アイリスの憂鬱

入江 涼子

第1話

 私はサフィール王国のフェイエ侯爵令嬢として、生まれ育って来た。


 年齢は今年で十八歳になる。ちなみに、フェイエ侯爵家には私の他に兄がいた。名をイアンと言って二十三歳だ。父のフェイエ侯爵は五十歳、母のエリスは四十八歳である。

 そんな私にも同い年の婚約者がいた。

 名をウィリス・オーリルと言って、なかなかに傲慢で自己中心的な性格だ。神経質で狭量な所もある。身分は侯爵家嫡男であるが。


「……よう、アイリス」


「ごきげんよう、ウィリス様」

 

 偉そうに踏ん反り返って私に声を掛けて来た。まあ、顔立ちはまずまずだが。派手な服装やゴテゴテに飾りつけたアクセサリーなどのせいで台無しだ。どこかの成り金子息かと内心で毒づく。


「何だよ、その目は」


「何でもありません、ウィリス様。目の錯覚ではないですか?」


「ふん、どうせ私を馬鹿にしているんだろ。表情を見ていれば分かる」


「はあ、なら。私は失礼しますね」


「あ、ちょっと待て!」


 私は彼の顔も見たくなくて、踵を返す。スタスタとその場を後にした。


 あれから、一週間後にオーリル侯爵家から手紙が届く。それにはこう書いてあった。


 <アイリス・フェイエ侯爵令嬢へ


 嫡男のウィリスが貴殿と婚約破棄をしたいと進言してきた。


 真に申し訳ないが、双方の婚約関係は白紙に戻す。


 王宮には既に、書類は提出済みだ。


 それでは。


 ヴェルニ・オーリル>


 短い文章ではあったが。ちなみに、ヴェルニというのはウィリスの父君のオーリル侯爵の実名だ。私はため息をそっと吐き出した。あー、とうとうこうなったか。

 いずれは来るだろうと思っていた。私とウィリスでは相性が悪いし。あちらは平気で浮気をしていたしね。

 意外と傷物になったというのに、冷静な自身に驚いてはいるが。まあ、なるようにしかならない。そう思いながら、私は手紙を丁寧にたたみ直した。


 あれから、一ヶ月くらいは邸の自室に引きこもっていた。手持ち無沙汰になっていたから、読書をしたり、絵を描いたり。時には苦手なお裁縫にも取り組んだ。

 メイドのイーラに教えてもらいながら、簡単な刺繍を刺してみた。


「……お嬢様、ケガには気をつけてください」


「分かった、最後は玉留めだったわね?」


「はい、針を布の裏側に当てて。先端から、二、三回はくるくると糸を巻きつけるんです」


「えっと、こうかしら?」


 私は言われた通りに、針を布の裏側に縦の状態で当てる。糸を持ち、針の先端に引っ掛けた。三回くらいはくるくると巻きつけた。


「そうです、そのままで針を上に引っ張ってください。玉留めはこれで完了です」


「……上にね、了解」


 頷きながら、針を上側に引っ張る。何とか、玉留めが出来上がった。達成感がひとしおの中でイーラが渡したハサミで糸を切る。チョキンと切り、針をニードルクッションに刺した。


「あー、刺繍も意外と難しいわね!」


「ですね、休憩にしませんか?」


「うん、イーラが淹れたハーブティーは美味しいから。お願い」


 私が言うと、イーラは立ち上がる。ポットにあるお湯でハーブティーを淹れてくれた。飲みやすいように、蜂蜜も少し入れる。程よくかき混ぜ、私の前に置いた。


「さ、どうぞ」


「ありがとう、良い香りね」


 そう言いながらもカップを手に取る。しばらくは飲みながら、イーラと話に花を咲かせるのだった。


 数日後、季節も初冬の十二月に入った。そんな日に王宮から手紙が届く。裏側には王家の封蝋が捺印してある。内容を確認した。


 <アイリス・フェイエ殿


 其方そなたを王宮に招聘したい。


 直々に、話したき由。


 明日には来るように。


 アルナート・サフィール>


 またも、短い文章に頭が痛くなる。私を皆様は何だと思っているのか。顔をしかめたのだった。


 翌日、父のフェイエ侯爵と二人で王宮に馬車で向かう。徐々に近づく中、私は父に話し掛けた。


「父様、陛下は何のご用があって私を呼び出したのでしょう」


「それは私には分からぬが、もしかすると。王子方の件かもしれんな」


「……殿下方の、ですか?」


「ああ、第一王子はハラルド殿下、第二王子がフレデリック殿下、第三王子はヒューイット殿下とおっしゃるが。三名共に性格が難ありでなあ」


「難あり?」


「うむ、第一王子は喧嘩っ早くて短気、第二王子は病弱で愚か。第三王子が一番マトモだな。陛下は第三王子の妃として、アイリスに目をつけた節がある」


 私はあまりの言い様に閉口するしかない。ヒューイット殿下の妃か。果たして、私に務まるのかしらね。憂鬱な気持ちになった。


 無情にも馬車は王宮の正門に着いた。陛下の侍従が出迎えてくれる。


「フェイエ侯爵にご息女のアイリス様ですね?案内致します」


「うむ」


 父が頷くと、侍従は礼をした。踵を返して中へと案内する。私は父や侍従の後を追った。


 幾つかの廊下を曲がり、豪奢な造りのドアの前に来た。侍従が声を掛ける。


「……フェイエ侯爵、並びにご息女のアイリス様がお越しになりました!」


「入りなさい」


 低い重みのある声で返事があった。侍従がドアを開ける。先に父が入り、私も続けて入った。壁一面が書棚になっていてびっしりと並べてある本に、深みのある紅色の絨毯。緑色の壁紙に飴色に輝く執務机や家具類が重厚感を醸し出す。

 執務机に備え付けてある椅子に深く腰掛けていたのは濃い茶色の髪に、赤い瞳の初老の男性だ。


「……今日はよく来てくれた、フェイエ侯爵にアイリス殿」


「はい、招聘との事でしたが。いかがしましたか?」


「うん、ちょっとな。人払いをしたい」


 初老の男性はそう言って、侍従に目配せをする。侍従は立礼をして静かに部屋を出て行く。こうして部屋もとい、執務室に男性や父、私の三人だけが残された。


 男性は現国王陛下だと自ら名乗った。父は前もって知っていたから、私程には驚いていない。まあ、私は何となく察してはいたが。それでも、改めて告げられるとなかなかに驚いた。


「……それでだ、フェイエ侯爵。今日に其方やアイリス殿を呼んだ理由だが」


「はあ、何でございましょうか?」


「うむ、実はな。第三王子であるヒューイットの婚約者の件で話したくてなあ。それで呼んだのだ」


「成程、第三王子の件ですか。他の王子方はいささかに資質に問題があると、陛下は前も仰せでしたしね」


「それでだ、侯爵。アイリス殿は先日に婚約を解消したとか聞いた。傷心の中、悪いがな。第三王子のヒューイットと改めて、婚約をしてはくれないか?」


 陛下はそう言って、眉を八の字に下げた。前半は父に、後半は私に向けて言う。


「……陛下、娘は」


「分かっておる、だが。他に頼める者はおらぬしな。アイリス殿、嫌だったら。断っても構わんぞ」


「仕方ありませんね、分かりました。アイリスと殿下の婚約を了承致します」


 私は返事の代わりにカーテシーをした。陛下はため息をつく。


「本当にすまん、侯爵。アイリス殿、この後でヒューイットに会いに行ってくれ。儂の一存で決めてはしまったが」


「……滅相もありません、陛下。謹んでお受けいたします」


「ありがとう、アイリス殿。では儂は執務に戻る故に。出て構わんぞ」


『失礼致します』


 二人で深々と立礼をして、執務室を出たのだった。


 王宮の廊下に出たら、日差しが夕暮れのものに変わりつつあった。急ぎ足で第三王子の宮に向かう。先導役は王子付きの侍従だ。父と二人で侍従の後に続く。

 また、幾つもの廊下を曲がり、階段を上がる。しばらくして、木目調が美しい飴色に輝くドアの前に侍従は立ち止まった。

 父や私も足を止める。侍従は控えめにノックをした。中から若い男性らしき低い声で返事がある。侍従は静かにドアを開けた。また、父が最初に、私は後で入る。


「よく来てくれました、フェイエ侯」


「はい、陛下の命により参りました」


「……そちらが侯の?」


「娘のアイリスです」


「ふむ、成程。なかなかに見どころがありそうですね」


 私はすぐに俯けていた目線を上げた。そこには真っすぐな黒髪を短く切り揃え、淡いサファイアの瞳が麗しい美男が佇んでいる。こちらをじっと見据えていた。


「初めまして、アイリス嬢。私はヒューイット・サフィールと申します。以後、お見知り置きを」


「はい、初めまして。ご紹介にあずかりました、アイリス・フェイエと申します」


「うん、自己紹介はできたし。アイリス嬢、ちょっと外に出ましょうか」


「……分かりました」


「では、私は陛下の元に戻ります。アイリス、五の刻にはこちらに迎えに来る。それまでには戻って来なさい」


「はい、父様」


 頷くと、父は陛下の執務室に向かう。私はヒューイット王子と二人で庭園に出た。


 ゆっくりと歩きながら、王子はぽつぽつと話した。


「……父上は私を正式に王太子にしようと考えています、だから。あなたを王太子妃に据えたいと考えたのでしょう」


「そうなんですか」


「実は第一王子や第二王子では母君の身分が低いがために、地盤が強固ではありません。だから、正妃の子である私が選ばれました。けど、四つある有力公爵家には適齢期の未婚の令嬢がいない。一段下の侯爵家にも目を向ける必要性があったのです」


 だから、傷物とはいえ、私が選ばれたのか。成程とやっと納得が出来た。


「……殿下、あの。私は傷物です故、王太子妃には相応しくないと思いますけど」


「アイリス嬢、あなたの元婚約者の事は調べました。何でも、浮気を平気でするわ、あなたにも罵詈雑言を平気で口にするわで。私でも呆れ返るような男だったそうですね」


「お恥ずかしい限りです」


 私が言うと、王子は苦笑いした。


「私に気を使う事はないですよ、楽にしてもらって構いません」


「はあ、ならば。王子、私の事を以前から好きだったという訳でもない。なのに、何故私との縁談を受ける気になったの?」


「……私にも以前は婚約者がいてね、名をイルザと言った。あなたより、三歳くらいは上で。なかなかに明るくて朗らかな女性だったよ」


 王子は懐かしげに目を細めた。


「イルザは今から、四年前に流行病が元で亡くなった。いきなりではあったが、私は彼女の亡くなる間際に急いで駆けつけたんだ。イルザは私にこう言った、「ヒューイット、わたくしが死んだとしても。立派な王になってね」と。彼女はまもなく、息を引き取ったよ」


「……」


「イルザが亡くなった後、私は抜け殻みたいになった。当時、私はまだ十七歳と若くてね。イルザ以外の女性と婚約など考えられなかったよ」


 私は何とも言えずに、庭園の片隅にある水仙の花を見つめた。王子はゆるゆると首を横に振る。


「悪いね、アイリス嬢。あなたとは初対面なのに」


「……王子がそんな過去を背負っていたとは思わなくて、私の方こそすみません」


「もう、戻ろうか。侯爵も待ちかねているだろうしね」


 私は頷いた。王子はゆっくりと歩き出す。後を追いかけたのだった。


 既に、父が待ち構えていた。王子はエスコートが終わると軽く挨拶をする。


「……フェイエ侯爵、私はこれで戻ります」


「本日はありがとうございました」


「いえ、アイリス嬢と有意義な話ができました。では」


 王子はにっこりと笑いながら、立ち去る。父と二人で見送った。


 馬車で邸に戻る。私はあまりの事に疲労感を持て余していた。


「今日は疲れたろう、アイリス」


「はい、高貴な方々とお話しましたから。凄く疲れました」


「うん、ゆっくり休みなさい」


 父はそう言って、労うように笑う。優しい笑顔に緊張が解けていく。私は瞼を閉じた。


 夕方になり、私は入浴を済ませた。アップにした髪をほどき、メイクを落とした。ドレスも脱いでコルセットも外したら。やっと、息を抜く事が出来る。


(あー、もう王宮にはしばらくは行きたくない。ヒューイット王子とも会うのは控えたいわ)


 そう思いながら、夜着姿でベッドに寝転がった。ゴロリと寝返りを打つ。

 夕食は軽く済ませたが。緩々と眠気はやって来る。しばらくして、眠りについた。


 翌日から、ヒューイット王子から手紙と花束が届く。確か、昨日に眺めていた水仙の花だ。清廉な香りに顔が綻ぶのが分かる。


「お嬢様、殿下から早速に花束が届きましたね」


「うん、驚いたわ」


「お手紙も確認しますか?」


「するわ、ペーパーナイフを持って来て」


「分かりました」


 イーラが頷き、ペーパーナイフと手紙を持って来てくれた。受け取ると私は封を切る。封筒の中には小さなポプリのような布製の袋が入っていた。それからもなかなかに、良い香りがする。


 <アイリス嬢へ


 昨日の今日で手紙を送ってすまない。


 どうしても、あなたに書きたくなってね。


 昨日は私の昔話を聞いてくれてありがとう。


 あなたが熱心に聞いてくれたからか、少し心が軽くなったように思うんだ。


 不思議だね。


 また、そちらにも伺いたいと思う。


 それでは。


 敬愛する婚約者殿へ 

 

 ヒューイット・サフィール>


 男性らしい力強さの中に流麗さを兼ね備えた文字で綴ってあった。便箋を畳み直すと、カサリと小さな紙片が手のひらに落ちる。不思議に思い、目を凝らした。どうやらメッセージカードのようだ。


 <封筒の中に東方諸島から、取り寄せたニオイブクロを添えておくよ。とても、良い香りだからあなたも気に入るだろうと思った。


 ヒューイット>


 私は王子の細やかな気遣いにさらに嬉しさがじわじわと込み上げてきた。すぐに、お返事を書いたのだった。


 あれから、半年が過ぎた。季節は六の月になり、雨季に入っている。ヒューイット王子から、こまめに手紙と花束が届くのは今も続けられていた。

 たまに、花束ではなく、ちょっとした小物やアクセサリーが添えられる時もある。

 けど、今日は違った。


「お嬢様、今日は殿下からドレスやアクセサリー、靴に。髪留めなどが届きました!」


「え、本当に?!」


「はい、確か。半月後に夜会がありましたよね?」


「あ、それで贈ってくださったのね」


「だと思いますよ、お礼のお手紙を早めに書いてくださいね」


 私は頷いた。すぐに、机に向かう。

 返事の手紙を書くのだった。


 さらに、半年が過ぎた。私は結婚式を迎える。ヒューイット様は正式に王太子に任命された。私も正妃となり、多忙な毎日を送る。


「……アイリス、いや。リズ、今日もお疲れさん」


「あなたもね、ヒュー」


 互いに愛称で呼び合う。ヒューイット様もとい、ヒューは二十二歳、私も十九歳になっていた。結婚して、四ヶ月は経っている。寝室にて私はヒューと二人でワインをグラスに注ぎ合う。


「ふう、毎日が王妃教育で大変だわ」


「私もだよ」


「大変なのはお互い様ねえ」


「だね、リズ」


「……しかも、王妃陛下から最近はせっつかれるのよ」


 私はそう言って、ワインをあおった。芳醇な香りと甘酸っぱさが鼻腔を抜ける。


「え、何をせっつかれたんだい?」


「まあ、有り体に言うと。孫になるかしらね」


「……まだ、早いんじゃないかな。私達、結婚して四ヶ月しか経っていないよ」


「それでも、早く孫の顔を見たいとおっしゃるのよ」


「ふうむ、まあ仕方ないか。兄上達には既に、何人も子供が生まれているしね」


 ヒューはそう言って、肩を竦めた。私はやってられないとばかりにワインをさらに、呷った。


「ヒュー、悪いけど。私はもう寝るわ」


「うん、おやすみ。リズ」


 私は先にベッドに行く。毛布などをめくり、潜り込んだ。ヒューが私をじっと見つめていたのには気づかなかった。


 あれから、半年が過ぎて。私はヒューと結婚して、一年近くが経っていた。

 現在、私は絶賛懐妊している。今でもう、妊娠八カ月に入っていた。後、二ヶ月程でお産の時期だ。


「……ヒューイット殿下もなかなかにやりますね」


「それは言わないで、イーラ」


「まあ、王太子殿下の初めての御子様です、これ以上は申しませんよ」


 イーラはそう言って、花瓶の水を入れ替えに行く。お腹の中の子供がぐるりと動く。ちょっと、微笑ましく思いながら、お腹を擦った。


 二ヶ月後に元気な男の子が生まれた。ヒューはこの子に、フェルナンドと名付ける。王太子の初めての、しかも王子とあって周囲は大いに喜びに沸き立つ。

 私はフェルナンドが凄く可愛くてしょうがない。ヒューも同じく思っているようだった。

 この後、私は二年ごとに懐妊した。二人目は王女、三人目はとちょっとずつ、子供は増えていく。それは私が四十歳近くになるまで続いた。

 気がついたら、九人もの子宝に恵まれていた。これには実の両親や義両親たる前国王陛下や王太后様も驚いていたが。

 まあ、私自身も驚いた。そんなこんなで今日もサフィール王国の王宮は賑やかだった。


 ――True end――

 

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