アップトゥデイト
秋乃晃
これから始まる大レース
冬晴れの二〇一一年二月二十三日。
「ほあぁ」
気温は4度。吐く息が白い。文月は深川南中学校の制服の上に、チョコレート色のダッフルコートを着ている。さらに、赤いロングマフラーを首に巻いて防寒しているものの、それでも寒い。
『保護者がついてきている人なんていないすよ』
周りを見れば、違う制服を着た同年代の人間がいる。全員、天助高校に向かって歩いていた。大人の姿は見えない。
「もふもふさん、代わりに受験しない?」
『しない。……何回言わせるんすか』
「緊張してきちゃって」
『去年の夏ぐらいの成績だったらオレも諦めていたんすけど、今の文月なら大丈夫すよ』
文月ともふもふさんの関係は、小学校六年生から始まる。飼い主と飼い犬ではない。もふもふさんには不思議な力があり、一時的に文月と入れ替われる(その間の文月の記憶はない)。
文月は深川南中学校の三年生となった二〇一〇年四月から、天助高校に入学するべく、受験勉強を始めていた。このままでは天助高校はおろか“高校浪人”があり得ると、他ならぬもふもふさんが危惧して、進言している。
二年生までの文月の成績は、それはもう
この“文月のための勉強会”にはもふもふさんは参加していない。青嵐と文月の一対一である。もふもふさんは勉強会の内容を疑問視して、三年生に上がってからは開催させていない。
「わたしも推薦で合格したかったなあ」
なお、当の青嵐は推薦入試により一足早く天助高校に合格している。三年生に進級してから成績は伸びたものの、学校からの推薦を受けることはできなかった。
青嵐の成績であれば、天助高校よりも偏差値の高い高校を目指せただろう。尾崎家としては、名の知れた中高一貫のお嬢様学校に、高校からでも入学させたかったと、青嵐を経由して聞いている。
文月との関係性を一旦無視して、青嵐という一人の人間の人生を考えるとするならば、天助高校ではなくそのお嬢様学校に通ったほうが、長い目で見たときに青嵐にとってのメリットは大きい。だが、青嵐は将来と友情を天秤にかけて、友情を取った。両親(特に、厳格な父親)を説き伏せて、天助高校を選んでいる。
文月は、中学校で知り合った友人と友人関係を続けていきたい。できることならば同じ高校に通いたいの一心で、勉強していた。高校が離れてしまったら、会う時間はどうしても減ってしまう。推薦が受けられなかったぶん、一般入試で合格しなければならない。青嵐の友情に応えるためにも、ミスはできない。
『できなかったことを悔やんでも仕方ないすよ』
天助高校はもふもふさんの人間だった頃の母校にあたる。文月の進学先に天助高校を薦めたのは、勝手知ったる母校だからだ。
ただし、もふもふさんが高校を卒業したのは二〇〇三年の三月なので、その八年後にあたる二〇一一年の四月に知った顔があるかどうかまではわからない。公立校には異動がある。
「んん?」
文月は校門から一歩進んだ場所で立ち止まった。急に立ち止まるものだから、もふもふさんが『どうした?』と文月の表情を見やる。寝る前と家を出る前に荷物を確認しているので、忘れ物はないはずだ。スクールバッグに穴はあいていない。
「あの子、
駐車場を指さす。
『こんなところにいるか?』
興奮気味の文月に対して、もふもふさんは冷静である。サングラスをかけたスーツ姿の男性が、車を降りた鈴萄らしき人影のそばに立っている。男性は携帯電話を取り出した。
「もしかして、鈴萄ちゃんも受験なのかなあ?」
『年齢』
「鈴萄ちゃんは非公表だったはず!」
『載っていたとしても、公式プロフィールの年齢が正しいとは限らないすよ』
「ここにいるってことは、来年度はアイドル活動をお休みして、学業に集中するのかも……? それはそれでファンとしては寂しいかなあ……」
文月も携帯電話を取り出して、鈴萄に関する情報を調べ始めた。水泳を習っている環菜が、親への連絡手段として買ってもらうタイミングで、姉は携帯電話を手に入れている。
『なんでまた都立の天助高校に?』
私立ならいざ知らず、天助高校はごく普通の公立校である。芸能人には芸能活動があるぶん、融通が利くような私立を選んだほうが、本人や周囲の負担は軽いだろう。
「わからないけど、鈴萄ちゃんとご学友になれるチャンス到来!」
『青嵐、フラれたか』
「お友だちはたくさんいたほうがいい、って前にもふもふさんが言っていなかったっけ?」
『いずれにせよ、文月がやる気を出してくれれば
「うん! テスト、がんばってくる!」
アップトゥデイト 秋乃晃 @EM_Akino
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