昇天

@nogisu-miri

第1話 昇天


文子フミコさん。自分は、あなたを愛しています」


ヒロシさん……。私も……あなたを愛しています」


 博と文子は、ひと気のない夜の浜辺で、静かに抱き合う。

 肌寒い風が吹く季節だったが、今の二人には真夏のような暑さを感じていた。



 それは、許されない恋だった。



 自分は庶民の生まれ。文子さんは華族の娘。

 これは運命なのか、それとも神のいたずらなのか分からないが、奇跡とも呼べる偶然が重なり二人は出会った。


 出会った瞬間に恋をして、それから人の目を盗んで会うことが多くなった。


 時代が悪かったと、今となっては思う。

 だけど、当時はスリルを感じて、さらに二人の恋を燃え上がらせたのも事実だ。



 そんな自分と文子さんは、一つだけ約束事をしていた。


【夜の営みは、結婚してから】



 だけど秘密は、必ずどこかでバレてしまうもの。


 何度も何度も会っていれば、周りが疑い始め、警戒する。

 もう、これ以上会うことが出来ないと、判断するには簡単だった。


 これで会うのは最後だろう。そう思いながら、今日も文子さんに会いに行く。


「博さん。私と心中してもらえませんか?」


 いきなりだった。いきなり、一緒に死んでくれと言われたのだ。


「勿論です」

 自分は即答だったよ。


 だって、文子さんの居ない世界なんて地獄だ。

 逆に嬉しかったぐらいだ。自分も同じことを考えていたから。


 文子さんの幸せを願う自分からは、絶対言えなかった言葉。



 それから、日にちを決め、時間を決め、死ぬ場所を決めた。


 そして、決めた日が来て、決めた時間が来て、死ぬ場所に二人が居る。


 不思議と怖くなかった。

 月明りに照らされた文子さんは、とても美しくて愛おしい。


 抱き合い、手を繋ぎ、海に入る。


 冷たい海で体が震えているが、自然と心は温かい。



 それから視界が真っ白になり、気付いたら先ほど立ってたはずの浜辺に居た。

 隣には、文子さんがずぶ濡れで立っていて、驚いた表情でこちらを見ている。


「私たち……生きてる?」


「そうみたいだ……」


 心中に失敗したと、最初は思った。

 だけど、文子さんの身体が透けているのに気付いた。文子さんにも自分の身体を確認してもらうと、驚いて可愛い悲鳴を上げる。


 それから不思議だったよ。

 二人で街を走り回っているのに、誰も自分たちの存在を気付かなかった。


 幸せな時間だったよ。まさに、二人だけの世界だったから。


 だけど時間が経つにつれ、虚しくもなってくる。

 家族にも、友達にも、気付いてもらえなかったからね。


 そこで仲間を探すことに決めて、二人で街をさ迷った。

 どのくらい年月が経ったかわからないぐらいに――。


 途方に暮れてた頃、街でこちらを見ている老人が現れた。最初は偶然だと思っていたが、こちらに近づいて話かけてきた。


「おやおや、行くところ……ないのだろ?ワシたちの村に来なさい」


 老人の身体も透けていた。間違いなく仲間だった。二人で喜んで、言われるがまま老人の後について行った。


 幽霊の身体になってからというもの、疲れや痛み、空腹に喉の渇きといった感覚を失っているから、長い時間を歩いても平気だった。


 老人が立ち止まった所は、山の奥にある村。

 そこの村人たちの身体は全員透けていた。そして村人の全員が、自分と文子さんを認知してくれた。


 本当に嬉しかったよ。仲間に出会えたことが――。


 それから村での生活が始まり、二人暮らしの生活が始まった。

 村にも色々なルールがあったから、覚えるのに苦労もしたけど、生きている時に憧れた生活だったから、毎日が本当に楽しかった。



 だけど、そんな生活も長くは続かなかった。



 文子さんが……浮気したのだ。


 浮気相手は、村で一番の美男子。


 二人は、自分に隠れて愛し合い、そして一線を越えた。






 文子さんと美男子の結末は……まさかの昇天だった。





 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 昇天とは、天にのぼること。

 幽霊にとっては、成仏するのと同義である。



 隣に居る博さんは、未練を残さず成仏した浮気女を恨んでいるようだ。


「だったら別の女を見つければいいじゃないっスか?」


一郎イチロウくん、話聞いてた?壮大な恋物語だったンだよ!それなのに美男子と浮気して……この世に未練もありませんって……女性なんて信用できるか――」


「何年前の話なんっスか?僕が死んだのは去年っスよ。ついでに言えば、今は令和です。もう、過去の女のことは忘れて、他の女を見つけましょうよ」


 §             §


 僕がこの村に来たのは、ちょうど一年前。

 普通の高校性だったが、通学途中にトラックに轢かれて死んだ。

 いや、正確に言えば少し生きていた――。


 トラックに轢かれて意識がもどったのは、夜の病院だった。

 誰も居ない病室から出て、看護師に声をかけるが反応がない。触ろうとすれば、すり抜けて触れない。その時に……僕の身体が透けていることに気付く。


 それから慌てて病院を飛び出し、住んでいた家へと向かった。

 玄関とか扉は簡単にすり抜けられたので、苦労せずに家の中に入れた。


 父親はソファーに座りテレビを見ている。母親は僕の仏壇の前で泣いている。

 弟は部屋で漫画を読んでいる。僕は死んでここに居る。


 だけど、誰も僕に気付いてくれない。


 それでも、しばらく家に居ることにした。

 期待があった。ほんの少しだけ、何か奇跡が起こるかもと――。


 父親に蹴りをいれてみたり、弟がエロ本を読んでいる所を眺めていたりと、いろいろと行動を起こすが、何も意味がなかった。


 母親だけは、毎日僕の仏壇に線香をあげてくれたのは少し意外だった。

 弟ばっかり優しくて、僕には厳しく怒ることが多かったから、絶対に僕のことを嫌っていると思っていたから。

 そんな母親を見ていると、少しだけ申し訳ない気持ちになり、同時に嬉しい気持ちにもなった。



 そんな時に父親が、母親に優しく声をかけた。


「真美子、君は頑張ったよ。植物状態だった一郎を、君はずっと世話してくれたんだから。だから……少しだけでいい……休んでくれないか?」


 植物状態?と思ったとき、母親がやつれていることに気付いた。


 死んでからというもの、睡眠もいらないからって忘れていたことがある。

 生きている人間は、寝るということに――。

 そういえば……ここに来てから母親の寝ている姿を見ていない。


 ――僕は親不孝者だ。


 無意識に走り出した。目的地もないくせに無我夢中で走った。


 なぜかあの家にはもう……居てはいけない気がしたから。

 少しだけ頭が冷えて、立ち止まった所は全然知らない場所だった。


 右も左も分からず、ただただ街をさ迷う日々。

 行く当てもなく、道が続くかぎり歩く以外にすることもない。



 そんな時に博さんに出会って、村に住むきっかけをくれた。



 博さんはこの村の村長さんで、丁寧に村のルールを教えてくれた。

 他にもいろいろ助けてくれたりと、僕にとっては恩人のような存在。


 そんな恩人が、過去の恋愛をいつまでも引きずって昇天出来ずにいる。


 昇天とは、幽霊にとって特別な意味を持つ。

 それは、この世に未練がなくなって満足したということ――。


 突然死んだ者たちは、現世に何かしら未練を残している。

 宝くじを当てて億万長者になることなのか、それとも結婚することなのか――。

 人それぞれ未練が違うし、そもそも未練が一つとも限らない。



 村人たちの共通点は、自分の未練を探しているということ。



 §             §



「……そういえば、村にまた女性が来たらしいな。今度はどんな子だ?」


「なんか若いっスよ。傷が多い女子と、関節が変な方向に曲がっている女子ですね」


「なんか訳ありって感じするな……」

 博は腕組みし、眉間にしわを寄せた。


「モテる男は、女性のプライベートを詮索をしないもんっスよ――」


「うーん、恋愛の価値観って、時代と共に変わるんだなぁ」


「……そう、っスね~」


 博さんの生きていた時代のことはよく分からない。

 分からないけど、村に来た女性のことは知ろうとする、この感じ――。


 きっと新しい恋を探しているはずなんだけどなぁ……。


 博さんは、恋愛に消極的という訳ではない。

 村の女性には声をかけるし、面倒見も良いし、マメな性格。

 それに顔も別に悪くないし、体型だって筋肉質で男らしいのに……。


 価値観というか、会話のネタが古すぎて、いつも女性が引くのだ。


 村で博さんと話が合う人は、村の端に住んでいる女性だけ。


 森田モリタ 鶴子ツルコさん。通称、昇天使ショウテンシと呼ばれる人だ。


 僕が知っているだけで、すでに百人以上の男たちを昇天させていた。

 博さん曰く、千を超えたあたりから数を数えるのをやめたらしい。


 数多くの男たちを昇天させたとして、昇天させる天使という意味で名付けられた。


 御年九十二歳。

 彼女と一夜を共にすれば、誰もが昇天できる。

 これは余談だが、早い人だと一分で昇天したらしい。



 鶴子さんと一夜を共にすれば、博さんだって――。



 そう考えた瞬間、僕の頭の中に稲妻が走り、点と点が繋がった気がした。


【夜の営みは、結婚してから】


 この言葉こそ、博さんの未練なのだと――。



「博さん、文子さんとは……その、あの……」


「どうした?ハッキリ言ったらどうだ?」


「はい。……文子さんと夜の営みは……しましたか?」


「!?……してないよ」


「それっスよ」


「!?……それって?どれだ?」


「夜の営みです。文子さんと夜の営みが出来なかったから、博さんは昇天出来ずにいるンっスよ!だから他の女と営めば、昇天できる……はず」


「うーん……自分たちは、結婚をしていないからなぁ――」


「――どんだけ硬派な性格しているンっスか!?話を聞くかぎり、博さんは文子さんを待たせ過ぎです。二人きりの時間が結構あったと思いましたけど」


「馬鹿野郎。自分たちの約束を、自分で破れる訳ねぇだろ」


 頭が固すぎるよ………。でも、博さんとはそういう男だ。


 ため息をついた後、軽い気持ちで、とある提案を博さんにしてみる。


「鶴子さんと、一発どうです?」


「正気か?鶴ちゃんは、九十二歳だぞ。――お前が行け」


「いや~、僕にはまだ早いっていうか……。でも、鶴子さんと話をしている時の博さんって、凄く楽しそうなんですよね。これはこれでお似合いって感じっス」


「……それはそうだな。鶴ちゃんとは話が合うし、なんか癒される気がするよ。でもなぁ、あの人は前村長の奥方なんだよ。いろいろ世話になった前村長の奥方に、手なんて出せる訳ないだろ」


「鶴子さんは、今は一人っス。それに僕の時代では、歳の差結婚なんて当たり前ですし、博さんが勇気を出したなら、鶴子さんは絶対に受け入れてくれますよ」


「だからお前が行けよ。鶴ちゃんは優しいから、誰でも受け入れてくれるぞ」


「……いやいや、僕のことより博さんの方が大事っス。それに、僕の未練が何なのかは、すでに知ってますから安心してください」


「――まぁでも、それも有りなのかもしれないな。自分もこの村に長く居すぎな気がするのは、一郎くんや新しく来た人と話をしていると分かるからなぁ……。昔から居るのは、今や自分と鶴ちゃんだけ。そんな二人が揃って昇天できれば、幸せなのかもしれないな」


「それに、鶴子さんを昇天させることが出来るのは、おそらく博さんだけだと思いますよ。正直な話、博さんが村から居なくなることは寂しいです。だけど、昇天出来ずに悪霊になる方が辛いっス」


 我々は、まだ幽霊だ。

 身体が透けて、現世に干渉できない、認知もされない存在。

 それでも、生きていた時の記憶は残っているし、倫理観も道徳心だってある。


 だけど、悪霊になってしまった者は、身体が黒くなり、理性すら失って、ただの化け物と変貌してしまう。


 先日、村人の一人が突然悪霊となり、他の村人を襲い、そして喰らった。

 博さんが、村に伝わる武器とやらで悪霊を退治してくれたおかげで、村は徐々に落ち着きを取り戻していったのだが、村のルールさえ守れば悪霊にならないと、信じていた者が多く居たのが現状だ。

 悪霊になる原因は、幽霊になってからの時間なのか、恨みの蓄積なのか、それとも別の理由か――。誰も分からないから、村のルールを全員が守っていた。


 何が原因で悪霊になるのかを分からなくなった時、村で最初に心配されたのが村長である博さんで、一番警戒されているのも博さんだ。

 

 そんな状況を変えたくて、博さんに直接話して、一緒に未練を探して、昇天できる手助けをしたいと心から思っている。


 勿論、村に居る人たちにもだ。幽霊の間に昇天して、早く成仏してほしいと願う。



「この前悪霊になった奴が暴れてから、村の連中はすっかり怯えてやがる」


「家族同然である村人を喰ってましたからね。あの時の悲鳴を聞いてしまえば、幽霊だって怯えちゃいますよ。僕だって初めて見た時は、絶望しました」


「ちゃんとルールさえ守れば、悪霊になることは無いと思っていたが……」


「そうですね……。今回は、村長である博さんが居たから良かったっスけど、もし、村長が悪霊になってしまったら、村が混乱で崩壊する気がしますね」


「お、おう。そんなに頼られていると思うと嬉しいね」


「僕の独断と偏見っスけど。……だけど村の空気で分かります。皆で博さんの行く末を見ている。だから、博さんの昇天を手助けするために会いに来てます。だけどまさか、夜の営みが未練だとは――」


「ふざけるな!まだそれが未練と決まった訳じゃない。自分はずっと考えてたが、恐らく恋だと思っている。それも、燃え上がるような熱い恋だ」


「一理あるっスね。……それではまず、鶴子さんと一夜を共に過ごして下さい」


「なんでそうなる?……分かったぞ一郎くん。君は鶴ちゃんと夜を過ごしたい。けど自分に気を使って、行くのを躊躇っているのだろう?」


「いやいや、違うっス」

全く……冗談も甚だしい。


「自分のことは気にせず、先に行きたまえ、少年」


「だから違います。博さんの未練が夜の営みであれば、鶴子さんと一夜を共に過ごせば昇天できます。昇天できなければ、博さんの未練は恋だと分かります」


「むむッ……確かに一郎くんの考えは一理ある。しかしそのやり方には、少し躊躇いを感じてしまう」


「……夜に一回会うだけでいいっスよ。夜、二人きりの空間、男女。このシチュエーションで何もなければ、問題ありません」


「ある訳なかろうて。鶴ちゃんは九十二歳だぞ」


「それでは決まりっスね」


「……夜、行くだけなら」


 僕は安堵した。心の底から叫び出しそうな気持ちを必死に抑えた。



 博さんは嘘をつかない。

 自分で言ったことは、絶対守る、信用できる男だ。



「ったく――それで、一郎くんの未練はなんだ?」


「そんなの決まっているじゃないっスか。親孝行です」


「自分たちは、現世に関わる全てのものに干渉できないぞ」


「わかってます。だからこれからいろいろ模索して、どんな形でもいいから親孝行して、家族の喜ぶ姿さえ見れれば、きっと嬉しくなって昇天できると思う」


「……前途多難だな。……仮に自分が昇天してしまったら、村のことは一郎くんに任せるよ。君は誰かのために動ける子だからね」


「僕が村長ってことっスか?少し不安がありますが……」


「大丈夫大丈夫。一郎くんが今、自分にしてくれたことを、他の村人にもしてあげてくれればいい。話を聞いてあげて、未練を一緒に見つけてあげて、昇天するのを手助けしてあげるのが、ここの村の村長の役割だ」


「――分かりました。ここの村に来てから、ここに住む皆さんには感謝してますから、まずは村人たちへの恩返しのつもりでやっていくっス」


「その心意気だ、少年よ。――では、明日を待っていろ。明日の朝には必ず帰ってくるから、安心していなさい」


 僕は適当に相槌をし、昇天してくれと、心の中で願った。



 僕と博さんは、それから色々な話をした。

 日が暮れる頃には、僕は住んでいる家に帰るため、博さんと別れる。


 辺りが暗く静かになった頃、鶴子さんの家にコソコソと向かう博さんの姿を見て、少し面白く感じて笑ってしまう。



 その日の夜は、凄く長く感じる夜となった。


 幽霊は眠らない。だけど、夜には家に帰るのが村のルールの一つ。

 家に居てもやる事といえば、自分自身を見つめなおすこと。


 僕の未練は絶対に親孝行だと思う。

 しかし、博さんに言われた通り、現世に干渉できない僕が親孝行をするのは、前途多難で時間がかかると思う。だけど、村人の昇天を手伝っているうちに、何かヒントが見つかるかもしれない――。



 …………はぁ…………



 また、村長に会って話がしたいなぁ。けど、会えないほうが嬉しいなぁ。

 

 



 村長は、はたして無事に昇天できたのだろうか――。

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