第2話 門が開く音


真歴一六〇〇年、六月一日。

 ガイア大陸、「サフィアナ王国」領土内南部の島、ハイロ。

 

 青空と海がキレイに輝く、太陽が眩しいビーチ。

 夏島で、更には観光スポットでも有名なハイロでは観光客や地元民で溢れて賑わっている。

 

 そのメインストリート。

ハイロの中心で最も人が集まる大通りを駆ける二つの影がある。


「おらぁ! 待ちやがれぇええ!」


  少年の大声が賑わう白い町に響く。

 人混みで溢れるメインストリートで、少年が金髪の男を走って追いかけていた。


「待てって言われて待つ悪人がどこの世界にいるんだよ!」


「なるほどそりゃそうだ……って違う! 納得してる場合じゃねぇし! つーか自分が悪人だって自覚してるんかい!」


 藍色の髪に紺瞳、活発で勝ち気な顔立ちの少年、ハル・ジークヴルム。半袖半ズボン姿は旅行気分が目立つ仕上がりだ。

 そんな彼から逃げる金髪の男は露店商から物を奪っては投げてきて、随分と必死だ。

 

 しかし鬼ごっこに終わりが見え始めた。

 分岐地点。

 メインストリートが二つに分かれる。


「逃げ場はねぇぞ!」


 金髪男の背中に声を飛ばす。

 相変わらず物が飛来してくるが危なげなく躱し、そして、分岐に至る前にクソ野郎が予想外の行動にでた。

 まさかの分岐手前の小道を曲がるという奇行。

 飛んできた果実を食ってたハルは驚愕し、けれど急には止まれず。


「い⁉︎ そっちならそっちって教えてくれてもーー」


  急な方向転換には十分ご注意下さい。

 クソ野郎が曲がった小道を通り過ぎて、勢いがあり過ぎて止まらなかったバカ一名が突き当たりの壁に盛大に激突した。


 そして謎の追手である藍色髪の少年を振り切った金髪の男は何本か小道を曲がった所で壁に背を預けて荒い息を整えていた。


「ハァ、ハァ、ハァ……! クソッ、なんなんだよ!」


  手に持つ革のバックに目を下ろし、荒々しく現状を呪う。金髪の男は罪人認定もされない程度の小さな悪人。仲間たちと共にリゾート地だけを狙って金品を奪うだけの低脳集団の、その頭。

 〈煙盗〉などと呼ばれている少し有名なクソ野郎。そんな〈煙盗〉の隠れ家があるのがハイロで、先日奪った金品を肴に酒を飲んでいたらいきなりあのガキが殴り込んできたのである。

 しかも一〇人以上いた仲間たちをものの数秒でボコボコにした正体不明のガキときたら、逃げるのは当然だ。

 

 金品が詰まったバックから男は周囲に目を移す。

 追手の姿はない。

 安堵の息を吐き、逃走ルートを構築ーー。


「ーー小悪人が安心したらピンチの兆しってママに教わらなかったのか?」


「⁉︎⁉︎」


 いつの間に、という感想がここまで合う展開はなかなかない。足音も息遣いもまるで感じなかった。気づけば隣に腕を組んで立つ、花柄のシャツに海パン姿の茶髪の少年がいた。


「ちなみにオレは習ってません!」


 拳が迫る。

 ––––ユウマ・ルークは〈煙盗〉の返答を待たずして拳を振るう。

 栗色の髪に端整な顔立ち。淡い金の双眸。ハルと同じように仕事が二の次の格好は、しかし悠然としていて良く似合う。

 ハルが突っ走って失敗するのはいつものことだから別に気しない。

 

 色々と作戦を立ててたのに全部ご破産にして一人で乗り込んだ挙句、第一目標を逃して面倒を増やしたこととか、ハルが待機場所にいなかった時点で予測済み。

 

 だから先回りし終わらせる。


 ユウマの拳が、〈煙盗〉の顔面に直撃し、ヤツが苦鳴しながら数歩後退。畳み掛けるように前進する。こっちの目的はヤツが持つバック。また逃げられるのも面倒だ。さっさと終わらせよう。


「諦めろ。幸せってヤツを奪ったんだからな」


「なんの話しだよぉ!」


「男の決意の話だよ」


 身に覚えのないことに叫んだ〈煙盗〉の態度にユウマの瞳がしんと冷える。


 罪人よりはマシだが、自欲のままに他者を陥れる悪人はどいつもこいつも例外なくクソ野郎だ。

 

 手心を加える最後の慈悲がフッと消えた。

 ほんの少し痛い目に遭わせようと拳を握り、


「白幕‼︎」


「げっ⁉︎」」


〈煙盗〉が見苦しい悪足掻きを実行した。

 二つ名の由来。

 煙魔法の行使。

 

 霧より深く濃い白の紗幕が細い小道を包み込むように広がり、白魔の悪戯がユウマの視界を奪う。

 

 一瞬にして姿を見失い、白く鎖された煙の世界を急いで見回すが何も見えずに舌を打つ。

 

 煙魔法。

 なるほどこれなら逃走率は上がる。

 ーー普通なら。

 ユウマは早期発見を諦めて、白幕の向こうにうっすらと覗く青空を見上げて呼んだ。


「セイラ!」


「ーーああ。見えてるよ」


 白亜の建物の屋上で美女が笑う。

 薔薇色の長い髪を束ねている魅惑の身体の女性、セイラ・ハートリクス。

 黒地のビキニ。着て白く眩しい妖艶な四肢を外気に晒し、超絶的なスタイルを誇示する絶世の美女。


 真紅の双眸は婉然と細められ、白い街並みの中でも濁ったように白い一点を見据えている。

 そしてゆっくりと、構えるのは金青の、意匠が凝った弓矢で、その姿はひどく美しい。

 弦が泣き、矢が射出を待つ。

 

 白亜の範囲は約半径五メートル。直線距離で数百メートル離れた高台にいるセイラに白幕の内側は伺えない。

 しかし一歩でもヤツが己の領域から出れば話は別だ。

 姿が見えるなら、外すという概念は彼女の中に存在しない。

 あかの瞳が。

 視た。


「急な矢雨には注意しろ」

 

 バシュ‼︎と。

 金青の流星が天を衝くように射抜かれて、〈煙盗〉がセイラの忠告を耳にすることは永遠にない。


 逃げ切れると、勝ち筋が見えた直後、ソレが呆気なく泡のように弾けて消えたと理解するのに、数秒の時間を必要としたことさえ、〈煙盗〉は呆然と忘れた。


 定石通り煙魔法の姿晦ましで逃げようとして煙の外側に一歩出た瞬間、頭上から太さも長さも人間サイズの矢が一〇本近く落ちてきて、まるで即席の牢屋のような限定空間に閉じ込められた。


「な、ん……」


  誰がやった、とかの前に。 

 これだけ正確に行く手を阻む技量を持つ相手に狙われて、当てられずに済んだことを幸運と思うべきだろう。

 

 状況からして、あの少年たちの仲間。

 暗に言われている。

 首筋に刃を突き付けられている。

 大人しくしろ。

 逃げるだけ無駄だ、と。

 

 悪人とか善人以前の問題として、魔法を使う一人の人間として実力が違うと本能で理解した。 

 そうなれば、物事は急速に進んで一点へと集約されていく。

 

 空気に溶けるように矢は消失し、白煙が晴れる。拳を握って、一人の少年が歩み出る。

 

 藍色髪の少年だ。

 

 こうなった、全ての原因。

 ギリッ、と。奥歯を噛んだ。やっと人生が軌道に乗ってきたというのに。


「返してもらうぞ。愛の形ってやつを」


「意味分かんねぇえよおおおお!」

 

 最早ヤケクソ気味に〈煙盗〉は激昂し、懐からナイフを取り出して少年に切り掛かる。

 煙魔法は戦闘に不向きで、少年が強いだろうことは知っているから、ナイフなんて何の意味も持たないのに。

 

 そうと分かっていて、しかし止められない。

 案の定、だ。

 渾身の刺突は半身になって躱され、ナイフを持っていた手は膝蹴りを喰らい、ナイフは宙を飛んで。


「ぎぃ⁉︎」


「歯ァ食いしばれ」


  眼前に迫る少年の拳が、青白く光って見えたのは錯覚か。 

 それを確かめる間もなく、〈煙盗〉は激烈な衝撃によって意識を失い、最後に聴いた音が自分の頬骨が砕ける破砕音だと知ったのは、二日後の朝だった。

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