白の一体と紅の一体

いすみ 静江

リンゴーン

 秋の訪れが走るように感じていた頃、婚約者と入籍の日を迎えた。

 青田あおたけんの地を塩田しおた一家、両親と私が飛行機で踏み、そこから山の奥深くにある桐原きりはらの門を潜った。


弥子やこがお世話になっております」

「まず、あがってください。塩田さん。中はあたたかいですし」


 ご両親は普通に応対してくれた。

 なごおーん。

 猫がにゅっと現れ、「にゃたろーです」と喋った。

 ああ、彼が抱っこして客間へ通したのか。


志庵しあんくん、どうしようか。パンプスが痛かったのかな」

「ストッキングだとちょっと分かりにくいな。弥子ちゃん、右手奥に脱衣所があるから、楽な恰好になったら」


 お母さんに声をかけて奥へ入ると、私は白いワンピースからベージュのストッキングを下げていく。

 スリッパをつっかけて両親達が話をしている間にみてもらった。


「志庵くん、つま先をやっちゃったわ」

「うん……。爪が殆ど剥がれているね」


 彼はよく観察していて、「これは近場の病院でいいかな」と漏れ聞こえた。


「いつから痛かったの?」

「町に着いてから車が通れないという道を歩いたせいかな」


 お母さんが拵えてくれた素敵なご馳走を前に失礼をしてしまう。

 心苦しいと思いつつ、彼に仲立ちをしてもらった。


「午後の診察に間に合うと思うんだ。隣の隣の町に金川かねかわ医院いいんがあるから連れていくよ」

「ごめーん」

「気にしたって仕方がないよ。危険な病気もあるから体は大切に。病院へいくときに入籍しようか」


 ごめんと心の中で手を合わせた。


 ◆


 さて、病院は午後三時からだった。

 山から道という道に出会うまで大変だったが、なんとか車のある川沿いに出られ、彼の運転で下っていく。

 初めて彼の車に乗ったが、ハンドルの傍に私が贈った恋愛成就のお守りがあった。

 随分前のことだ。

 彼がこちらに会いにきてくれると聞き、私は前もって柴又しばまた帝釈天たいしゃくてんで素敵なものを見つけた。

 志庵くんには白で私には紅の二体あり、新幹線のホームで手紙と一緒に渡したものだ。

 ここには白い一体がある。


「病院へ向かう途中にどうしても通るんだ。うちの役場は一等地だからね」


 町役場にて、桐原くんが役場の人と話をして、書類は受理された。


「結婚おめでとう! 私達、リンゴーンだね」

「だねえ」


 寡黙な方だけれど笑顔で嬉しそうな志庵くんをみて、私も抱えていた誰にでもある悩みがパララと散っていく。


「一緒に長生きしようね。志庵くん」

「弥子ちゃんもだよ」


 それにしても足は痛い。

 これさえなければ最高だったのに。


「もうちょっとがんばって。一旦南下しないと隣の隣の町へは道がないんだ」

「大切な日にうっかりしてごめんね」

「また謝る。食べるぞ」

「食べられたいけど」


 朴訥とした彼にふざけたネタはよくない。

 頑なに武士を通してきたので、今更なのだが。


「はい、着いたよ」とドアを開けてくれた。


 ここしか病院がないせいもあって、待合室はひしめき合っており、そのせいか暖房器具が要らないぐらいだ。

 内科らしかったが、病気であれ怪我であれ取り敢えずみてもらう感じだ。


「桐原さーん」


 私は上の空だ。


「桐原さーん」

「え? ここって桐原さん多いんだよね。さっきから呼ばれているのに」

「桐原弥子さーん」

「弥子ちゃんのことだよ」

「あ、はい! はい!」

 

 入籍ボケをしてしまった。

 医師一名の診察室へ一人で入る。


「どっち? 右足か?」

「右足の薬指です」


 黙っている医師に汗ばんできた。

 もうつま先に爪なんか少ししか繋がっていないから。


「カーテンの隣へどうぞ」

「はい」


 もうなくなるのか。

 入籍の日につま先から爪を失うとか、これまで考えたこともなかった。

 看護師のいうがままに、上を向いてベッドに寝る。

 医師は次の患者をみていた。


「わ!」


 体の大きな看護師が断りもなく私を覆った。

 医師が風のように現れる。


「無影灯、こっち」


 それだけ言うと、私のつま先に異変が起きる。

 医師はいなくなり、看護師も体をどかした。


「ええ! つま先がおかしいわね。爪がないけど――?」


 話を聞きたいとカーテンの向こうにある診察室へ通してもらった。


「これからこの爪はどうなるのですか?」

「生えてきます」


 内科の専門医で外科もスペシャリストなのか、こうして私の右つま先はナイスタイミングでお別れを告げた。

 お支払いをして、「お大事に」です。

 あっけなさすぎる。


「弥子ちゃん、どうだった?」

「どうもなにもカルチャーショック込みでドギマギですよ」


 彼は運転席で前を向く。


「爪は生えてくるならよかったよ。様子見でいいかな」

「楽観視できないわ。はじめてのことで」


 志庵くんが車を出すよと声をかけてくれた。

 エンジンがボウンと一笑したのか、この入籍爪事件が一生のネタになりそうだ。


「これからさ……。色々と新しいことがあると思うんだ。でも、夫婦になったんだから――」


 助手席の私からも感じられた。

 彼は我慢をしている。

 泣かないのを我慢しているんだ。


「うん、言葉にしなくてもいいよ……」


 私をもらってくれるだけでありがたいと思う。

 母は遠方の方だからと反対したり不機嫌でいた。

 しかし、仲睦まじく一生を共にするお相手の方が大切だろう。


「お守りをつけてくれてありがとうね」

「いや、それはその……。いただいたから」


 婚約者として過ごした日々が、一枚の紙で妻となれた。


「帰ったら足を休ませるといいよ」


 車の白いお守りがゆっくりと揺れていた……。


          【了】

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