めぐり逢ふ月
香久山 ゆみ
めぐり逢ふ月
ひらりと手元に舞い落ちたノートの切れ端。少し褪せた紙の色と手触り、達筆なペン書きが記されている。
――めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな
年の瀬も近いから、年末の大掃除をしていた。
べつにずっと探していたわけでもないけれど、今更出てくるものなのだなと妙な感慨に浸る。こんな小さな紙片、何かに紛れて捨てられていたっておかしくないのに。
甘酸っぱいだけでなく、おセンチな気持ちになるのは、今夜最終回を迎えた大河ドラマのせいだろう。
この歌はふつう、友との慌しい再会を惜しんだ歌だと解される。けれど、紫式部と藤原道長の秘めたる恋を主軸にした大河ドラマの作中ではなかなか意味深な解釈をされていた。確かに、詠み人の紫式部が『源氏物語』の作者であることも鑑みれば納得させられるものだった。
『源氏物語』には印象的な一章がある。その章題が「雲隠」である。「雲隠」の巻は、巻名のみが現代まで伝わり、本文は一文たりとも残っていない。いや当初から本文は書かれなかったとも解されるこの章は、光源氏の最期を記す巻であるといわれる。
その作者が歌に「雲隠れ」と詠み込んだのならば、確かに「死」のメタファーが込められていると解釈するのも自然と思われる。
「紫式部ってすごい前衛的だと思わないか」
ノートに歌を書いてくれた彼が言っていたのを思い出す。今だと「攻めてる」と表現するのかしら。
「章題だけ書いて本文を書かないなんて、すごい発想だろ」
温厚な彼がめずらしく鼻息を荒くしていて、くすっと笑ってしまった。それにも気付かず、彼の熱弁は続いた。
「いやもしも本文があったとしても、きっと際どい内容だったと思うんだよ。そもそも、天皇の后を相手に不義密通を働くという物語自体すごいことだと思うんだけど、そんな内容でさえ宮中で読まれ残されているのに、一巻だけ消されたなんて一体何書いたんだよって」
普段無口な彼が饒舌だった。それで私も興味を持って「源氏物語を読んでみようかな」と言うと、嬉しそうに「それなら田辺聖子の現代訳が読みやすい」と勧めてくれた。彼ともっとお喋りしたくて一生懸命読んだな。それで、会話する中で彼がじつは小説家志望で、今もひっそり書いているのだと知ったりした。
彼は小説家にはならなかったけれど、私は国語科教師になった。
卒業以来会う機会はなかったけれど、赴任先の学校で二十数年ぶりに再会した。彼も私のことを覚えてくれていた。小説家を目指していることを打ち明けた生徒は私だけだって。喜びも束の間、私の着任と入れ違いで、彼は定年退職で去って行った。
結局、先生の小説は読ませてもらえずじまいだ。手許に残ったのは、この赤ペンで走り書きされた一首だけ。ノートから切り取ってしまったから、なんで歌が朱書きされたのかも思い出せない。
同窓会にはずっと顔を出していなかったけれど、先日先生の訃報を聞いた。
先生との思い出は、人生の中のほんのわずかな時間だ。けれど、ずいぶん大きな影響を受けた。彼と出会わなければ、大河ドラマだって見なかっただろうし、小説を書こうとも思わなかっただろう。
私も才能はないようでただ書き溜める一方だが、今は自由にネットに発表できる時代だから、こつこつ自作をアップしてはめぐり逢った親切な人に読んでもらったりしている。先日は「小説家になりたい」と言う生徒に、「先生も」と打ち明けてみたりした。彼女は、私と先生の思い出を聞いて、掌編を作ると意気込んでいる。小説にする程のエピソードはないのだけれど。
先生と話していた時の私も、こんなにキラキラしていたのだろうか。また新しい月が昇る。
冷やりとした窓を開けると、今年最後の満月が美しく輝いていた。
めぐり逢ふ月 香久山 ゆみ @kaguyamayumi
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