三 覚(さとり)

 すぐに襲いかかるでもなく焚き火にあたったり、いきなり大声を張りあげたりと何を考えているかわからないが、やはり危険なバケモノであることに違いはないらしい……脅して退散させるのは不可能だ。もうこちらから逃げるしかない。


 なんとかしてこの場から逃げ出さなくては……だが、クマのように背中を見せた瞬間、襲いかかってくることだってありうる。それに足は早いのか? 相手は山に棲まうバケモノ。人間以上の脚力を持っていそうだし、隙を見て逃げたとしても、すぐに捕まってしまう可能性も高い。


 ならば、どうすれば……。


「オマエ、オレノコトヲオソレテイルナ? ソレニ、オレカラニゲヨウトカンガエテイル」


 そうして俺が脳をフル回転させ、最善の行動をあれこれ逡巡していると、またも異人は俺の思っていることを口に出して呟く。


 やはり、信じがたいことにも俺の思考を読むことができるらしい……。


 思考を読みとる……そういえば、ここら辺の山麓には、そんな人の心を読む〝山爺やまじじい〟という妖怪の伝説があることを思い出した。


 詳しくは知らないが、その妖怪は毛むくじゃらの一つ眼をしているというし、左眼が小さすぎて一つ眼に見間違えたとすれば、ほぼ見た目も合っている。


「相手の心を読む」妖怪としては、やはり山で遭遇する〝さとり〟という猿のような外見をしたものもいるが、たぶんそれも同種の存在なのだろう。


 古くはこだま・・・現象の原因と考えられていた〝山彦やまびこ〟もまた、心を読むとも云われる山の妖怪だ。


 他にも〝山男〟や〝山童やまわら〟、〝山精さんせい〟、〝山人〟などなど、ここ四国だけでなく日本全国…さらには中国にも似たような山に棲む人型妖怪の話が伝わっている。


 山の神なのか魔物なのか? あるいは絶滅したはずの旧人類かUMA(※未確認生物)のような動物なのかは知らないが、ともかくも、どうやらそんなモノ達が密かに山中には存在しているらしい。


 しかし、心を読まれるというのはなんとも厄介だ。隙を見て逃げようとしても、その瞬間に隙が隙ではなくなってしまう……。


「オマエ、イマ、モノスゴクコマッテイルナ?」


またしても異人が、私の心を読んでどこか楽しそうに呟く。


……マズイ。万事休すだ。異人が言う通り、これでは打つ手がない……一か八か逃げてみるか? だが、下手な動きをすれば、逆に刺激して事態を悪化させてしまうかもしれない……最早、この異人の気まぐれに運命を托すしかないのか……。


「オマエ、ニゲルノヲアキラメタナ?」


 ご親切にも私の心の内を代弁して、異人がニヤリと不気味な笑みを浮かべながら、またもしわがれ声で呟いたその時。


 ピィィィィー…! と甲高い笛のような音が山中に鳴り響き、火にかけていたポットが吹きこぼれた。


 インスタントラーメンを作るろうと、たっぷり満杯に水を足しておいたのだが、この異人騒ぎですっかり放ったらかしにしていたのだ。


 予期せぬその音と水蒸気に、驚いたのは私だけではなかった。見れば異人も大きな右眼を見開き、思わず背後へのけぞっている。


 逃げるなら、今しかない……考える間もなく、私は無意識にそう判断を下していた。


 気がつけば、私の足はポットを蹴倒し、瞬間、爆発的に白い煙が焚火の上に溢れ返る。


「ウゥ……」


 吹きこぼれに驚いていた異人は、突然のその煙にさらに怯む。


「う、うわあぁぁぁーっ…!」


 一瞬の隙を私は見逃さず、大声で喚き立てながら、まさに脱兎の如くその場を駆け出した。


 その後は、もうどこをどう走ったものかも憶えてはいない……何一つ視界を照らすもののない、真っ暗闇の山の中を文字通り転がるようにして無我夢中で走り抜ける。


「…ハァ…ハァ…ハァ…ハァ…うわっ…!」


 そして、息も切れ、もうこれ以上は走れないという肉体的限界がきたところで、幸か不幸か私は不意に転がり落ちた。


 目が利かないのでわからなかったが、どうやら窪地のようになっている場所らしい。


 ここならば、隠れることもできるかもしれない……もう走って逃げることは無理であったし、私はその窪みに身を潜めてやり過ごすことにした。


 霊的なものなのか生物なのかはわからないが、いずれにしろ目撃情報が皆無に等しいことからして、おそらくは夜行性か夜にしか現れない存在なのだろう。


 ならば、朝まで逃げ切ればなんとかなるかもしれない……今はその曖昧な一縷の望みに託すしかない。


 だが、やつはこちらの思考を読むことができる……その能力が、どのくらいの距離まで可能なのかはわからないが、心を読まれたらここにいることがバレてしまうかもしれない。


 ……考えるな……何も考えずに無心になるんだ……。


 昔、一度だけ経験した座禅のことを思い出し、深呼吸をして息を整えると、なるべく何も考えないようにして私は朝が来るのを待った──。





「…………う、うぅ…」


 次に気がつくと、樹々の隙間から差す朝日に周囲の景色がよく見渡せ、いつの間にかすっかり夜は明けている。


 きっと心身ともに疲れ果てていたのだろう。どうやら座禅を真似ているうちに深い眠りに落ちてしまっていたみたいだ。


 念のため、辺りを警戒してみるがあの異人の気配はなく、思った通り夜にしか活動しない存在であるらしい。


「はぁ……」


 ともかくも、なんとかあのバケモノより逃げおおせることができたと見てもよいだろう……。


 朝日を受け、金色に輝き出す景色に安堵の溜息を吐くと、私は登山道を探してゆっくりと歩き出した。


 暗闇を無我夢中で走り続けたため、全身泥だらけのあちこち傷だらけの無残な姿ではあったが、その後は昨日のことが嘘みたいにすぐ登山道が見つかり、私は難なく下山することができた。


 ちなみに持って行った装備は、すべてあの場所に置いてきたままだ。それなりに値の張る高価な品なのでもったいなくもあるが、あの焚火をした地点が今ではわからないし、もし仮にわかったとしても、異人がうろうろしてるかもしれない縄張りテリトリーへ再び足を踏み入れるなんてまっぴら御免だ。


 幸い、これ以降も懲りずに山へは登っているものの、あの異人にまた出遭うようなことは今のところ一度としてない。あんなモノに出会ったのは、後にも前にもこれが初めてである。


 だが、いくら時代が移ろい変わろうとも山中はやはり他界……今でも人知れず山の中では、異形の者達が密かに闊歩しているのである。


(山爺 了)

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山爺 平中なごん @HiranakaNagon

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