エスケープ・ドラウンド
@5u1531mu5h1
7月、約束は海岸で
家から一番近い海へ歩いた。人気のない海で海流が強い。死ぬのが簡単だと思った。海流に飲み込まれたらどうなるんだろうか。苦しいのは嫌だ、なんて言い訳はできないだろうからどうにでもなれと考えるのをやめた。その時何か心の底に渦巻く赤黒いものを覚えたのは気のせいだろうか。
海に着いた。歩いて15分くらいだから割とすぐ着いた。相変わらず人はいない。波くらいにしか思考の邪魔をされないからありがたい。事前になんとなく買ってきたおにぎりを食べようと座り込んだ最中、ワンピース一枚の少女が波打ち際で佇んでいるのに気づいた。
歳は高校生くらいだろうか。少し肌寒い日だったので、第一印象は寒くないのかだったが、気づかれないように横目で観察を続けていると彼女の肌にあるものに気付かされる。
少し小さめなワンピースから覗く腕は痣だらけ、服は傷ついているようには見えないが長らく着込んでいるのか年季を感じさせる。
それを見て反射的に同じ様な境遇で育った人だと思った。高校に入りバイトを始めるまでは同じような状況だったのでそのせいだろう。同情か哀れみか、何かが喉に詰まった。
「何してるの?お兄さん」
視線に気づいたのか、振り向いた彼女がこっちに歩いてくる。
「え?あ、うーん…何してるんだろう」
精一杯愛想良く答えた。隣に座ろうとしてきた彼女が順番を受け取らないので口を開く。
「わかんないな。ここに来る前に海を見たくなったってのは覚えてるけどそこからはもうぼーっとしてる。あはは」
答えになっていない答えを返す。
彼女はじとーっとした目でこちらを見つめ、
「変な人だね、お兄さん」
「そうだね。俺もそう思うよ。そう言うそっちこそ、なんでこんな人のいない海にいるのさ」
笑いながら自分でも嫌気がする言葉を吐く。
「嫌なことから気を紛らわしたくて」隣から呟きが聞こえてきた。
「同じだ」
一息挟んで
「俺も、逃げてきた」
何も考えなくても自然と口が開いた。
「同じかー」上を向いて少女は言う。
微笑みそうになった自分を殺したい。
気まずさを紛らわそうと、少女から目を逸らし袋からおにぎりを取り出した。すると
「あのさ」
「ん?」
「おにぎり、くれないかな」
食欲もあるわけじゃない。別に困らないので承諾する。
「ありがと」
と言ったのを見て、彼女に二つあるおにぎりのうちの一つを渡した。
受け取るなり、勢いよく包装を剥がし、彼女はそのままおにぎりにかぶりつく。
あまりに食いっぷりが良く、
「お腹空いてるの?じゃあもう一個食べる?」
なんて言っていた。
「え、いいの?」
「いいよ」
そう言った瞬間に彼女は袋の中からおにぎりを取り出し、包装を向いてまたかぶりつく。
「あ、お兄さんさ、明日もここ来てよ」
「……え?」
「変な人どうし、お互い仲良くしない?面白そうだし。それに、さっきの言い方だとお兄さんもなんかやばいことしてそうだしね。違う?」
明らかに年下の女の子に核心を突かれ、少し動揺する。
「だから、明日もこの時間にここに来て?ね?」
ここまで看破されて断るわけにもいかない。
「何も違わないから困った」
こちらの反応を見て、にっと笑っていた。
「じゃあここ、約束の地ね」立ち上がった彼女が海に言い放つ。
「約束?なんでそんなこと」
「わかんない。友達が言ってたの」
あはは。彼女は楽しそうに笑った。
「約束をした場所ってこと。まぁいいよ、適当で。春乃だよ。よろしくね」彼女、春乃は自分を指差して言う。
「宇土恭太。よろしく」
「おっけー。よろしくね、恭太」
「わかった、よろしく。はは」
そう言ったら彼女が手を差し出した。このときの悪寒はくしゃみと一緒に吐き出そうとしたが、どうやら無理だった。
その後何やらいろんな世間話をして親交を深め、家に帰った。
1時間半くらいのことだったのに、なんだか一日まるまる遊んだような感覚を覚える。
夜食を貪り、ベッドに落ちる。寝つきが悪い方なのだが、珍しく5分ほどで眠ることができた。寝るのは嫌いなので都合が良かった。
朝。最近の癖で9時近くに起き、朝支度の後に作ったスクランブルエッグを頬張る。朝は何故か得意なのでこうやって自暴自棄な生活をしていても起きてすぐ火を使える余裕があるのは助かる。
それから調理の片付けをして、そのあとどうするでもなくソファに崩れ込む。前までまめな人間だったと思うが、最近はめっきり掃除をしなくなった。埃は溜めたくない性分だったが、最近は軽く掃除機をかけて終わらせてしまう。一度自分が汚れたせいでどうでもよくなった。小癪なことを考えたせいで混乱する。1人で使うには大きなソファだ。自己嫌悪はこういう時に起こる。あぁ。
そういえば、春乃との約束を思い出し寝返りを打つ。
春乃は毎日11時前くらいから海岸にいるらしい。終わりの時間は不定で、11時近い時から1時間で帰る時もあると言う。
体勢を変えて、起き上がる。軽く支度をして浜に向かう。向かっている間にちょうど着くように調整したが果たして春乃はいるだろうか。
やはり少女はそこにいた。
「おーい、春乃ー」
大きめの声で春乃を気づかせる。
「よ」
「よ」
「お前はオウムか」
「え?人だけど」
「そりゃそうだな」
砂に手をつき、座りこむ。ため息をつきそうになるが、春乃の前なので我慢する。
「あはは、恭太ってばなんか嫌なことでもあったの?」
春乃が茶化す。笑いながら
「いつでもあるよこれが。はは。」
おどけるように言ってみせた。
「あはは、人生そんなもんだよねー」
「そうだな…」
そんな返しをした馬鹿は死んでしまえ。
「………よし。出会って早々暗い話をしててもなんだ。俺、約束思い出してから時間なくて腹減ってるんだ。何か食べないか」
沈黙を破り、俺が言い出す。
「わたしお金ないからパス」
「俺が出す」
「いいよいいよ勿体ない、お気遣いなく」
「いいから行こうぜ、ほら」
「………マジで言ってる?」
「決まってるだろ」
「え、でも…」
「でもじゃない、俺が行きたいだけだし、わがまま聞いてくれないか」
そして春乃は少し悩んでから、
「んー、わかった。いいよ。そう言われるとわたしも行きたくなってきたかも」
殊勝なことを言ってくれる。
「じゃあ決まりだ、何か食べに行こう」
どこに行こうか悩んだが、春乃の希望もあり一番近くにあったサイゼリヤに行くことになった。
注文を済ませ、頼んだものが来ると春乃は目を輝かせる。
「ねぇ、写真撮ってもいい!?」
「いいけど、写真撮るの、こんなのでいいのか?」
「いいの、なんか嬉しいんだ。家族以外とご飯食べるの」
そう言って春乃は写真を撮り始める。言葉を噛み締めた。自分で言えた口でもないが、相当狂った環境で育った子なんだろう。
「あ、恭太も映ってよ、自撮り」
言われるがまま、目立たぬように映り込む。
「いぇーい」
ぱしゃり。怖い音だ。
「ありがとね。うれしー」
「思ってるか?それ」
「あー、思ってないかも?」
「俺今すっごい困惑してるよ」
「あはは」
向かいに座った少女はすごく嬉しそうに言う。
「満足してくれたならよかったけど、料理冷めるぞ」
「わっ!ほんとじゃん、ありがと」
春乃はすぐさまドリアを口に運ぶ。
「ん!美味しい」
「よかった。焦らないでも逃げないからゆっくり食え」
「はーい」
それから春乃は料理を頬張りつづけた。見ていて幸せだった。
「恭太、私に見惚れててもいいけど、料理冷めるよ?」
またこの子は。
「はは。俺も食べよう」
マルゲリータを切って食べる。美味い。
「恭太のも美味しそ、一つちょーだい?」
特に断る理由もないので、皿を差し出す。
「ん、ありがとー」
手持ち無沙汰になって、春乃に話を振ることにした。
「そういえば、昨日別れた後どうしたんだ?家、帰れたか?」
「うん。流石にわたしもそこまでおバカじゃないよ」
「あはは。帰ったら何した?」
「それはなー。人に言えるようなことじゃないかも?」
「気になるな。何したの」
「うーん、じゃああとで教えたげる。海戻ってからねー」
「そっか。楽しみにしとく」
この時の言葉が最悪な意味で裏切られることなど、この時点で察していた。
それから、春乃が料理を食べ終わるまでに時間はそうかからなかった。
「あー!美味しかった!」
店の外に出て、春乃が駆けつつ言う。
「ならよかった。俺も金使った甲斐があるよ」
「ありがとね、恭太。ご馳走様」
春乃はにっと歯を見せる。
「じゃあ、海岸戻ろっか。恭太のお楽しみ、叶えたげるよ」
やはり嫌な予感がよぎったが、微笑みながら首を縦に振ることしかできなかった。
「ただいま」
海岸に着いてから、ブルーシートを地面に広げる。
「お喋りするならあった方がいいと思ってな。行く前は出すタイミング失ってたんだが」
饒舌にそんなことを言うが、死体処理に使ったものを今朝思い出し、捨てようとしていたものだ。ちなみにだが血はついてない。春乃には怪しさを悟られてはいないようで安堵する。
「気ぃ効くじゃん。ありがと。じゃ、座ろっか」
二人でブルーシートに腰掛ける。
「相槌以外何も言わずに聞いて欲しいんだけど、いい?」
「わかった」
しばらく黙ってから、春乃は息を吸って言う。
「私ね、親が毒親っぽくてね」
「………うん」
「一日6時間は学校とは別に勉強しろ、学校帰りは寄り道禁止、門限は5時、スマホもこの歳で持ってない」
「………ひどいもんだな」
「だよね、わたしもそう思う。それである時、本当に限界になったの。全部どうでもよくて、卑屈になって、何回も死にたくなって、それで…」
そこまで話して、少女はポケットをがさがさと弄る。
「また何も言わずにこれを見てほしい。でも後で感想は聞かせて」
春乃は小さな袋を取り出して開ける。意図を汲み取って中を覗き込むと、そこには市販の痛み止めや咳止めの薬が所狭しと詰め込まれていた。しかし、今の春乃はそんな薬を飲むほど体調が悪くは見えない。
「…………これで何をするんだ」
試すような問いを掛けた。
「ああ、わかるんだ、これが何か」
お前も知ってる側の人間か、と言われた気がした。
「まぁ、昔齧っただけだけど」
春乃はこちらの表情を見てからまた話し出す。
「本当に限界になった時、手っ取り早く気持ちが楽になる方法を調べてたら……薬をいっぱい飲むってのを見つけたの」
オーバードーズ。ODなどとも呼ばれている。一般的には薬などの過剰摂取のことで、試したことは無いが一時的な幸福感を得られると聞く。違法な薬物はもちろんのこと、最近は市販の薬を大量に摂取することで幸福感を得ることもできることから、依存患者も多いらしい。
何も言えずに黙っていると、
「………気持ち悪いでしょ」
「……え?」
「気持ち悪いでしょ!?わたしが今どんな状況かわかったでしょ?隠れて薬を飲み続けてるの。昨日言ってた親と揉めた原因もこれ。禁断症状起こして家にある錠剤飲もうとして止められたけど、だめだってわかってても飲もうとした。引いたでしょ?」
捲し立てた言葉は冷たく、自己嫌悪のようだ。
「そんな」
「そんなじゃない!わかったでしょ?」
春乃は震えた声で否定を求めている。
次の瞬間、俺は無意識にも春乃を抱きしめた。
「……え…?」
「ごめん、急に抱きしめて。でも、春乃を否定するわけじゃないから一回落ち着いて俺の話を聞いて欲しい」
彼女は黙って手を俺の肩に回す。
「ありがとう。俺に心を許してくれて。次に、OD。確かに良くないことなのかもしれない。でも、それは春乃が逃げ道として決断したことだ。俺は否定しない。世間的には良くないことでも、俺は春乃の決断を尊重する」
よくもまぁこの身分でこんなことが言えたものだ。春乃より俺の方がよほど気持ち悪いだろう。
「だから、間違いでもそれは間違いじゃない。それは周りの大人が言い切れたものじゃない。悪いのは春乃じゃない。春乃を虐める奴らと春乃を否定する奴らの方がよっぽど悪い。そんな奴らのこととかほっとけばいい」
肩に引っ付いた手が震え出す。
「約束する。俺は春乃を否定しないし、薬だってやめろとは言わない。だから、春乃は春乃の望む結末に向かおう」
ここまで台詞を吐き出し、春乃の反応を待つ。
すると、彼女は涙でぐしゃぐしゃな顔を浮かべる。
「……じゃあさ、恭太」
「…何?」
「一緒に、ここで死んで」
「私もう無理だ。耐えられないや。私のこと受け入れるなら、一緒に死の?楽になろうよ」
海よりも冷たいその目には確かな決意が灯っていて、一瞬気圧され息を呑んだ。しかし、俺だって希望なんてもう捨てていたことを思い出す。
「………いいよ、心中がお望みなら俺も付き合う」
その返答には流石に春乃も驚いたようで
「ふふっ…やっぱ頭おかしいんじゃないの……」
と返される。すすり泣く声も聞こえてくる。だが、その手は固く俺の肩を掴んでいた。
「その代わり、今じゃない。もう少し時間をかけよう。今言うのもアレだけど、俺は元々死ぬつもりだったんだ。そうだな、12月。そこまでで決めよう。そう簡単にはくたばるつもりはないが、それでいいなら一緒に死んでやる」
「わかった。約束ね。春までにわたしが死ぬときは恭太も死ぬ。恭太が死ぬときはわたしも死ぬ。公平に、ね」
「了解。それで行こう」
その誘いを了承すると、春乃は小指を差し出す。俺はそれを察して小指を絡める。
こうして、俺たちの歪んだ、最低な約束は始まった。
日記
いつか、遠くもないけど、春までにはほぼ死ぬことが決まった。死ぬ前日くらいに見返したいから、日記をつけることにした。毎日は多分つけないけれど、三日に一回くらいはつけたいと思う。
今日、キョウタとの心中を決めた。キョウタって漢字でどう書くんだろ?そんな相手との心中だ。正直こんなのを決めたのは自分でもやばいと思うけど、死にたいといつも思っていたし、もうめんどくさいから何でもいいし、なんだか丁度いい機会だと思って一緒に死ぬ約束をした。どうなるのかわからないけど、どうなるのかちょっと楽しみでもある。
あと、キョウタはODを責めなかった。だいたいのことを感情に任せて言ってしまっても特に私を叱らなかった。なんならそんな私を肯定すらしてくれたんじゃないか。すごく救われた気がした。今までODが絡むことがあると怒られてばかりだったけど、初めて怒られなかったかもしれない。嬉しいとは違うけど、なんだか変な感情を覚えた。まだ書きたいことはいっぱいあるけど、今日は眠いからもう寝ようと思う。次これを開くのはいつになるのかな。
エスケープ・ドラウンド @5u1531mu5h1
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