芥の地獄に花は咲く

すきま讚魚

花咲菩薩

 それはある日の地獄のでのことにございました。

 其処にはひとりの見目の美しい男児が翡翠の色をした蓮の葉に座って佇んでおります。名を阿逸多アジタと云います。阿逸多は思いました。永きに渡る地獄の責め苦、真に悪しきは、それを受けるに値するは何たるかを知りたいと。阿逸多はこの地獄をよくよく知る者より話を訊きたいと、燃えさかり凍え、血の滴るやうな地獄を歩いて巡ったのでした。



 あるところに、一羽の鴉がおりました。その羽を全て毟り取られ、宝石のやうに煌びやかでたいそう重い羽衣をちくりちくりと縫い付けられては、裂かれ砕かれすり潰されるのである。然し「さあ生きよ、さあ活きよ」と風が吹くなり忽ち元の姿に戻っては、またそれが延々と繰り返されるのです。

 鴉は泣き叫び過ぎて、声も出ない様子でありましたが、阿逸多が「そなたはかのような責め苦を受けるに値する、何をしたと申すのか」と問えば、しゃがれた声で語り始めたそうにございます。


「わたしは生前、美しい孔雀に憧れておりました。ですから、一羽の孔雀の飾り羽根を頂戴しては、この身につけて威張り散らかしておったのです」

「つまり、鴉よ。そなたは自身を偽った罪ゆえの、仕打ちを受けていると云うのか」

「いいえ、これには続きがございます。わたしはたいそう威張りちらし、他の鳥たちを見下しておりました。そんなある時、道端に死にかけた孔雀がおりました。欲に目が眩んでいたわたしは、その孔雀をつき殺し、羽を奪って身に纏ってしまったのです。それだけではございません、自分より偉いものなど居らぬと、それはもう飛び回っては吹聴しておったのです。わたしは多くの鳥たちに囲まれ、打ちつけられました。羽は抜かれ脚は折れ、つひには死んでしまったのです」


 けれども、まことに恐ろしいのはその後のことにございます。そう鴉は続けました。


「鳥たちは、真の孔雀が来たときも、鴉だと思い同じやうになぶり殺してしまったのであります。鳥たちは云いました、『真の孔雀にめぐり遇ったのなら、如何やうな礼儀をも尽くすのだがなぁ。はてさて世の中には偽孔雀ばかりが多いことだ』と。故にわたしは多くの真の孔雀を殺してしまった罪を、ここで償わなければならぬのです」


 阿逸多はふむ、と考えながら、泣く鴉を見やりました。


「そなたは、このやうな罪を繰り返したくはないと思うか。許されたいと願い給うか」

「許されようなぞ、烏滸がましいかもしれません。けれども、同族たちには同じやうな愚かな過ちを繰り返してほしくはないと心から願っております」

「ではそなたに異なる罰を与えやう。その姿を見て涙する孔雀が現れた日に、そなたの魂は解放されよう」


 鴉の身体はみるみる炎に包まれました。その日より、その地獄の一角では罪なき生き物の命を奪ったものの身体を、炎を纏った鳥が踏み潰してゆく罰がうまれたのであります。




 また別所なり、阿逸多はひとりの老いた僧侶に出逢いました。崩れ落ちる鉄の山に踏まれ、針の葉をもつ木を降りては登り、降りては登るので、その身体からは常に血が吹き出しておりました。

 男児は再び「そなたはかのような責め苦を受けるに値する、何をしたと申すのか」と老僧は咳き込みながらも語り始めたそうにございます。


「私は生前、都の北の方にある、とある寺の別当にございました。其処は伝教大師がお選びになるやうな場所でしたが、どうしてか取りやめになり、すっかり荒れ果ててしまいました。私も相次いで妻や子を持ち、享楽にふけり死んでしまったのです。私には寺を継ぐ息子がおります、どうか、私のやうな過ちを息子には繰り返してほしくないと願うばかりです」


 それを聞いて、阿逸多は忽ちのうちに老僧の姿を大きな鯰へと変えました。


「ではこうしましょう。そなたの姿を大鯰と変化させたまま、かの寺の地下の窪地に放ちましょう。其処は身動きの取れぬ狭さで、たいそう苦しい思いをするかもしれません。然し、数年内に大きな地震が寺を襲います。それを息子に伝え、そなたを食べずに川へと解放させなさい。それを息子が守れたとき、そなたも一族も救われましょう」


 鯰に姿を変えた老僧は、恭しく礼をしては泳ぎさったそうにございます。




 また別所のことなり、鬼が火を噴きながら馬を追いひたすら矢で射ておりました。その馬の背にはまだ年若い人間が、血の気のない顔で横たわっております。

 これはまだこの地獄に堕ちてきたばかりのやうだと、阿逸多は鬼より馬を引き離し、泡を噴いて今にも倒れそうな馬に尋ねました。


「わたしのうまれた国は海の向こうにある隣の国と戦争をしております。背中に乗せた彼も、主人と云ふほどには共に過ごしておりませぬが、若い身でこの戦争に駆り出された者です。あるとき、川向こうに敵の陣地のある小さな村へ偵察に行った時のことです。敵と遭遇したわたしたちは斬り合いとなってしまいました。むろん、敵を斬り捨てましたし、わたしも踏み殺しました、言い訳はしませぬ。けれども、この人は死の間際にして「今の人生の全てを謝りたい、全てを赦したい。もし私がここで助かったら、私はどんな事をしても、この過去を償う」と云いました。刃を向けねば自身が生きれぬ刻の罪にございます。いま一度、どうかお慈悲をいただきたいのです」


 見れば背中に横たわる男は、首をざっくりと斬られて落ちんばかりでありました。

 殺生は大きな罪です。然し男を見離さず終にはこの地獄まで走りついて来た馬の姿に、阿逸多はひとつ頷いてみせました。


「この手綱をそなたに渡しましょう。命の綱として、そなたたちの傷を継ぎ、もう一度だけ元いた場所に帰ることができます。然しお忘れなく、その男が今際の言葉に背いた時、そなたたちはこの場所へ舞い戻ってくることとなりましょう」


 馬はたいそう感謝して、跪くかのやうに手綱を受け取ると、風の如く疾ってゆきました。




 別所なり、大釜の中でぐだぐだと煮られ、熱した鐵室に入れられる男どもあり。

 ここでも阿逸多は尋ねました「かのやうな責め苦を受けるに値する、如何なる罪を犯したと申すのか」と。


「私どもはとある山の麓の村に棲まうものです。この山には大昔より、大蛇が棲んでいるとの言ひ伝えがございました。大蛇の棲まう地と、人里の境界には一本の太い縄がございました。これには決して触れるなと、それが先祖代々の言ひ伝えにございます。この太縄を越え山を荒らしては、大蛇の怒りをかい、山もろとも崩れ去りその地は深き湖となってしまうと子供の時より聞いておりました。けれども、山は静かで何も恐ろしいことなぞございません。私どもはわざとその言ひ伝えを子らに伝えず、或る時、さも自然に切れていたいたかの如くを装ってその太縄を落とし、村人らを言い含めては山を切り拓きました。するとどうでしょうか、地の底から大水が噴き出し、村を呑み込んでしまったのです。村外れに棲んでいる山守の子だけは生き残っていることでしょう。ああ口惜しや、何が起きるか先祖も詳しく記しておくべきだったのでしょう。せめてこの事を子らに伝え、同じ過ちが起きぬよう、伝えとうございます」


 それでは、と阿逸多は地獄の土をひとつ掬い、その者どもに告げました。


「大蛇には地下の美しい湖を与え、その怒りを鎮めましょう。この土でその上に山を築き、頂上には石塔を建てておきましょう。あなた方はその山守の子の夢枕に立ち、此度のことを語るのです。いいですか、この石塔に血がついた日には、この山は崩れ、大きな湖が地上へと現れることでしょう。ですから、山を荒らすことも、争いごとも、この山では禁ずることを、しかとお伝えなさい。この山が二千年もその形のまま守られましたら、あなた方の魂もきっと救われることでしょう」


 男どもは、誰が夢にて伝えるかを話し始めました。

 ふと、阿逸多は我よ我よと言い合うその姿を見ては、果たして山は無事で済むのだろうかと思ったそうです。




 また別所なり、鬼のく鉄の臼にて全身をすり潰され、また目鼻を串に刺しては炎で炙られる者どもがおりました。元の姿に戻る様を見れば、どうやらお役人と法師のやうでございます。


 役人の方はまるで、朽ちた藍のやうな顔色で、心ここに在らずといった様子で語り始めました。


「わたくしは、その昔検非違使でございました。ある夏の頃、下京の辺りで盗っ人とりがございました。その折に、我が主人より囁かれ、盗っ人の家より二、三十ほどの糸を盗んでしまったのです。これを袴の裾に隠しておりましたが、不思議に思った仲間たちの悪戯で、事が明るみになってしまったのです」


 次に、法師の方が口を開きました。


「おれは非常に力の強い荒くれ者でした。見兼ねた和尚より、「仏をつくり供養をしなさい」と云われ、家に仏師を呼んでは三尺の仏像を造らせたのです。おれは自分がよりよく暮らすために仏が必要だと思い、言いくるめては仏師に何ひとつの礼物も、食事も与えぬままでおりました。いざ仏が完成した暁には、太刀を抜いて仏師を家より追い出したのです。仏様を御供養することこそが、善にございます。彼が仏を造ることに、それ自体に意義があると考えておりました」


 なんと、と検非違使の方は、もう藍どころではないさめざめとした顔色になり、法師の方を見やります。阿逸多が「して、続きもあるのだらう」と促せば、法師はさらに語りはじめたのです。


「その後、大層な仏様にはそれ相応の御供養が必要だと、講師の方をお招きし法要をしていただきました。馳走の膳も、絹の織物も、馬も用意しておりましたが、ひと言もそれを差し上げるとは申しておりませぬ。並べ、それを自身への祝いの品として頂戴し、講師の方にはお帰りいただいたのでございます」


 元検非違使の男は呆気に取られておりましたが、そもそも自分がこの男を責められる立場でも、捉えられる立場でもないと知り、すっかり俯いております。


 阿逸多は「はて、こういう者もいるのだな」と妙にはっとした心持ちになったそうにございます。これでは、うそ噂話をまことのやうに現実としてしまう、むじなの方がよっぽど素直に違いありません。これでは仏を造ったとしても、何の功徳も得られぬままでございましょう。いや、実に、目の前の法師はこうして地獄の責め苦を受けている身なのであります。

 役職に就いた者の判別とは、難しいものだ。そう思い阿逸多は他の地獄を見てまわることにしました。

 法師も検非違使の男も「やれ、正直に話したというのに、何の救いも得られぬというのは滑稽なものだ」と首を傾げておったそうです。




 そうしてまた地獄を巡り行くと、最果ての近くの別所へと辿り着きました。

 見れば、ひとりの僧侶が舌を抜かれ、釘を百本ほど打ちつけられ、毒虫にその身を食い破られておりました。見ればその喉には何がしかの骨が刺さり、口の聞ける様子でもございません。


「この者は、このやうな責め苦を与えられるほどの、何をしたと申すのか」


 阿逸多の言葉に、六十四の目を持った背丈四由旬ほどの鬼が呆れたやうに口を開きました。


「この男は生前、とある国の寺の別当にございました。しかし、寺は荒れ果て、酒を飲み遊ぶばかり。或る日、この男が寝ていると夢にひどく年老いた姿の先代の別当が現れこう告げたそうです「明後日の午後二時、大風が吹き大地が揺れ、この寺は崩れるであろう。実は私はこの寺の下で身の丈三尺ほどの鯰となっており、水も少なく身動きが取れないままひどく苦しい思いをしている。寺が崩れたとき、私はその下より這い出でてくるが、どうか子らに打ち殺させずに山の下の川へと放してほしい。さすれば広々とした水を得て、私は救われるだろう」と。男は明くる日、この話を妻に話したと云ひます。そして確かに大風と地震がやってきて、寺は崩れ去りました。するとその崩れた地面の水たまりから、魚と大きな鯰が這い出てきたというのです。あまりに大きい鯰で、男は慳貪で邪見なものでしたから、急いで長子と共にこれを捉えました。鉄の杖では刺さらず、打ち取れなかったので、あろうことか草刈りの鎌を持ってきて鯰の顎を掻き切ったのです。他の魚と共に桶に入れ、宿坊へ戻ると、妻が「これは夢に話していた鯰ではありませんか、どうして殺してしまったのです」と聞く、男は悪びれもせずに「川に放したとて誰ぞが捕まえよう、それよりもわしや子らが食った方が、先代もお喜びになるだろう」とぶつ切りにして鍋にしてしまったのです。男はうまいうまいと、鯰の鍋をたらふく食ったそうです。曰く「この鯰は他とは違う味のする、死んだ親父の肉なので旨いに違いない」と他の者にも勧めたのだとか、しかしそのうちに大きな骨が喉に刺さり、苦しみ悶えながら死んでしまったそうです」


 ああそうか、と阿逸多は言葉少なに返しました。


 頭上を見やれば、首の落ちた馬が死者を乗せる車を牽いております。そこには山崩れでもあったのだろうかと思うほどの、多くの老若男女が乗せられておりました。


 目の前にはするすると美しい銀色をはなつ、蜘蛛の糸が垂れ下がっております。

 阿逸多は力なくそれを掴むと、何万年もかかると云われるその地獄の底からするすると上へ上へと上がってゆきました。

 あるじを毒殺したもの、道征く商人を襲い女に乱暴したもの、讒言を振り撒き親友を陥れたもの、様々な様子を横目に、糸に縋る罪人を見もせずに、阿逸多はその上へと昇りました。




 極楽の蓮の池の淵に降り立った阿逸多を、この様子を眺めておいででした御釈迦さまが静かにお迎えになりました。


「阿逸多よ、地獄の様子はどうでしたか」

「わかりません、果たして地獄に堕ちた者は救えるのでしょうか」


 悲しそうな顔をする阿逸多の手を、御釈迦さまはそっとお取りになりました。


「尊きお師匠、釈迦牟尼仏よ。私は弥勒さまが下生なさるまでの年月を、人が世を保てるとは到底思えなかったのです。ですから私は八万年の寿命を持ってして、人の世の王となろうと存じます」

「それは——なにゆえでしょう?」

「せめて、その統治の世の間だけは、武力もなく人を支えうると考えたからです」


 しかし御釈迦さまは、そう云ふ阿逸多の心にまだ少しの迷いがあるのをご存知でいらっしゃいました。


「阿逸多よ、八万年とはまた、五十六億と比べうればとても短い時間のものなのです。そして同じく、最も浅い地獄の衆人の刑期ですら、八万年ではとても足りませぬ。それらが溢れかえる前の八万年を救うだけで、果たしてよいものでありましょうか?」


 すっと、御釈迦さまは蓮の池の淵から、その下を指しました。


「けれども、あなたの行なったことはひとつも無駄ではないのです。ごらんなさい」


 それは全身に炎を纏ったあの鴉でした。

 その姿を見て、真珠の玉のやうな涙を溢すものがおります。それはあの日、鴉がつき殺した一羽の孔雀の姿でございました。



 孔雀の魂はその後絵師となり、『地獄草紙』と云ふものを世に遺してゆきました。

 これはその、地獄の草紙の御噺の、たった一部にございます。




 人の世の、救いは遙かに遠い先——。


 叫び、憎しみ、恐怖の響く地獄の中で、その灼熱に灼かれ、その寒さに砕け、残ることなどないと嘲られながらも、その途路みちみちに真っ赤な花を植えて歩く菩薩さまがいらっしゃるそうです。


 朽ちた大地に咲く、地獄花。

 それがいつしか芽吹くころ、罪人の全ての魂の数だけ根をつけるころ。

 人の世と云ふものは救われるのやもしれません。

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