第3話「……出来ますわよ、子供」
ルネもカクテルを飲み、鮮やかな柑橘類を使ったサラダをフォークで口に運ぶ。
しばらく酒が進み、細々としたつまみを全て胃に収めた頃。
「でも……ここまで言っておいて、あたし、同族の男を旦那にしたくないかもしれない」
アシャは酒精で紅潮しつつある自分の頬に片手で触れつつ、ポツリと呟いた。
「理由は、まさに先ほどおっしゃっていましたわね」
サラダを空にしたルネの相槌に小さく頷く。
「同族は粗探しが得意だ。十年以上魔女やってて身に染みた。異種族婚じゃ子供は出来ないけど、それでもいいと言ってくれる人を探そうかな」
具体的な行動は後回しにして、おぼろげでも将来の展望を描いた。
深い意味のない行動だったが、聞いた途端、ルネは目を丸くして動きを止める。
琥珀色の双眸は正面にいるアシャを捉えてはおらず、何もない空を見ていた。
「ルネ?」
過度に驚くようなことを言った覚えはないのに、と思い声をかけたが返答がない。
数秒の間を置いて、やっとルネは瞬きをした。
「……出来ますわよ、子供」
今までになく小さい声で短く言い、両手を横髪に伸ばす。
耳に掛けるかのような仕草でルネが髪を分けると、丸い耳朶があると思われた箇所からは垂れた兎耳が生えていた。
宿屋でかすかに垣間見たものは、決して見間違いや幻ではなかった。
「この通り、私は純粋な人間族ではありません。母が獣人、父が人間のハーフです。同種同族同士の婚姻に比べれば低確率ですが、種が芽吹く日もありますの」
口角を上げた笑い方は普段見慣れたもので、ついさっきの様子が嘘のようだ。
「ただし……両親が近種でない場合、子供に生殖能力が備わらない可能性もございます。これは個人差が大きいのですが、ご参考までに」
続けざまに語られた内容は口調に反して重く、今度はアシャが驚かされる。
「だ、だから貴方、あんなことをしてるのか? 奉仕精神とか、そういった理由で……」
とっさに口にしてすぐ、アシャは自分の発言を後悔した。
子供が出来ないから娼婦まがいの行為をしているのか、なんて決して本人に言うべきではない。
あまりにも無礼だ。
「……ごめん。失言だった」
遅れた謝罪に、ルネは気にした風もなく首を横に振る。
「奉仕や自己犠牲とは違います。私の中のアナウサギの血が騒ぐたび、殿方に付き合って頂いているのです。処女の誓いは保たれていますし、今現在、神からの罰は受けていませんわ」
淫らな行為に耽りながら未通を保つ方法について少しだけ気になったが、何だか怖くなり掘り下げはしなかった。
「神様って、思ったよりも大らかなんだね……?」
アシャは神や教会とは縁遠く暮らしてきたがゆえに詳しい戒律を知らず、単純に禁欲を尊ぶものとだけ考えていた。
しかし、よく思い返せば教会を出て治癒術による奉仕活動に励むのを良しとしているし、一身上の都合による還俗も許されている。
アシャの気安い言葉を受けて、ルネは私服であっても変わらず首元に下げた祈りの宝玉、その先端の花の意匠に指を添えた。
「私は教会に名を連ねる聖女でも、選ばれし巫女でもない普通の女。我が主は、ただの女が欲を晴らした程度で怒るような器の小さい御方ではありませんわ」
まるでこの世の常識であるかのようなーー実際、正しいのであろう断言。
目から鱗のカルチャーショックにアシャは息を呑む。
全身から血の気が引いて、瞬く間に再び駆け巡るような慌ただしい情動があった。
「あぁ……そう、そうだった」
ルネに対してではない、思考を処理するための独り言が口をついて漏れる。
片手で自分の胸の中心辺りを探っても、信仰を持つルネと違い装飾品一つなく、布地を握りしめる他なかった。
綺麗に忘れたつもりでも過去はついて回り、無意識下で影響を与えてくる。
「まだ頭のどこかで勘違いしてた。あたしも特別じゃない。どこにでもいるありふれた魔女。そうだ。もう、それでいいんだ……」
形なき忌まわしい記憶を文字通り振り払うべく、アシャは首を左右に動かした。
「ごめん、話の途中で妙なこと言って」
「いいえ。それはきっと、貴方にとって大切なことですわ」
年齢はそう変わりないはずなのに、ルネの物腰と身の丈の高さが相まって、成長を見守られている気分になる。
姉がいたら、あるいはこんな風なのだろうか。
「ありがとう」
落ち着きを取り戻すべく、深呼吸して肺に空気を取り込んだ。
ルネはそんなアシャを暖かく見つめていたが、ふと思い立ったように身を乗り出してくる。
「ここだけの話……初体験はおありで?」
密かな耳打ちにまたも心臓が跳ねた。
羞恥心はあったが下手に見栄を張っても仕方がない話題であり、素直に答える。
「……ない。初めては好きな人と、なんて考えてたけど……今は別にこだわらなくていい気がしてる」
自ら機会を作ろうともしなかったのに理想ばかりあっては、ちぐはぐだ。
「してみたいですか?」
「まぁ……そりゃ、いつかは」
言いづらくも肯定すると、ルネは急に両手でアシャの手を包んだ。
至近で大きな目が黄金色に輝いている。
「いつかと言わず、今夜しましょう。丁度、おすすめしたい癒し系のお店があるんです」
髪の流れに沿うばかりだった兎耳がにわかに起き上がっており、人相すら違って見える。
初めて、彼女の中の野生を実感した。
次の更新予定
人ならざるはオムファタル 坂本雅 @sakamoto-miyabi
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