とある試験

山野エル

第1話 とある試験

 試験官がじっとこちらを見ている。


 かれこれ、もう、30秒ほどはこうしていただろうか。


 僕は椅子に座ったまま、1人の試験官と無言の時間を過ごしていた。


 スーツの背中が湿り気を帯び始めた気がする。


「あの、これは……面接、ですよね?」1


 まるで人形みたいなのっぺりとした男の試験官が、機械のように頷いた。


「そうです」


 初めて声を聞いた。


 この部屋に入った時も、声を聞かなかった。僕はただ黙って椅子に座るように促されただけだ。


 試験官はそれきり、また黙ってしまった。


 なんだ、この時間は?


 何の感情も表さない試験官に、こちらが焦りを覚えてしまう。


「あの、何か質疑応答、みたいなものがあると思っていたんですけど」


 無言。


 ただ、相手は僕をじっと見ている。無視しているのではない。


 ただ、聞いている。僕の声を。


 何かを求められているのかもしれない……そう直感した。


惟宗これむね空也くうやと申します。よろしくお願いいたします」


 そう言って頭を下げた。椅子の足元に置いた自分のバッグが目に入る。


 無反応。


 無機質な蛍光灯の光と、窓から差し込む陽光が、僕を切り分けるようだった。


 高額な報酬の仕事──それに応募して、僕はここにやってきた。いま世間を賑わせている闇バイトの類かもしれない。そんな不安は未だに掻き消えてはいない。


 それでも、僕には金が必要だった。


 それなのに……。


「ええと、何かを求められていらっしゃるんでしょうか……? ご教示頂けますと幸いですが……」2


 答えはない。


 何が起こっているんだ?


 試験官は一度だけ声を発した。これは面接なのかという僕の質問に答えた時だ。


 質問に答える時だけ、喋るのか?


 だけど、今の質問には無反応だった。


 回答する質問の種類が決まっているのか?


 ならば──、


「私の名前は何ですか?」3


「惟宗空也さんです」


 試験官は間髪を入れずに答えた。


 つまり、僕には何かが求められていて、試験官はそれには答えなかった。


 その何かを導けということなのか?


 だが、どうやって?


 いや、質問をしろということか?


「私が何かをすればこの試験は終わるんですか?」4


「そうです」


 これが……僕に課せられた試験……⁉︎


 待てよ、確か、この面接には予定時間が設定されていたはず……。


 そう、「15分間の予定」と。


 慌てて腕時計に目を落とす。


 もう、5分が過ぎていた。


 時間がない。


 どうやって試験官の求めるものを導けばいい……?


「私が何かを差し出せばいいですか?」5


 答えはない。


 今のところ、


 面接か?→そうです

 僕の名前は?→惟宗空也

 何かをすれば試験は終わる?→そうです


 の3つの答えだけが返されている。


「今は夜ですか?」6


 答えはない。


 否定事実は答えないのか?


「この試験終了までの時間を教えてください」7


 試験官はスーツのジャケットの内側から懐中時計を取り出して蓋を開けた。


「9分11秒です」


 パチン、と音を立てて懐中時計の蓋が閉まる。


 質問ではなく、要請にも答えはある。


「この試験の終了条件を教えてください」8


 反応はない。


 答えに直結することには答えないのだ。


「私がこのまま部屋を出れば、試験は終わりますか?」9


「はい」


「それは、失格という意味ですか?」10


「そうです」


 失格にされるのは困る。部屋から出てはダメだ。


「この試験の答えはすでに設定されていますか?」11


「はい」


「椅子に座ったままでも、私はその答えを示すことはできますか?」12


「はい」


 立ち上がって何かをする必要はない、ということだ。


「何かの言葉が試験終了の条件になっていますか?」13


「はい」


 言葉……?


 この世にある無限の言葉の中から何かを導けと⁈


 そんなこと、可能なのか?


「日本語ですか?」14


「言語は問いません」


 意味が同じなら問題ないということだ。


 腕時計を見る。あと7分ほどしかない。


 だいいち、なんなんだ、この試験は? なんでこんなことを僕に課すんだ?


 まともじゃない……!


 いや、そんなことを言えば、初めからまともではなかった。


 仕事内容は「頭脳労働」、その内容は伏せられていた。明らかに普通じゃない。


 報酬は即金で300万円。


 それも、たった1日の稼働で、だ。


 そんなこと、あり得るのだろうか?


 僕はここで意味の分からない試験に参加させられて、個人情報を抜かれて、それで正体の分からない連中に操り人形にされるのか?


 今すぐに部屋を出れば、この沼から抜け出せるかもしれない……。


 だが、僕には、底辺のフリーターの僕には、300万円という大金はどうしても必要なのだ。


 ──空也にしか頼めないの……!


 彼女は涙を流してそう言ったのだ。


 ここで帰るわけにはいかない。


 あと5分……。


 答えの言葉を導くには、可能性を絞っていく必要がある。


「その言葉は……食べられるものを指す言葉ですか?」15


 答えがない。否定事実──食べられないものということだ。


「人工物ですか?」16


「そうです」


「機械ですか?」17


「そうです」


「身近にあるものですか?」18


 反応がなくなる。


 身近にない機械なんて知らないものばかりだ。何を質問すればいいのかさえ思いつかない……。


「持ち運べるものですか?」19


 返事はない。


「私よりも大きいですか?」20


「はい」


「用途は何ですか?」21


 返事はない。答えに直結するのだ。


 試験官は僕の身体を仔細に見るでもなく、僕より大きいと即答した。比べるまでもないということだ。


「乗り物ですか?」22


 試験官は答えない。


「建物ですか?」23


「そのものの規模によって副次的に建物になっています」


 ……何なんだ、それは⁈


 大きいがゆえに、それを収める箱が建物のように巨大化してしまう機械……?


 腕時計の針が思った以上に早く進んでいる。もう2分しかない……!


「施設ですよね?」24


「そうです」


「……インフラに関連していますか?」25


 答えはない。


 発電や送電に関するものかと思ったが、違うのか。


「研究施設ですか?」


「違います」


「⁈」


 否定事実を……答えた?


 明らかに今までと違う。


 何が起こった?


 まずい、あと1分しかない……!


 なぜ急に答えの方式を変えた? 何か条件が変わったのか? こんな土壇場で?


 ……思い出せ、僕は何かをしたのか?


 研究施設かどうかを回答だと捉えられたのか? だが、なぜ急に?


 とにかく、何か発さなければ……!


「工場ですか?」


「違います」


 何なんだ⁉︎


 落ち着け、あと30秒だ……!


 途中から条件が変わったんだ。残り時間のせいか?


 僕は何回か質問をして……──


 有効な質問・要請の回数に制限があった……⁈


 僕はあの段階で……。


 いや、待て、そんなことを考えている暇はない……!


 あと10秒……。


 僕は思わず持っていたバッグの中からアルミ製のボールペンを取り出して、試験官の首筋に押し当てた。


「答えを言え! じゃないと殺す!」


「……違います」


 押さえつけた試験官が無表情にそう言った。


 ──時間が、終わりを告げた。


 一縷の望みをかけていたのに……。僕は失敗したのだ。


 ドアが開いて、係員が入ってくる。


「待ってください! もう少しで分かるところだったんです!」


 なりふり構わずに叫んだ。


 立ち上がった試験官が口を開く。


「あなたは異なるルートで合格に辿り着いた」


「合格……?」


 思ってもみない言葉だった。


 なぜ合格になったんだ……?


「我々はあなたのような実行力を持つ人間を求めていた。なりふり構わずに答えを得ようとする姿勢。それに加え、相手へ答えを強制する手段にも優れていた」


 あんな、苦し紛れの暴力が……?


「ただし、最も厳しい道に足を踏み入れたことになる」


 試験官と係員がドアの外を指す。


「ようこそ、<茜色の蜥蜴の右眼>へ」

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