第4話 探していたのは
私は全身が石化したかのように固まった。
由香の吐息が私の耳をくすぐる。ように、その声は私の耳元でさらに続けた。
「私、佐藤奏の妹ですよ。先輩の親友の、奏の。姉から聞いて知っています。せんぱい。ほら、どうしたんですか? 言ってください。占い結果は?」
額に汗が浮かんでいるのを感じた。
そうか、奏のやつ、妹には話しやがったのか。
「大丈夫です。お姉ちゃんも、私も、誰にも言ってません。先輩が占いのこと、なにも知りもしないのにみんなを騙していることなんて」
「………………」
「この占い結果がどう出ても、私は誰にも話しません。お姉ちゃんも。だから、安心して占い結果、言ってください」
「…………………………」
「私、先輩を大事にします。大切にします。私のことは雑に扱って構いません。ペットの犬くらいに思ってもらっていいです。でも、私が先輩に懐くのを許してくれて、私のいちばん好きな人でいてくれればそれでいいんです。先輩。私の飼い主に、なってください」
ウィスパーボイスが私の耳から入ってくる。
その声は、私の心を震わせ、全身を巡っていく。
「せんぱい」
「………………」
「せーんぱい」
「………………」
「せんぱいっ」
「………………」
「…………せ、ん、ぱ、い……」
「………………」
どうしよう。
どうしようどうしよう。
なにをどうしたらいいか、わかんなくなっちゃった。
と、とにかくもう一枚、カードをめくって……。
そのとき。
ふっ、と私の耳に、柔らかで湿り気のある、なにかが触れた。
「……………………!!!!!」
声も出せず、私の身体はビクッとして硬直した。
もう、指先ひとつ動かせない。
今の私ならパントマイマーになれるな、と関係のないことが頭に浮かんだ。
由香は、その唇を私の耳に触れさせたまま、言った。
「せんぱい、好きです……」
そして背後から手が伸びてきて、一番右端のカードをめくった。
あ、この子、手も綺麗なんだな、と思った。
「あれ、この星座なんですか?」
耳元の由香の声に答える。
「ポンプ座……」
「あは、聞いたことないや。このカードの意味は?」
「……………………ええと、」
「いいです。私が決めます。占いはこう言ってます。この子を、ペットにしなさいって。高校生活は、ペットとともに過ごしなさいって。違いますか?」
「…………わかんない」
「ペットを散歩に連れて行ってくださいね。その道は、きっと……いろんなとこにつながってる」
そして、チュッ、とわざとらしい音をたて私の耳のふちにキスされた。
耳が熱い。
耳だけじゃない、私の全身が燃えるように熱く感じた。
どうしようどうしよう。
奏の妹……ってことは、この子、『アレ』も知ってる……?
「先輩。私に、星座を教えて下さい。さっきの、ポンプ座みたいなの。占いは知らなくても、星は好きなんですよね?」
由香はいったん私から離れる。
そして窓際に歩いていき、そこでくるりと振り返る。
スカートのプリーツが舞う。
夕焼けを背にして、彼女の小さな身体の輪郭が赤く燃えている。
彼女は、神々しさすら感じさせるほど、魅力的に見えた。
「先輩。私、知ってます。先輩、私のお姉ちゃん以外、友達いないじゃないですか。……お姉ちゃんとも、最近、そんなでもないですよね?」
「いや、いや、それは……」
「私、お姉ちゃんとすごく仲いいんです。去年先輩に家で会ったとき、とても素敵な人だ! って思ったから、それからいろいろ聞き出していたんですよ。友達がいなくて、お昼ごはんだって今はこの部室で一人で食べてる。余裕があるフリをしているけど、ほんとはさみしくて友達つくりたくて占いができるなんて嘘ついて」
「待って。もう言わないで」
「お姉ちゃんからそんな話を聞いてたら、私、一度会っただけなのに、どんどんどんどん先輩のこと、すごくいいな、かわいい人だな、守ってあげたいな、……お付き合い、してあげたいな、って思ったんです」
今、人生で一番困惑している自信がある。
どうしよう、こんなみっともない私のことをこんなかわいい後輩に知られてしまっている。でもこの子は私に告白してきて……? いったいなにが、どうなってるんだろう。
「お昼ごはんだって、前はお姉ちゃんと一緒だったけど、……ね、せーんぱい。妹の私が変わりに謝ります。ごめんなさい。私のお姉ちゃんが……」
待って。言わないで。お願いだから。
「先輩の告白を断っちゃったって。それで、お姉ちゃんとも距離ができて……。先輩、女の子が好きなんですよね?」
私は恥ずかしさのあまり、もう由香の顔を見ることもできない。
「で、鳥海先輩。占いやって、友達はできましたか? ……もしかしたら、探していたのは友達じゃなくて恋人?」
うるさい。
うるさいうるさい。
私は座っていた椅子を倒しそうになるほどの勢いで立ち上がり、その場で由香に背中を向け――ドアに向かって走り出した。
逃げよう。
逃げて、で、あとのことは後で考えよう。
だけど。
そんな私の行動を先読みしていたかのように由香は私に追いついてきて。
ドアの前で、私の背中に抱きついてきた。
由香より私の方が背が高い。
ほっぺたが背中におしつけられるのを感じた。
制服越しに体温を感じる。
やけどするんじゃないかと錯覚するほどの熱が伝わってきた。
「先輩。いじわるなこと言って、ごめんなさい。困らせようと思って言ったんじゃないんです。お姉ちゃんが言ってたんです。私も、女の子が好きで、それをお姉ちゃんも知ってるから。『いきなり告白されて断っちゃったけど、これであいつ、ひとりぼっちになっちゃう。あいつは良いやつだから、由香、お前が仲良くなったら?』って。『私の好きな妹と私の好きな友達が付き合うなら応援する』って」
くそ。
奏のやつ。
余計なこと。
そういうとこも、好きだったんだけど。
由香は、私の背中に顔をぴったりつけたまま、まるで私の心臓に直接かたりかけるように言った。
「先輩。好きです。これから毎日、お昼ごはんも一緒に食べましょう。先輩はもうひとりぼっちじゃないです。占いもしなくていいです。私がいます。先輩には友達も恋人もペットも、今いっぺんにできたんですよ。私が先輩の絶対的な〝相方〟になってあげます」
それは奏に告白失敗したあと、ずっと孤独に学校生活を送ってきた私にとって、あまりにも魅惑的な申し出で。
「ね、せーんぱい。まずは、友達から、始めましょう。友達ってか、私が後輩だから、先輩が飼い主で私がペット。それでいいです。ね、先輩。私は、先輩の従順なペットになりますよ。……こっち向いてください」
私たちは向かい合う。
いったい、今、私はどんな表情をしているというのだろう。
由香はその大きな目でまっすぐ私を見つめてきている。
私の手を、由香の小さな手が握った。
「先輩。今、さっきの占いの結果を決めましょう。ほら、ポンプ座のやつ。『友達から始めなさい。えっちとかにつながる友達から』……ってことで、いいですか?」
「………………」
「いいですよね?」
「…………………………」
「いいって言って」
私は思わず、コクンと頷いてしまった。
途端に、由香は、私に抱きついてくる。
私の身体は硬直して動かない。
大きすぎてコンプレックスになっている私の胸に顔を押し付ける由香。
そして言った。
「私、ずっと先輩のペットでいますから……。先輩のしたいこと、なんでもしたげます。ぜんぶぜんぶ先輩の好みに合わせた女の子になります。どこでも一緒に遊びに行くし、いつでも一緒にご飯するし、先輩がしたいえっちなことがあったら、ぜんぶぜーんぶしてあげますから」
夕日が町並みの向こうの地平線の下に隠れようとしていた。
由香のさらさらの髪の毛が目の前にあって、とてもいい香りがした。
その香りが心地よすぎて、頭がクラッとした。
お酒は飲んだことないけど、酔っ払うとこんな感じなんだろうな、と思った。
そうだ。
このとき、もうすでに私は陥落していて、このちっちゃな女の子に酔っていたのだった。
ゆっくりと腕を由香の背中に回し、――抱きしめ返してやった。
「えへっ、うれしい……」
由香は私の胸の中でそう呟く。
このときもうすでに私は予感していた。
きっと、ペットになるのは私の方だと。
薄暗くなっていく部室の中で、カードの星がきらめき始めたように感じた。
〈了〉
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