光に落ちる

みささぎかなめ

光に落ちる

●膝の上の魔女

 口元に運ばれた白いクリームを味わう。それはとろりと口の中に広がり、甘い香りで体中を満たしてくれた。

 魔女は頬を紅潮させ、それから、はっと気づいたように自分を抱えている騎士を見上げた。

「違う。そうではなくてだな、弟子よ」

「おや師匠。口元にクリームが付いていますよ」

「う、あ、いや……すまんって。そうではなく。我々はこんな事をしている場合ではないだろ? お前は私を――」

 騎士は自分の膝の上にいる魔女の口元を丁寧に拭いてやり、それから上機嫌で話し始めた。

「ふむ。では最初から確認しましょう。それくらいの時間はあるでしょうから」

 ここは森の中の魔女の小屋。

 ピカピカに磨かれた鎧を身に着けた立派な騎士が、魔女を抱えてせっせと土産の甘味を食べさせている。

 騎士はフルーツを摘み上げ、魔女の口元へと運んだ。


●魔女と森

 その日、魔女は魔法の光を導にして暗い道を散歩していた。

 この森は静かだ。

 動物の足音、小鳥のさえずり、虫の羽音。たまにそういった小さな命の息遣いだけが聞こえてくる、実に平穏な森である。

 だというのに、だ。

 魔女の行く先にボロ切れのような塊が落ちていたのだ。

「……いや、ボロ雑巾かな?」

 指先の光を操り、魔女が黒い塊を照らした。

 よく見ると黒い塊はモゾモゾと動いており、さらになんと言葉を発した。

「……ひかり……」

「うーん。まさかとは思うが、もしや人間の子供か」

「まほうの……ひかり。あなたは……まじょですか?」

 子供はジリジリと魔女に近づき、手を伸ばす。

「そういうお前は」

 魔女はそこで言葉を切る。

 子供の手はやせ細っており、乾いた血の跡がベッタリと付いていた。顔はキズだらけだ。動くたびに背中を気にしているところを見ると、そこにも傷があるのかもしれない。息遣いは荒く、今にも命の灯火が消えてしまいそうな風貌をしていた。

「おねがい……」

 必死に堪えながら、子供は声を絞り出す。

「おねがい、もう、いやだ。ぼくを、ころして……」

「は?」

 にじり寄ってくる子の体をひょいと持ち上げ、魔女は不機嫌そうに眉をひそめた。

「どうして私がおまえの願いを叶える必要がある?」

「……え?」

「私は誰の命令にも従わない。魔女だからな」

 そうしてブツブツ文句を言いながら、子供を小屋まで運んだ。


●魔女と騎士

「そんな昔話から話すのか?」

 甘いフルーツを堪能しながら、魔女が首を傾げる。

「それは勿論。僕と師匠の運命的な出会いじゃないですか。ああ、何度思い出しても素晴らしい。感動に打ち震えますね」

「うーん。同じ話をもう七百五十六回くらい聞いたからなあ」

「ここからが良いところですよ。師匠との食事、師匠が整えてくれた寝所、そして師匠からの魔法の手ほどき。死にかけの僕を拾ってくれた師匠は、僕をずっと生かしてくれました。それから街へ出て騎士となった僕を、いつも気遣ってくれて――」

「あー……。それ、毎回数刻はかかるやつだな。今日は難しいんじゃないか? ちょっと飛ばして話せ」

「仕方ありません。では、僕の訪問の理由でしょうか」

 手元のナイフでパンケーキを切り分け、騎士はそれを魔女に差し出す。魔女はほんのり甘いパンケーキを食べながら、続きを促した。


●騎士と命令

「黒魔女の討伐ですか?」

「うむ。貴様の光魔法なら黒魔女に対抗できるはず。滅ぼすまでは行かずとも、命をかけても魔女を制圧するんだ。遅れて我ら騎士団が突入し、魔女を捕らえて王に献上するぞ」

 この日、騎士に森に潜む魔女の討伐命令が下った。

「……なるほど」

 国から認められた騎士とはいえ、騎士団の中の序列は実家の力関係で決まる。特に貴族の生まれではない者の地位は低い。ましてや、親が誰かさえも分からない者ともなれば、その扱いは言わずもがな。

 この命令はつまり『死んでもいいから魔女と戦え。手柄は本体の騎士たちのものだ』ということらしい。

「魔女は町を一つ水で沈めたらしいぞ。だが殺すには惜しい。その力を我が国の戦力として使ってやろうというわけだ。まずは瀕死にして捕らえる。その後は調教でも何でもして従わせるという手はずだ」

 騎士はそうして単身森へと帰ってきた。


●魔女と弟子

「実に分かりやすい説明だな」

「腹立たしいことに、そういうわけなので――」

 瞬間、二人の距離が開いた。

 魔女が騎士の腕の中からするりと抜け出したのだ。そのまま小屋の外に出た魔女は、迷いなく魔法を行使した。指を鳴らし、周囲の様子を一変させる。

 まず小屋が見る間に縮み、魔女のポケットに消えた。

 動物たちも魔法で遠ざけられ、戦いの場ができあがる。

 魔女の魔法に驚くことなく、騎士も動いていた。

 大きな魔法陣を足元に展開し、光の弾丸をいくつも魔法で形成する。

「師匠、町を水浸しにしたのは何故です?」

「どうして私がそれを説明する必要がある?」

「相変わらずですね」

 騎士の魔法弾が弾け飛ぶ。それらは螺旋を描きながら四方八方に舞い、魔女へと向かった。

 魔女は光の攻撃をひらひらと飛んで躱す。

「お前が私を捕えに来たことは分かっていたさ。だが、はたしてお前にできるかな?」

 空振った光の弾が互いにぶつかり消えていった。光の残滓だけがキラリと残る。その合間から魔女の攻撃――黒い線が走った。無数の黒線が地を這い、木の間を縫い、騎士へと迫る。

「黒の雷……!」

 騎士は咄嗟に周囲に光の壁を作った。彼の光魔法は騎士団でも随一であり、実力だけなら聖騎士に最も近いと言われている。

 その魔法で作り出した光の壁が騎士を守るはずだったのだ。

 さて周囲を這い回る黒い雷が、更に細く鋭く姿を変える。

 細く細く、ついには目で追えないほどになり、光の壁の隙間をすり抜けた。

「教えただろう、弟子よ。魔法は派手じゃなくてもいいんだ」

 魔女の雷が騎士の鎧を何度も撃つ。

 光り輝いていた鎧に、いくつもの黒い傷ができた。

「やはり純粋な放出系の魔法では、あなたに敵わないな」

「うむ。そうと知ったら、早急に立ち去るが良いぞ!」

「面白いことを言わないでください。放出でダメなら、引き寄せるしか無いじゃないですか」

 その言葉通り、騎士は魔法陣に力を流し、自身が放った光の残滓を引き寄せる。いや、それだけに留まらない。

「は……? 光を、強制的に引き寄せているだと?」

 木漏れ日も、魔女の瞳に映る光さえも、騎士の魔法陣は、光という光を引き寄せ始めた。当然、魔女の体も勢いよく騎士のもとへと飛ばされる。

「さあ、僕の光に落ちて来てください、師匠」

 騎士は両手を広げ、やさしく魔女を受け止めた。

「町で話を聞きましたよ。住民は無事だが、一時的に町中が水浸しになったと」

「……どうでもいいが、顔が近い」

「疫病対策ですか?」

 指摘され、魔女は顔を背けた。

「あの町は汚染された川の近くでしたよね。飲水だけじゃない、町中に病気の元が蔓延し、全部を一気に洗い流す以外他にどうしようもなく――」

「あーあー、分かった。降参だ。どこにでも連れて行くがいい」

 魔女が騎士の腕の中で両手を上げる。

「恥ずかしがるあなたも、いつも通りですね。嬉しいですよ、師匠。承知しました、さあ行きましょう!」

 騎士の足元で魔法陣が輝きを増した。

「これは大型転移の魔法か。随分上達したんだな」

 魔女の言葉を聞きながら、弟子はいそいそと鎧を脱ぎ始める。

「ど、ど、どうして鎧を脱いでいる……?」

 ベルトを外し、胴鎧を捨て、腕当も地に投げた。身軽な装いになった弟子は、満足げにニコリと笑う。

「もちろん、騎士を廃業するからですよ」

「は……?」

「あなただけが僕の光なのに、王に引き渡せなんて馬鹿げていますよね? だから騎士は辞めます。さあ僕と一緒に旅立ちましょう」

「おまえ、せっかく騎士になれたのに……って、ええ……」

 瞬間、まばゆい光を放つ魔法陣に二人は落ちていった。


 数刻後。

 遅れてやってきた騎士達が見たものは、打ち捨てられた騎士の鎧。そこにあるはずの魔女の小屋も忽然と姿を消していた。鎧にはいくつもの傷がついており、激闘の末の消滅だと誰もが恐れおののいた。

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