疾うに忘れた物語  ~催眠術使いの少女と、転生男~

古鶏真祖

01 ~ 06 end

---------------

●01.【主観:俺】揺れる輪の少女

---------------


 まずは目前の少女について。


 ルウェーフォ=チュブオン。……ぶっちゃけ名前が呼び辛いので、俺は『フォーちゃん』と呼んでいる。


 フォーちゃんは俺に催眠術をかけてくる。


 速効性のヤツと、時間がかかる遅効性のヤツの2種類がある。特に【速効型】の方をよく俺に使ってくる。


 ……彼女はなぜ俺に催眠術を掛けるのか?


 それはきっと、今のこの世を生き続けるために必要だから。



 俺はあるとき、異世界の森へと飛ばされた。


 ステータスとかそんなもんはない。ゲーム的じゃないんだ。


 俺がいる場所は霧に満ちた森。周囲に人の気配はない。


 きつめのサバイバル系の生活になるのかと思ったが、早い段階で人に出会えたことでその危機は去った。


 そう、幸いにも森の中で出会ったのは"くまさん"ではなく人間だった。


 しかし、出会った相手はよりによってフォーちゃんだった。


「どこから来たの?

 なんかアナタさ、ここら辺じゃ見ないツラね。明らかに異民族だよね。

 えーとさ、アナタはイケニエの儀式とかしたりします?

 ウホウホ言って原始的な踊りとかしたりしないの?」


 フォーちゃんは俺に対し、ナチュラルに偏見に満ちた発言をしてきた。その失礼な発言に少々面喰いつつも、俺は怒らないことにした。


 それを楽し気に話すフォーちゃんは可愛かったからだ。


 銀白色の細やかな髪の毛。それをさっぱりとショートにまとめている。明るい茶色か、もしくは橙色の目。光の加減で変わる。


 右耳のピアスは少し長めの細鎖が垂れ、先にはリングの飾りが付いている。フォーちゃんがちょっと首を傾げるだけで、それは振り子のように揺れる。


 フォーちゃんからイキナリの変な発言。それにどう答えて良いか分からなかった俺は、しばらく言葉を失っていた。


「もしもーし。言葉通じている? わかんない?

 それともアナタ、『見つめることで意思が伝わる』とか思っているタイプ?」


 少しイタズラっぽくこちらを覗き込み、フォーちゃんは微笑んだ。


「いや……そういうのじゃないです。それにイケニエ儀式や踊りもしません。

 実は俺、道に迷っているんですが……というか俺がもともといたところとは違う場所へ迷い込んでしまって困っているんですが」


「……ふーむ。別の世に迷い込んだと言うの?

 世迷よまい言を。

 じゃあ世迷い言を話すアナタは『世迷よまい人』とでも呼ぶべきなのかしら」


 フォーちゃんは小首を傾げてそう言った。


「なんか変な呼称を付けられる前に、自己紹介しておきます。

 俵家塔司と言います。タワラケ・トウジ。

 俵家が名字で、塔司が名前です」


 フォーちゃんの見た目は、明らかに日本人ではない。なので俺はどちらがファミリーネームであるか分かるように自己紹介した。


「じゃあ、タワケとでも呼びますか」


「いや、何でそうなるんですか。

 それって良い意味じゃないって分かるでしょ」


「言いづらいから縮めたまでですけど。

 じゃあ、普通にトウジって呼ぶことにするわ。

 そうね、アナタはトウジ。……それでいいわね?

 そしてわたしは、ルウェーフォ=チュブオン。

 ルウェーフォがわたしの名で、チュブオンが家名です。

 本当はもっと長ったらしいのだけれど、アナタはきっと憶えきれない。

 呼び方は、どうぞお好きなように」


 相手に下の名前で呼ばれた、とはいえ俺の性格的に『いきなり女の子を下の名前で呼ぶこと』はできない。


「チュブオンさん」


 俺がそう呼ぶと彼女は微妙な表情をして、そして静かに文句を言ってきた。


「わたしの他にもチュブオンはいます、それもたくさん。紛らわしいですね」


「じゃあ……ルウェーフォ。

 ……舌噛みそうな名前ですね」


「タワケはやっぱりたわけですね。

 『好きなように呼べ』と言ったでしょう?

 なら、言いやすいように呼べばいいのに」


 彼女にそう言われ、俺の脳裏に浮かんだ呼び方があった。


「じゃあ『フォーちゃん』で。……それで、お願いがあるんですが。

 俺はまず、この森の中から出たいんです。道案内をお願いできませんか」


 俺が馴れ馴れしい呼び方をしたのに、フォーちゃんは何でもないかのような顔だった。……そしてまた、フォーちゃんは小首を傾げた。


 彼女の耳、ピアスからぶら下がったリング飾りが弧を描いて揺れる。


「……森の中?

 おかしなことを言いますね。

 ほぉら、わたしがみっつ数えればここは家の中だというのに。

 さん、にぃ、いち……ぜろ」


 フォーちゃんの不思議な言葉に俺が目をパチクリさせると、瞬きの間に居場所は変わっていた。……そこは森の中ではなく、室内。


 俺はどうしたらいいか分からない。何も言えないでいると、フォーちゃんはささやかな笑い声を出した。


「ね? わたしの言った通りじゃありませんか。

 ここは森の中なんかじゃありません。……わたしの家にようこそ」


 そうか……ここが、フォーちゃんの家なのか。



---------------

●02.【主観:俺】そびえる塔が見える街

---------------


 今、考えねばならぬのは状況だ。そう……俺が突然に置かれた状況。


 俺は突然、森の中から室内に『場面が切り替わったことに大きく動揺』する。普通なら有り得ないことが起こったのだから。


 周囲を見回すと、外が見える窓があった。ここは上階に位置する部屋で、窓からは青い空が見えていた。


 俺は現状を確認するため、窓に駆け寄った。


 ……そこから見渡せるのは都市だ。もちろん現代的な街並みではないが、たくさんの建物がひしめき合っている。


 石造り・レンガ造りから木造まである、多彩な建物群。


 その印象は……海外の観光地。あるいは発展途上の国とかならこういう風景が生活の場として残っているのかも知れない。


 高層建築もあるが、さすがにいっぱいとあるわけではないので、遠くに山並みを見ることが出来る。……その山裾にまで街は続いていた。


 街並みで特に目立つのは尖塔だった。あれだけやたらと目立つ。


「あのね、トウジ?

 人のウチにお邪魔して、まず最初にすることが『窓から外を眺める』なの?

 バカと煙は高い所がお好き、というヤツなの」


 フォーちゃんに皮肉を言われているのが分かったので、まずはそれに応対した。つまりは部屋に入った時のアイサツだ。


「えと、お邪魔します。

 じゃあ……街を見渡せるだけ高い所に住んでいるフォーちゃんは、煙なの」


「バカの方に決まっているでしょ。わたし、人間だもの。

 ほら、もてなしのお茶を淹れてあげるから、そこのソファにでも座ってなさい」


 俺と『出会って間もない』というのに、フォーちゃんは随分とあしらいがぞんざいだ。俺はソファに座りもせず突っ立ったまま、彼女に問いかけた。


「えーとさ、フォーちゃん。

 変なこと聞くようだけど、俺って以前にキミに会ったことあるっけ?」


 フォーちゃんはこの室内にあるキッチン設備で、お茶を淹れる準備をしている。こちらを振り向きもせず、俺の言葉に答える。


「なんで『異世界から来た』って言う人が、わたしと会ったことがあるのよ。

 ……あ、もしかして口説き文句で言ったの。

 『キミとは初めて会った気がしないんだ』ってヤツかな?

 女の部屋に入ったからって、いきなり性交オーケーとか思ってないよね?」


 ……いや、そんな古臭い言葉使う奴なんていないでしょ。というか俺はフォーちゃんから『下心ありそうな男』として扱われているのか?


「イヤ、口説きではない。今のはそーゆー意味ではない

 ……あと、余計なお世話かもしれないけどさ『気のない相手を自分の部屋に招く』のは危険だと思うよ? 相手がカンチガイするかもしれないんだから」


「ん? よく聞こえなかったけど、『余計なお世話』って?

 まさかわたしの淹れてるお茶のこと言ってるんじゃないでしょーね?」


「いやいや、お茶はありがたく頂きますけど。

 なんだか一気にイロイロ起きて、混乱してるだけなんですけど。

 森からいきなりどこかの部屋にワープしたんですけど。

 何が起こっているか分からなくてこわいんですけど」


「ケドケドうっさいなぁもう。

 ソファに座ってなさい。お茶とお茶菓子欲しくないの?」


 相手はすぐに説明する気はないようだ。彼女はムズカシイ顔をしながら、慎重にティーポットへとお湯を注いでいる。


 ポット内で茶葉が開き、カップが温まるまで少し待たねばならないようだ。


 ……取り合えず従うことにしよう。従順な姿勢を見せるくらいしか今の俺に出来る事はない。


 ややクッション硬めの二人掛けのソファ。やや武骨なデザイン。俺はそこに座って部屋の中を眺めることにした。


 ……床からして石。壁も石ということは、ここは建物自体が石造りなのだろう。やや広めのワンルームであり、仕切りもなく台所設備がある。


 炭を燃しての焜炉コンロの上で、先ほど沸かされたヤカンがまだ濛々もうもうと湯気を吐き出し続けている。


「えとさ、フォーちゃん。

 ヤカン、コンロにかけっぱなしでいいの?」


「え、いーのよ。これで。

 気になるなら別に……アッツ! 取っ手アッチィ! ホラ……消したわよ?」


 フォーちゃんは鍋掴みミトンを探して、ヤカンから湯を炭にかけて消した。……単に消し忘れたっぽいな。


「ヤケドしてない? 大丈夫?」


「だいじょーぶ。普段から家事してるんだから。

 手の皮が厚いに決まってんでしょうが」


 ……そうか? それにしては結構バタバタしてる感じでは?


 ティーポットを真面目な顔で見つめていたフォーちゃんは『ヨシ!』と指差し確認をして、お茶をティーカップに注ぎ始めた。


 その芳香がこっちまでふわっと来る。……いい香りだ。


 フォーちゃんはお盆にカップをふたつ載せ、こちらへヨチヨチした足取りで運んでくるが、それはカタカタという音をさせている。


 ……お盆でものを運ぶのにすら慣れていないのバレバレじゃないか?


 俺は心配になり立ち上がってフォーちゃんに近付いた。これは明らかにコケると危惧してたのでそっと近付き、彼女からお盆を取り上げた。


「俺が運びます。……慣れてない感じなんです?」


「……それもあるけど、やっぱヤケドしていたみたいで指がジンジンしてきた」


「フォーちゃん、早く水で冷やして!」


 お盆を取り上げられたフォーちゃんはキョロキョロと水を探すが、なぜか最後に俺の顔に目を留めた。


「しゃぶれ」


「は?」


「しゃぶれよオラ。わたしのヤケドした指ィ! しゃぶって差し上げろ」


 ……よく分からないけど、なんかスゴイ剣幕だ。


 俺は仕方なく、目の前に突き出されたフォーちゃんの人差し指をしゃぶった。


 …………アレ? コレって結構、異常な状況じゃないか?



---------------

●03.【主観:俺】輪投げ遊びは罠ゲーで

---------------


 俺とフォーちゃんは、ソファーに座った。


 ここで一度確認しておかなければならぬのは、この部屋の内部配置だ。


 まず全体として長方形の部屋だ。短い方の面には出入扉と、それの反対の面に大窓がひとつ。長い方の対にはふたつずつの小さな窓がある。


 ちなみに俺がさっき覗いたのは大きい方の窓だ。小さい方の窓は本当に明り取りと通気だけの窓と言った感じでちっちゃいのだ。


 今は大窓の方から陽が入ってきているから明るいものの、太陽の位置によっては薄暗いこともあるだろう。


 家具は少ない。ベッドとソファーと低いテーブル。あとは収納家具くらい。


 キッチンは大窓側にあり、煙とかでニオイが付くのを嫌ったのか、家具は対角の方に固めて配置されている。


 ソファーは二人掛けであり、その前にはティーカップがふたつ並べられた低いテーブルがある。……そして今、ティーカップはひとつに減った。


 俺の横に座ったフォーちゃんは、お茶の香りを楽しんでいる。


 ……俺はちょっと困っていた。さきほどその指をしゃぶって、今は俺の横にリラックスした様子で座っているフォーちゃんにどう対応したらいいのか。


 加えてさきほどから俺が対話を試みる度に、答えをはぐらかされてしまっている。……フォーちゃんはいったい何をしたいんだろう。


 俺の脳ミソは『今がどういう状況にあたるのか』と混迷を極めていた。


 なんなんだろ、今の状況。……隣にいてお茶を飲み、何も話さず静かなフォーちゃん。遠くから街の喧騒は聞こえるが、周辺から音はせず静かな部屋。


 両手を前で組み、前屈みの姿勢でソファーに座った俺。


「アナタって猫背なの? それともそういう風に座るのがクセなの?」


「いや? ちょっと考え事をしているだけ」


「早くお茶飲んだらどう? 冷めちゃうわよ。……猫舌なの?」


「ウン、そうだね。ちょっと猫舌かも」


 俺はウソを吐いていた。特に猫舌というわけではない。そしてこういう風に猫背で座るのが癖というわけでもない。


 フォーちゃんは、カタリとティーカップをテーブルに置くと身をかがめ、猫背な俺の顔を隣から覗き込む。猫のような好奇心の瞳で俺を見つめ、猫撫で声で囁く。


「わたしに聞きたいことがあるんじゃなかったの?」


 フォーちゃんの声は、音の震えであり暖かい吐息だった。つまりそれが俺の耳に当たった。


「えーとその、俺はこれからどうすればいいんだろう」


「帰る家はあるわけ?」


「俺の家は間違いなく近場にはないですよ。異世界なんだもの」


「アナタの一番近くにあるこの部屋を、帰る家にしてもいいけど?」


「……え」


「ここに泊まって……いえ、ここで暮らしてくれてもいいんだけど」


 俺は、さきほど見渡した部屋の構造を脳内で再構築した。……特に重要なのは家具の情報だった。


 『家具は少ない。ベッドとソファーと低いテーブル。あとは収納家具くらい』


「えーと、ここに暮らすと言いましても。

 突然でご迷惑ではないのですか」


「迷惑って? ……ん~、わたしにどんな『迷惑』があるの。

 ね……どんな迷惑をかけちゃいそうなの? 言ってみて」


「いえ、ですからその。

 女性の暮らす部屋にですねその」


「ふふ。

 ……アナタの暮らす部屋なら、ここでいいんだよ?

 …………。

 だってわたしの部屋は他にあるんですから」


 ……なるほど、そういうことか。つまり俺はからかわれたのだった。



---------------

●04.【主観:わたし】さても愉快は輪をかけて

---------------


 催眠術とは、何より信頼関係を築かぬことには成立しない。


 相手の心理的障壁を突破せぬことには『意識』というものに手を突っ込むことは出来ないのだから。


 わたしはトウジと充分に信頼関係を築けたと確信してより、行動に移した。


 幾つかの異なるアプローチを試みた。


 まずは疲労させてみた。要するに疲れて朦朧もうろうとした状態にして、意識を混濁させることによる心理的障壁の突破だった。


 これは失敗した。トウジは疲れてからの入眠が早く、催眠状態に至らない。


 次の方法は、リラックス状態を作ってからの催眠導入を試みてみた。


 これも失敗だった。トウジはわたしが近くにいるとなかなかリラックス状態に入らないのだ。……せっかく子守唄とか歌ってあげたのに、逆に興奮された。


 さらに次は、酩酊状態からの催眠を試みた。この方法はあまり良くないのではないかと思った。だってお酒に頼って安定した成果が出せるかは怪しい。


 これも失敗に終わる。トウジはお酒に弱過ぎる。



 そして最終的にはわたしは方法を確立させ、催眠術は成功を収めた……のだが。


 それは思わぬ副作用を引き起こしてしまった。催眠状態に入ってからのトウジは記憶を一部欠落させているようなのだ。


 わたしとまるで、初めて会ったかのような態度を取る。


 イヤ別に、大きな問題があるわけではない。わたしが合図をして、彼が催眠から覚めれば『いつものトウジ』に戻るのだから。



 トウジに対する催眠導入で有効なのは、薬草の使用だった。


 別に麻薬とかそう言うのではない。一定の比率で配合した暖かいお茶に、ごく少量の眠り薬を混ぜ、『それを意識させずに服用』させる。


 服用後はしばらく一定距離で瞳を見つめての対話を行なう。トウジは照れ屋なので、よく目を逸らしてわたしの耳飾りの辺りを見る。


 そこで『揺れる環状の飾り』にトウジが注目し出した辺りで、わたし達の『出会った森』についての話をしていく。


 最初にこの方法を発見したのは偶然だったが、状況を整えると再現性がある。


 『ふたりきり』『静かな状況』『昼間』『物が少なく、注目先が限られる部屋』『前回の覚醒から一定時間が経っていること』『疲れや酩酊が無いこと』


 以上が分かっている条件だ。この要素を欠くと失敗の方がずっと多くなる。



 記憶を失って、わたしとのことを忘れたトウジをからかうのは、とても楽しい。


 今日の設定は『ちょっとイジワルでドジなわたし』だ。普段見せない一面。


 普段なら隠してしまって見せないようにしている面を『わたしとの記憶を失ったトウジ』に見て貰う。そしてその反応を楽しむ。


 『催眠を解けば、なぜかトウジは今していることを忘れてしまう』のだから。



 再現性があるということは、何度だって楽しめるということ。


 わたしの新しい面をトウジに幾らでも見せられるということ。


 それが、わたしの楽しみ。憂さを晴らすもの。


 別の面をちょっとずつ見せて、彼がどう反応してくれるか確認する。


 ……今のところ、ほとんど全てのわたしはトウジに好評だ。


 でも、そんなトウジとて。


 わたしの全てまでは、受け入れられるというわけでもないのだけれど。



---------------

●05.【主観:わたし】輪駆わかり続けて、分からぬことを

---------------


 ……さて、わたしはなんで、こんなことをしているのでしょうね。



 それはきっと『もう一度、失われた恋の味を』という思いから。


 トウジがこの世界に迷い込んだばかりのころ、彼はわたしに恋してくれた。


 それはわたしにとって、とてもとても嬉しい事でした。


 『呪いを受けた姫』であるわたしは、愛されても避けられる運命でしたから。



 その呪いは、わたしの血に混じり入りて消えない。


 飲めど食えど『新しく作られた血もまた呪われる』のですから、きっと死ぬまで消えはしない。血が枯れ果てるまでは。


 ……それだけでもとても怖いのに、それだけでは済まない。


 わたしの心が乱れれば『化物』が出てきてしまう。


 姫という立場が、わたしを容易に殺して処分できない状況を作っている。


 つまり『呪われた姫は、飼い殺し』の憂き目にあっている。



 わたしは馬鹿じゃない。……自分の身に訪れた不幸がひどいものであっても、泣き喚いたり周囲に迷惑をかけるなど、見苦しい真似はしない。できない。


 でも、わたしは馬鹿だ。……一度トウジに愛されてしまったなら、その愛がほしくてたまらない。何度であっても欲しい。


 そして世の中は馬鹿らしい。……だって『ここではない世界から来たトウジこそが、呪われたわたしを殺すのにもっとも適性を持っている』のだから。



 これは道ならぬ恋だ。相容れぬ相手との恋。


 わたしの心のうちにあるものは、きっと醜い化け物の欲望。


 この身に足らないものを埋めたいだけ。


 それを愛と偽って、わたしの『怪物』は生き残りたいだけなのかも知れない。


 それが焦がれて痛むから、この気持ちは苦しいんだ。


 でも、なんでなの。


 ……なんでアナタなのだろう。



 トウジが知っていることは、まだわたしの百に足らない。


 わたしの普段見せない面を、これまでにも『催眠されたトウジ』に見せてきた。


 まだ全部、見て貰っていない。


 好きな人に、わたしの全てを見て貰っていない。


 全部見て貰ってから、終わりたい。



---------------

●06.【主観:俺】とうにわすれただけのこと

---------------


 フォーちゃんの『催眠術遊び』は一種の現実逃避だった。


 彼女は呪いに虫食むしばまれている。


 フォーちゃんの心はもう、正常とは言えない段階にまで達していた。



 フォーちゃんが受けたのは『百塞ひゃくそくの呪い』というものだ。


 その身に『巨大なムカデのような化物』を宿している。


 フォーちゃんの心が乱れて余裕がなくなると、その化物は姿を現す。


 言ってみれば、フォーちゃんの心によって『フタをされている』のだ。



 彼女は『余計に心を乱すことがないように、幽閉された身』だった。


 たまに人払いをしての外出が許可される。フォーちゃんの精神の安定のためだ。


 王領の広大な森。……姫がいるときは、誰も立ち入れぬ森。


 そこを転生先として現れた俺は、神から使命を受けていた。


 『災厄』を取り除くことが、役目だと。


 ……転生してすぐに、目の前に現れた少女がその標的とは思わなかった。


 だって、いきなりクライマックス、ラスボス登場になるとは思わなかったから。



 フォーちゃんと出会ってしまった俺は、彼女の話し相手として王国に留められた。

そして、彼女の近くにいることを許可された。


 俺を引き離せば、それがフォーちゃんの心の乱れを生むかもしれないから。


 でも、それは危ない橋でしかなかった。



 俺といると、フォーちゃんの『心の扉は、内から激しく叩かれる』ようで。


 それが本当に恋というものなのか、彼女にも俺にも判別は付かなかった。


 もしかしたら、彼女に巣食う『呪いの大ムカデ』の仕業かも知れない。


 そいつが外に出ようと、そうしているのかも知れない。


 フォーちゃんの胸の高鳴りは、呪いのせいなのかも知れない。


 ……結局は『かも知れない』ばっかりだ。分からないことばかり。



 だとしても、俺もフォーちゃんのことは好きだ。


 そしてそれは……望ましい事ではなかった。


 この『呪い』は増える。……子を成すことによって、そこへ呪いは伝わる。



 俺は王国の世話役へ、自ら願い出でて『呪いを増やさぬ処置』を望んだ。


 呪いを増やさぬように。


 フォーちゃんとの子供が、産まれないように。


 そのための去勢。


 ……そしてそれは、悪く作用した。


 フォーちゃんは、段々と精神的に壊れていった。



 ………………。


 もう、俺は深く考えることをやめた。


 フォーちゃんが言い出したことを、お望みのままに為す日々。


 そして俺もそれを嬉しく受け止め、喜ぶだけでいい。


 自分の心のままに、フォーちゃんを愛するだけでいい。


 いま一時だけの恋など、疾うに忘れて終わるだけのこと。


 この行ないは、未来につながらず終わるだけ。



 次の日が来る。今日も晴れ。


 フォーちゃんは俺を誘い、いつものように話を始める。



「トウジ。こっちを見て。

 ……そう、それでいいわ。

 さっき飲んだお茶で体が暖かいでしょう?

 眠たい感じはしたりしない?

 ……そう、ちょっとだけ眠たいのね。

 じゃあ、力を抜いて椅子に寄りかかるといい。ゆっくりとね。

 …………そう、目を半分くらいに閉じて。

 返事はしなくていいわ。

 ……わたしの声に、耳を傾けて。


 ねぇ。思い浮かべてみて。

 あなたは今、森にいるの。……それはとても深い森。

 あなたはそこにいる、霧に包まれて遠くも見えない森に。

 あなたは『そこがどこだか分からない』の。

 だから、ちょっと不安な気持ちで、辺りをさまよっているわ。

 霧は深くて、森の中はとても静かなの。……とても、静かなの。

 あなたは少し、疲れてしまったかも知れない。


 ほら、まふだがゆっくりと閉じていくわ。

 そうすると、いろいろなことが忘れ去られていくの。

 ほら段々と、わたしとのことも忘れてしまうわ。


 みっつ数えたら、忘れてしまう。

 さん、にぃ、いち……ぜろ。


 そう、そして。

 わたしがそこに、訪れる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

疾うに忘れた物語  ~催眠術使いの少女と、転生男~ 古鶏真祖 @kokeishinso

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画