、私の顔をじっと見ている。まるで、動物が自分の敵ではないか見定めているみたいなかんじがした。

「いえっ!全く、具合悪いわけではないです」

内心怯えているのを抑えながら、はっきりと話す。

「そう。でも…、心の具合は悪そう」

「えっ?」

意外な発言に驚いて目を瞬かせていると、氷雨先輩はおもむろに、制服のポケットから何かを取り出した。

「良かったら、後で食べて」

そう言って私の掌に置いたのは、飴の小袋だった。

「えっ、でも」

「それ、この前旅行先で買った、ちょっと特別な飴なの。景気付けにどうぞ」

彼女は唇の端を少しだけ上げて、静かに笑った。その瞬間、胸が温かくなっていくのを感じた。

「では、お言葉に甘えて…。ありがとうございます」

私が深々と頭を下げると、氷雨先輩はくすっと笑い、その場を去っていった。

 氷雨先輩、やっぱりいい人だなぁ。もらった飴の小袋を見つめ、顔を綻ばせた。

 先輩は、私より五つ年上で、この店の勤続も五年ほどになるらしい。無愛想、何を考えているか分からない。そんなネガティブな噂話も纏わりついているらしい彼女だが、さっきみたいなことは、以前にもあった。

 出会った当初は戸惑うこともあったけれど、優しさを感じる出来事がゆっくりと増えていき、私は先輩を好きになった。

 ただ、先輩から自分についての話は一切聞いたことが無く、他の社員も聞いたことが無いと口を揃える。私生活などは謎に包まれ、知りたくて歩み寄ろうとすれば、離れる。そんな雰囲気が、彼女にはあって。

 もっと色々、話してみたいなあ。そう思った途端、左隣に秋桜が現れた。

「なんか、好きな人になかなか近付けなくて悩む乙女、みたいになってるわね?」

秋桜はくすくす笑っている。

 確かに。ちょっとそれっぽいね、と心の中で笑う。

 優しい、ちょっと近付けたって思っても、すぐ離れていっちゃう。気まぐれな猫が懐いてきたと思ったら、すぐどこかへ行っちゃうみたいな。

『まあ、その例えは分からなくもないわ。…でも、氷雨先輩もいい人よねぇ。こんなへっぽこ社員なのに、優しくしてくれて』

 へ、へっぽこぉ!?

『へっぽこ言わないの。めいは頑張ってるんだから、これでも』

什器の影から、向日葵も現れた。

 これでも、だと…!?私は向日葵に強い視線を送り、眉間にシワを寄せる。

『これでもは余計でしたね、スミマセン。でも、めいさ』

向日葵が、右隣にしゃがむ。目線の高さが、私に近くなる。

『気にしてるよね、結構。今朝のお姉さんのこと』

 まあ、そうだね。嬉しかったけど、心の底からかって言われると…、正直分かんないよねぇ。

 私は、自分の気持ちを誤魔化すように笑う。向日葵と秋桜は、黙って私の話を聞いてくれる。

 本当は、嫉妬してるんだと思う。私が小さい頃憧れてた職業に就けている上に、もう一つの夢まで叶えちゃって。私の仕事と比べたら、天と地ほど違うし。ほんとお姉ちゃんには敵わないよ。

『でもアンタは、漫画家の夢を諦めた後小説の良さに気付いて、はまって、私達の話もずっと書いてくれてるじゃない。小説家になりたいとかは思わないの?』

私は苦笑した。

 いやー、無い無い。仕事と両立して小説家を目指すなんて器用なことも出来ないし、今は自分の作品を誰かに見てもらうことすら怖くてしょうがないもの。だから、あくまで趣味で、自分だけの世界の中で楽しめればいいよ。

『ふーん。まあ、めいがそれで納得してるのならそれでいいと思うけど。でも待って頂戴、さっきの“天と地ほど違う”って言葉は聞き捨てならないわね』

話の意味が分からずぽかんとしていると、今度は向日葵が口を開く。

『そうだよ、めい。お姉さんの仕事とめいの仕事が“天と地ほど違う”なんて、あるわけないだろう』

 えっ。

 向日葵は、何かを訴えるかのようなまっすぐな目で私を見る。

『君の仕事だって、世の中の役に立つ立派な仕事だ。世間では休みの人が多い日だってお店を営業して、接客して。そんな日に限って悪質なお客様に当たりまくったりもするけど、それでも頑張って』      

 ちょ、ちょっと待って、長い。ていうか、それ以上言われたら泣く。泣いちゃう。

『もう目が潤んでるけど?』

 う、潤んでないやい!

珍しく、悪戯っぽく笑う向日葵の顔がちょっぴり悔しくて、意地になってしまう。

『よしよし。いつもよく頑張ってるわね』

秋桜は、私の頭を優しく撫でてくる。

『とにかく、めいの仕事だってとても立派な仕事なのよ。そんな自分を貶めるような悲しいこと、言わないで』

 ううっ。秋桜、向日葵ぃ…。

 ありがとう。私、頑張るよ。今日の帰りは甘いものでも買って帰ろうかな。

『よーし、その意気だ』

『らしくなってきたじゃない』

心の中の小さなヒーロー達に励まされ、今日も私は息をする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

箱の中のヒーローたち 梅猫ハル @kirara_berry

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画