第4話 空を仰いで
あれよあれよと、顔合わせまで話が進んだ。
「婿殿、こちらが私の娘だ」
絹糸のようなストレートのプラチナブロンドは、腰まで伸ばしている。大きなつり目の瞳は、透き通る青い瞳。
瞳こそ父親似だが雰囲気は全然違う。輝きを失った星。何か大切なものが抜け落ちてしまったような無表情。とんでもなく綺麗な少女、いや年の頃は幼稚園年長ぐらいなので幼女だが、どこか歪な印象を受けた。
眉をひそかに動かす。
特別何をされたわけでもないのに、苛立ちが募る。それを誤魔化すように、俺はそっと目を伏せた。
「アンフィーサ、彼はシェロ殿、其方の許嫁になる方だ。ご挨拶をしなさい」
「……はい、父上。シェロ様、お初にお目にかかります。私、アンフィーサ・ジクムンド・ユリア・ソフィーヤ・フォン・ラリッサと申します。幾久しくよろしく申し上げます」
まだ子どもの俺が言うのも何だが、子どもらしからぬ言動だった。身を包む洗練された藍色のドレス。その裾を持って、左足を引き、膝を曲げ、身体を下げた。
それは自身より上の人間にする動作であって、俺のような平民にするべきものではない。
俺は動揺したものの、胸を張って頭を下げ返礼した。日本にいた頃、幼いながら社交会に参加していたときの経験が役に立った。
長い名前から貴族であることはすぐ分かる。
そんなことより、いや、そんなことではないけれども、この娘今ラリッサと名乗ったか? 待ってくれ、ではジグムンドさん……様はこのラリッサの領主。ラリッサ辺境伯?
この城に住み、この身なりと立ち振舞い。普通に考えたら分かることなのに、一気に話が進んで俺も混乱しているのだ。
「まあ、先ずはお互いのことを知るのが先決か。アンフィーサ、婿殿に城内を案内して差し上げなさい」
「はい、父上」
幼女……アンフィーサは、こくりと頷く。
アンフィーサに促され、俺は応接室を後にした。
扉を閉める際に、横目で親父を見る。ジグムンド様に見えないようにして、首を掻き切るジェスチャー。親父は心底愉快だという顔をしながら、手を振った。
必要最低限の会話を交わしながら、アンフィーサに城を案内される。大広間や居館、書庫はては武器庫。時間をかけて、様々な場所を巡った。その都度、感情のない声音で説明を受けるもほとんど耳に入ってこない。というか聞き流してる。
ふたりして無言で廊下を歩く。
ちっこいのに乱れない歩みで、俺と並んでいても遅れを取ることはなかった。
……何でこんなちびっこに?
そう俺は初めて会ったこの幼女に、妙な苛立ちを感じていた。見た目は文句なしに綺麗だし、礼儀正しい。不快になる要素は、まあ可愛げのない表情ぐらいだ。
頭を捻る。
なぜそのように感じたのか。その理由が自分でも分からない。
眉間をぐりぐりとほぐしてみる。ほぐしてみたものの特に効果はなかった。
不意にアンフィーサが足を止める。
「シェロ様何をなさっているのです? この階段をあがれば塔に登れます。どうぞこちらへ」
そう言われて、ハッとする。
いつの間に塔の内部に入っていたのか。
見上げると螺旋階段がずっと上まで続いていた。
(……登らないという選択肢はないのか)
既に登り始めている小さい背中を見つつ、肩を落として重い一歩を踏み出した。
***
やっとの思いで塔を登りきる。
荒い息が漏れ、空気を求め意識して深呼吸を繰り返す。
アンフィーサは首を傾げて、問いかけてきた。
「……大丈夫ですか?」
「まぁ。それなりに、ぜぇー……はぁ、ふぅ……あー、体力……すごい、です……ね」
「慣れていますから」
毎日のように登っているという口ぶりだった。マジかよ。
息を整えて、視線を巡らす。
そこには、絶景が広がっていた。
ラリッサが一望でき、それどころか地平線の彼方も見ることができた。思わず、感嘆の溜め息をつく。
「とても良い眺めでしょう? ラリッサで、一番高い場所なのです。何より、空に一番近い」
そう言って、アンフィーサは空を仰いだ。
その横顔を見て、俺は理解した。
(……こいつ昔の俺と同じなんだ)
初めて会ったときに感じた苛立ちは、同族嫌悪によるものだったのか。そう思うとスッキリする。
日本にいた頃。広い屋敷で、俺はたった独りだった。勿論大勢の使用人はいたが皆一様に、俺に対して線を引いていた。誰かはいるのに誰もいなかった。
だから、そのうち何にも期待しないようになった。何も望まないようになった。
―――こいつの横顔は、その時の俺なのだ。
ジグムンド様が俺の両親ような人ではないことは、瞳を見るだけで分かる。ただ辺境伯としての責務があり、娘に構う時間がないのかもしれない。
「おい」
「……はい、如何致しました?」
声をかける。
アンフィーサが振り向いた瞬間、人差し指で頬をつつく。
彼女は吃驚して、目を見開いた。
「ふぁにを、するんでひゅか!」
目を吊り上げて、肩を怒らせる。子犬が一生懸命威嚇しているように見えて、俺は思わず吹き出した。
「ははっ、なんだ。そんな顔もできるじゃねぇか」
「あうっ……」
笑う俺をまじまじと見詰めて、アンフィーサは固まる。
「よし。お前、もう敬語を止めろ。様付けもしなくていい。俺もそうする」
「えっ、あの……」
しどろもどろになって、視線をさ迷わせる。そんな様子のアンフィーサを尻目に、言葉をたたみかける。こういうときは、相手に反論を許す隙を与えさせないことが大事だ。
「まず自己紹介をするぞ」
「あのそれなら先ほど……」
「馬鹿。いいか。あれは本当の自己紹介なんかじゃない。俺が見本を見せてやる」
ふふん、と鼻から息を漏らして胸を張る。
「俺は嗣郎。シェロでいい。好きなものは、ミートパイ。嫌いなものは、匂いがきつい野菜。趣味は、いたずら。最近のブームは、親父の服に虫を仕込むことだ」
言い終わると、アンフィーサに視線で促す。ちびっこは慌てたように口をもごもごさせてから言葉を紡いだ。
「……あ、アンフィーサと言う。好きなものは、林檎のコンポート。嫌いなものは、脂身の多いお肉。趣味は、空を眺めること。最近、星空を見上げて、新しい星座をつくることに嵌まっている」
「よし、ばっちりだ。……アンフィーサ。名前言いにくいから、これからアンって呼ぶぞ。これはもう決定事項だ。抗弁は却下する」
「は、はい……シェロ様」
「こら、違うだろ」
「……うん……その、シェロ?」
「何で疑問系なんだよ。ははっ、まぁ良いや」
俺は満足げに頷いて、手を差し出す。
きょとんとした表情のアン。面倒くさくなって、強引に手を握った。それから、上下に振る。
「よろしくな。アン」
笑いかける。
アンは呆然としながらそんな俺を見ていた。しかし、次の瞬間顔が真っ赤に染まった。
「貴公は……誠に
そう呟いて、俺と目を合わせた。透き通るような青い瞳は、キラキラと星のように瞬いていた。
異世界の許嫁が俺のことを好きすぎる件について 桂太郎 @12030118
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