三章 恋、見つけた!

 「どう、つかさ? 支部長としての仕事は?」

 「ああ。新しいことだらけでなかなかに大変だがその分、楽しくもある」

 「そう……」

 「君の方はどうだ?」

 「うん、なんとかやってるよ。やっぱり、自分で企画から立てるのは楽しい」

 「そうか。よかったな」

 「うん……」

 ふたりはそれきり黙り込み、黙々と食事をすすめた。

 北海道にあるつかさのアパートでのことだった。

 せっかく、クリスマスをふたりで過ごすためにやって来たというのに、心に沸き立つものがない。会話もつづかない。つかさの作ってくれる料理は相変わらずおいしいけど……どこか、よそよそしい。ふいに――。

 つかさが音を立てて箸を置いた。

 ジッと今日香きょうかを見た。

 「な、なに……?」

 ただならぬ雰囲気に、今日香きょうかは居住まいを正した。

 「今日香きょうか。ハッキリ言う。おれは君の浮気を心配している」

 「えええっ⁉」

 いきなり言われて今日香きょうかは仰天した。一瞬とは言えたしかに浮気を望んだことを見透かされたのかと思った。罪悪感と羞恥心で顔が白くなったり、赤くなったりした。そんな妻の様子には関係なく、つかさはいつもの無感情な口調でつづけた。

 「すまない。こんなことを君に言うのは本当に失礼なことだと承知している。しかし、これは、おれの本心だ。おれはこの通りの性格だ。アツい愛情を人に向ける、なんていうことはできない。その点で女性に不満をもたせてしまうことは自覚している」

 「そ、それは……」

 そんなことはない! と、即座に言えないあたりにまた罪悪感を感じてしまう。

 「まして、いまははなれて暮らしている。君の心の隙間に魔が忍びよる……ということもないとは言えないと思う。それに関して、責めることもできないと思う。だからと言って、君に浮気されたくはない。おれはおれなりに君を愛しているつもりだ。君とは一生、添い遂げたいと思っている」

 「つかさ……」

 今日香きょうかはギュッと両手を握りしめた。

 ――やっぱり、この人はあたしのことをちゃんと愛してくれている。想ってくれている。ただ、愛情表現が下手なだけなんだ。

 そう思った。

 それだけにほんの一瞬――それも、未遂――とは言え、浮気を望むようなことをしてしまったことに罪の意識を感じる。

 「そこでだ」

 つかさはそんな妻の葛藤も知らず、いつも通りの淡々とした表情と口調でつづけた。

 「その心の隙間を埋める提案をしてみたい」

 「提案?」

 「推し活をしてみないか?」

 「推し活?」

 思いがけない言葉に、今日香きょうかは目をパチクリさせた。

 「推し活ってあれ? アイドルとか、二次元のキャラを応援しまくるっていう……」

 「そう。それだ。ネットで見たが、推し活というものはずいぶんと熱烈なものらしい。惜しみなく愛情を捧げる推しがいれば、心の隙間も埋まるんじゃないかと思う。どうだ? 手頃な推しを見つけてみないか?」

 自分のことを思っての提案なのはわかる。わかるのだが――。

 ――こういうところはやっぱり、ずれてるかも。

 と、少しばかり疑ってしまう今日香きょうかなのだった。

 「で、でも、推し活って、かなりお金が必要らしいし……」

 「それは、承知している。まして、応援するために同じグッズを大量に買い込むなど愚の骨頂。不合理の極み。そんな行為には賛成できない。しかし、その点で大きな発見があった」

 「発見?」

 「太陽ソラドルという存在がいるらしい。日本各地に戦国時代の城を模したソーラーファームが築かれている。太陽電池を並べた『発電もするテーマパーク』だ。ファンは自分の推しを応援するためにグッズを買うのではなく、推しに直接、課金する。ソーラーファームはその金で推し印の太陽電池を購入する。特定の推しの太陽電池が一定の割合を超えた時点で、その推しがソーラーファームを制覇したことになる。まさに、アイドル戦国時代。いまや、日本中で熱烈なファンたちが自分の推しに全国制覇させるべく活動を行っているらしい」

 「へ、へえ、そうなんだ。知らなかった」

 「よく考えたものだ。確かに、この仕組みなら無駄がでない。なんの役にも立たないグッズを買い込むかわりに再生可能エネルギーの普及に貢献できる。しかも、ファンの課金によって太陽電池を購入することで設備費をタダにできる。太陽光発電は燃料代はかからないから、設備費がタダならエネルギー自体もタダにできる。タダのエネルギーが普及すれば当然、物価も安くなる。

 推しを応援するためにいくら課金しても無駄にはならない。世の中に貢献できる上に自分自身にもちゃんと返ってくる。きわめて合理的な取り組みだ。実は、この近くにも戦国大名、蠣崎かきざき氏を模した松前ソーラーファームがある。何人かのご当地太陽ソラドルで覇権を競っているらしい。どうだ? 好みの太陽ソラドルを見つけて推し活してみないか?」

 そう言われて――。

 「か、考えてみるわ」

 そう答えるのが精一杯の今日香きょうかなのだった。


 「……さすがに驚いたわ」

 今日香きょうかは少々、めまいを覚えながら地元のデパートに向かっていた。クリスマスの料理はつかさが作るので、今日香きょうかは飾り付けを買いに来たのである。

 「……まさか、つかさがあんなことを言い出すなんてね。でも、浮気に心動かしちゃったのは事実だし、つかさにそんな思いさせておいたらいけないよね」

 と言って、いきなり『推し活してみないか?』はないわよね。

 そう思う今日香きょうかなのだった。ところが――。

 デパートについた途端、意外な光景に気がついた。デパートの前にちょっとした人だかりができている。その向こうからは歌声が響いてくる。お世辞にもうまいとは言えない、つっかえつっかえのつたない歌声。

 ――下手な歌ね。プロではなさそうだけど……ストリートミュージシャンかなにか?

 今日香きょうかはそう思い、人混みの向こうをのぞき込んだ。

 すると、そこでは、一五、六歳の女の子がいかにもアイドルといったフリフリの衣装を着て唄っているところだった。しかし――。

 「なに、あれ……」

 今日香きょうかは思わず呟いていた。

 ひどい。

 ハッキリ言って、ひどい。

 よほど緊張していると見えて表情はこわばっているし、歌もつっかえつっかえ。何度も唄いなおしているところを見ると歌詞もまちがえているらしい。振り付けも、本人としては一応、踊っているつもりなのだろうけど、とにかくガチガチに緊張して動きが固いのでダンスなどと呼べる代物ではなくなっている。

 まわりからも露骨な失望の声があがっている。

 「あ~あ、ひどいもんだな。新進気鋭の太陽ソラドルっていうから見に来たのに、あれじゃあ素人よりひどいぞ」

 「ほんと、まともに練習してるのかね。いくら、初イベントって言ってもひどすぎるぞ」

 「インディーズ事務所で、所属タレントがあいつひとりしかいないらしいからな。強くも言えないんじゃないか?」

 ――そう言われても仕方ないわよね。

 そうは思うものの、さすがにそこまで言われると気の毒になってくる。同情したくもなってくる。

 この女の子、名前はころたん。今日が初ステージの新人太陽ソラドルらしい。それでは緊張するのも無理はない。無理はないのだが、しかし――。

 ――やっぱり、程度っていうものはあるわよね。

 アイドルにはまったく興味のない今日香きょうかでさえそう思うのだ。アイドルオタクにとってはなおさらだろう。

 しかも、よほど小さな事務所らしくスタッフもイベント運営には不慣れなよう。演出もつたないし、手際も悪い。なにより、肝心要の太陽ソラドルがあんなに緊張しまくってとちってばかりだというのになにひとつフォローしないなんて……。

 ――あたしが仕切っていたら、もっとマシなイベントにしてみせるのに……!

 プロとして、歯がゆくて仕方がない。

 「あっ……!」

 小さな声が響いた。

 ころたんがついに足をもつれさせ、歌の最中に転んでしまったのだ。

 「あ~あ」

 と、聞こえよがしな失望の声がした。

 それを合図とするかのように、人だかりからひとり減り、ふたり減り、ついには今日香きょうかひとりを残してみんな、いなくなってしまった。

 ころたんは哀れにも立ちあがることすらできず、真っ白になった顔に涙を浮かべて呆然としている。その姿を見て――。

 今日香きょうかの母性スイッチが着火した。

 ――あたしが支えてあげなきゃ!

 「がんばれっー!」

 全力でそう叫んでいた。


 つかさのアパートに帰った今日香きょうかは、クリスマスの支度もそっちのけでころたんのことをつかさに話しまくった。スマホで見た動画を見せ、熱烈に語った。

 動画のなかでは今日香きょうかひとりしか見るもののいない会場で、涙を溜めながら、歌も踊りも何度もとちりながら、それでも必死に唄い、踊るころたんの姿が映っている。

 「とにかく、健気で、一生懸命で、かわいいの!」

 あたしが支えてあげなくちゃと思ったの!

 今日香きょうかはかつてない熱量でそう叫ぶ。それは、まさに恋。盲目の恋と呼ぶにふさわしい姿だった。

 「ライブ後の握手会なんてもう感涙ものだったわ! あたししか客のいないなかで、あたしの差し出した手を両手で押しいただいて涙を流しながら笑ってくれたの! それを見たとき誓ったわ。一生、この子を推す! 誰にも邪魔させない! ってね」

 ふんぬ! と、ばかりに胸を張り、そう断言する今日香きょうかであった。

 もし、この推し活に反対しようものならまちがいなく離婚騒動。

 そう確信させる熱意のなか、動画を見終わったつかさが顔をあげた。いつも通りの無感情、無表情の顔で妻の顔を見つめた。

 「これは……」

 つかさは感情というものを感じさせない抑揚のない声で言った。

 「支えるしかないな」

 ――ゲッチュ~!


 そしてやってきた、一二月二五日。

 聖なる夜。

 今日香きょうかつかさのふたりは、かつてないクリスマスを過ごすべく準備を進めていた。

 「大変! つかさ、ころたんが泣いてるわ! 今日のクリスマスイベント、お客が誰も来てくれてないって!」

 「なに⁉ それはいかん。まっていろ、ころたん。我々がいま行くぞ!」

 「ええ、もちろん。ころたんのためならたとえ火のなか、水のなか!」

 ふたりは掛け声高くマントを翻す。たちまちのうちに真っ赤な衣装のサンタクロースへと姿をかえる。もちろん、お手製の応援うちわも忘れない。

 「今日の我々は、ころたんに愛を届けるサンタクロース! 必ずや、我々の手でころたんに松前ソーラーファームを制覇させる!」

 「ころたんに届け、あたしたちの恋心!」

 つかさが叫び、今日香きょうかが吠える。

 そこにいたのはもはや『愛されているのか……』などと悩む女性ではない。全身全霊で恋する推しを見つけたオタクだった。

 こうして、恋するふたりのサンタを乗せた車は、ころたんのもとへとかっ飛んでいくのであった。

                完

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うちの夫、愛想はないが愛はある 藍条森也 @1316826612

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