試験会場はこちらです

倉谷みこと

試験会場はこちらです

(えっと……ここでいいのか?)


 車を駐車場に停めた俺は、手もとにある受験案内のはがきを確認する。


 受験案内。資格試験の案内通知だ。俺が十年ほど勤務している職場で、取得しなければいけない資格があることが、最近になって発覚した。その資格は、本来なら上司以上は必ず持っていなければいけない物らしいのだが、上司は誰も持っていなかった。もちろん、俺含む社員さえもだ。


 どうしても、最低一人は所持しなければいけないということで、なぜか俺に白羽の矢が立った。上司の方がいいんじゃないかと思って抗議したのだが、やんわりと押しつけられた。それ以上抗議したところで、決定事項がくつがえることがないと悟った俺は、しぶしぶ了承するしかなかったというわけだ。


「本当に……ここでいいんだよな?」


 車から降りた俺は、不安でそんなことをつぶやいていた。人気ひとけがなくとても静かで、会場を間違えてしまったかと思えるほどだったのだ。


 もう一度、案内通知を確認する。間違いない。通知に記されているのは、この高校の名前と簡易的な地図だ。校舎の方に行けば誰かいるだろうと、不安を押し殺して歩き出す。


 日曜日で学校が休みだとはいえ、ここまで静かなのはどこかおかしい気がする。部活動で登校している生徒がいてもおかしくないはずだ。でも、それらしい音も聞こえない。


 押し殺した不安が、徐々に心を侵食してくる。試験前の緊張感も相まって、呼吸がいつもより浅くなってしまう。


 立ち止まり、軽く深呼吸をする。


(大丈夫。ここで合ってるし、試験もうまくいく)


 だから大丈夫だと自分に言い聞かせて、俺は改めて校舎へと向かった。


 しばらく歩いて行くと、昇降口が見えてきた。その前に一人の男が立っている。他人にようやく会えたことで、俺は心の底からほっとした。ここに来るまで、本当に誰一人として出会わなかったのだ。生徒や教師だけでなく、試験を運営するスタッフさえもだ。こんな状況で人を見つけたら、誰だって胸をなでおろすだろう。


「すいません、この資格の試験会場ってここですよね?」


 俺は、足早にその人に近づいてそう質問した。


 けれど、黒いキャップを目深にかぶっている男は、俺の質問に答えることはなかった。それどころか、こちらを見ることもない。


(何だ、こいつ? 聞こえてない……?)


 不審に思いながらも、もう一度同じ質問をしようと口を開きかけた時だった。


「試験会場はこちらです」


 感情のない低い声で男が言った。


「あ、ああ……ここで合ってるんですね。ありがとう」


 そう言って、俺は男の横を通りすぎようとした。その瞬間、彼は俺の前に立ち塞がった。


「な、何ですか!? 危ないな!」


 ぶつかりそうなほどの距離だったから、慌ててそう文句を言った。でも、男は謝りもせず、左手を真横に上げて先ほどと同じ言葉を口にする。


「え!? あっち?」


 驚いて問い返しても、やっぱり男からの返事はない。


 俺はしかたなく、彼がさし示した方へ行ってみることにした。


「……あいつ、何だったんだ? 会話にならねえし、不気味すぎんだろ。てか、本当にこっちで合ってんのか?」


 つぶやきながら、会場だと言われた方に歩いて行く。多少の余裕は確保できるように家を出て来たから、試験開始時刻にはまだ間に合うはずだ。でも、早いところ会場自体に着いておかなければ、俺の心理的にヤバい。ただでさえ緊張しているのに、開始時間ぎりぎりに到着しようものなら、今まで勉強してきたことをきれいさっぱり忘れてしまうに違いない。それだけは、どうしても避けたい。この先にあるのが試験会場であってほしいと願いつつ、俺は先を急いだ。


 しばらく歩くと校舎が見えてきた。先ほどよりも外観が古めかしい気がする。とはいえ、木造というわけではないから、そこまで古くはないのだろう。


「本当にここが……?」


 どうしても、この校舎が試験会場だとは思えなかった。明らかに人の気配がない。それに、案内の看板らしきものもないのだ。


 もしかしなくても、あの男に騙されたのだろう。でも、怒りは不思議と湧いてこなかった。それよりも、寒々しい校舎の雰囲気が不気味に感じたのだ。なぜか、ここにいてはいけない気がした。


(……戻ろう)


 そう思って、振り向いた瞬間だった。


「――っ!?」


 心臓が止まるんじゃないかと思った。俺の真後ろにあの男が立っていたからだ。


(どうしてここに!? 昇降口にいたはずじゃ……!)


 たしかに、ここは先ほどの昇降口からそこまで離れているわけではない。でも、他の受験者の案内をしなければならないはずだ。


「試験会場はこちらです」


 俺の驚きなど知ったことではないとばかりに、男は無感情な声でそう言った。相変わらキャップを深々とかぶっている。その上、うつむいているので顔が見えない。


「う、うそ……ですよね?」


 おそるおそる、そう聞いてみる。


 だが、男は同じ言葉をくり返すばかりだった。それがとても怖くて、俺はそろそろと後ずさる。男から視線を外さずにいたが、そいつは突っ立ったままだった。


 このまま逃げようとしたその時、背後から地響きにも似た低い音が聞こえてきた。その音の大きさに、悲鳴を上げた俺は、思わずその場にへたり込んでしまった。


 今の音は何だ? 低い音だった気が……いや、違う。唸り声だ。そう確信した瞬間、総毛立った。


 いったい何が起きているのかわからなかった。確認したくない。でも、確認しないではいられない。そんな矛盾した思いのまま、俺はおそるおそる背後を振り向いた。そこには、相変わらず不気味な雰囲気の校舎がたたずんでいる。でも、不気味なのは雰囲気だけのせいではなかった。校舎の窓すべてから、真っ白い手だけが無数に伸びていて、俺を手招きしているのだ。ゆっくりゆっくり、こっちへおいでと。


 悲鳴を上げていただろう俺は、あまりの恐怖に意識を手放した――。


 気がつくと、俺の視界には抜けるような青空が広がっていた。


「あれ? 俺……」


 つぶやいて起き上がると、


「ああ、よかった。このまま起きなかったらどうしようかと思ってたんですよ」


 見知らぬ女性が、そんなことを言って笑顔を向ける。


 俺は、どう言っていいかわからず口ごもるしかない。


「受験希望の方、ですよね?」


 俺のかたわらに落ちていた通知はがきを拾い上げ、彼女はそうたずねてきた。


 俺がうなずくと、彼女はほっとしたような表情を浮かべる。


「次の開始時刻にはまだ間に合いますから、会場にご案内しますね」


 その言葉がきっかけだった。あの不気味な男と窓から伸びる無数の手が、俺の脳裏に蘇った。


「ぁ……あぁ……うあああああっ!」


 恐怖が戻ってきて、俺は悲鳴を上げながら逃げ出した。


「あ、あの……ちょっと!」


 女性の呼び止める声が聞こえるが、無視を決め込んで一心不乱に走る。


 走って走って、ようやく自分の車までたどり着いた。恐怖と焦りでもたつきながら、どうにか車に乗り込む。息を整える暇もなく、俺は急発進でその場を後にした。


 あれはいったい何だったのか。いや、考えたくない。試験という言葉も聞きたくなかった。それよりも今は、家に帰ってすべてを忘れたい気持ちが強かった。

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