無能召喚 ～追われてるみたいなんだが、この異世界でどう生き残ればいい？～

第2話 勇者召喚

　どれほどの時間が経ったのだろう。蓮斗の意識は、ゆっくりと現実に引き戻された。

　ひんやりとした感触が背中に伝わる。どうやら仰向けに倒れているようだ。ぼんやりと薄く目を開けると、見覚えのない景色が目の前に広がっていた。石造りの壁は古びた雰囲気を漂わせ、高い天井が圧迫感を与える。壁に取り付けられた松明は青白い炎を放ち、その明かりが不気味に揺れている。ここはどこかの地下だろうか――そう思わせるくらいの不気味な静けさが、辺りを支配していた。

　頭が重く、身体も思うように動かない。それでも何とか力を振り絞り、やっと思いで身体をうつ伏せにする。そしてふと視線を下げると、自分が磨き上げられた円形の台に倒れていることに気づいた。よく見ると台にはあの魔法陣のような複雑な模様が刻まれ、淡い光を放っている。

　現実とはあまりにかけ離れたこの光景に、まるで夢の中にいるような気分だった。しかし、目の前に広がる風景はあまりにも鮮明で、肌に感じる冷たい石の感触もリアルすぎる。どうやらこれは夢では無いらしい。

　ここがどこかはわからないが、少なくとも「公園」ではない。それだけは確かだった。じゃあ、ここはどこなんだ？と胸の奥に、言葉にならない不安がじわじわと広がるのを感じた。

　隣を見ると、同じく驚きと困惑に満ちた表情を浮かべた少年が、こちらを見下ろしていた。彼もまた、この異様な空間に圧倒され、状況を理解できていない様子だった。

「……うっ、なにが起こったんだ…」

　右手を地面に置き、意を決してゆっくりと体を持ち上げた。全身が鉛のように重く、先程の光に飲み込まれた感覚がまだ残っていた。

　辺りを見渡すと、何人ものローブをまとった者たちが無言で立ち尽くしている。その姿は儀式を行う魔法使いのようで、その光景はあまりにも異質であった。

「お兄さん！大丈夫っすか！？」

　声がした方を向くと、隣の少年が不安そうにこちらを見ていた。

「…ああ、まあ何とかな」

　そう返事をすると少年は少し安心したかのように安堵の表情を浮かべた。その様子を見るに、どうやら少年も大丈夫なようだ。蓮斗は何が起こったのか頭の整理が付かず、この状況について尋ねることにした。

「…えっと、今のこの状況、どうなってるんだ？俺たち公園にいたはずだよな？」

「それが俺も何が何だかさっぱりで……ここ、一体どこなんすかね？なんかやばそうな感じがありますけど…」

　少年はあたりをきょろきょろと見回しながら、呆然とつぶやいた。そこに窓や装飾は一切なく、青白く松明が燃えているだけの薄暗い空間だった。

「そ、そうだな…」

　その言葉に何か返答しようとするも、言葉が出てこない。さっきまで公園で話してたというのに、一体何がどうなったというのだ。身体を浮かせた謎の魔法陣、そしていかにも別世界に来たかのようなこの空間…

（もしかして…これ、異世界に転移したってことか？）

　その考えが浮かぶと、今まで感じていた奇妙な出来事に説明がつくように思えた。この非現実的な光景、ゲームの中に出てくるような魔法陣、普通ならあり得ないことだが、異世界なら納得できる。

　…っていやいや、そんなの納得できるわけがない。冷静に考えればそれこそ一番おかしな話だ。異世界だなんて現実離れしすぎている。そう自分に言い聞かせるが、頭の中は混乱するばかりだ。じゃあ何だ、俺の頭がおかしくなっちまったのか？思考はぐるぐると回り続けるが、どれも決定的な答えにはたどり着かずにいた。

「おお！よくぞ来てくれた！」

　突然、重厚な声が響く。蓮斗たちは同時に声がした方向を見た。

　そこには、長く淡い金色の髪を持つ人物が立っていた。彼は金の刺繍が施された深紅のマントを羽織り、頭には威厳を示すかのように輝く王冠をかぶっている。その姿は、まさに王そのものだった。堂々とした態度で石段の上に立ち、蓮斗たちを鋭い眼差しで見下ろしていた。

「我はこの国の王、ヴィクティル・ディア・ヴァクフォールである！そしてここは我が城の地下にある召喚の間である。歓迎するぞ、勇者・白峰陸（しらみねりく）！」

　その言葉に少年は僅かに後ずさりをし、引きつった表情を浮かべた。その様子を見るに、どうやら隣の少年は白峰陸という名前であっているらしい。しかし突然「勇者」と呼ばれた陸は、明らかに戸惑いを隠せなかった。

「えっと…ちょっと待ってください！なんで俺の名前を…っていうか、勇者ってどういうことですか！？」

　王の言葉を信じられないという顔で問いかけた。声はかすかに震え、状況をまったく理解できていない様子だった。王はその戸惑いを見透かすように微笑み、厳かな口調で続けた。

「そうだな、困惑するのも無理はない。しかし汝こそ、この世界を救うために召喚された勇者である。長きに渡り伝えられてきた儀式によって、汝がここに現れたのだ」

　王の言葉が厳かに響き渡り、重々しい空気が部屋に満ちた。周りで控えていた魔法使いたちも一斉に跪き、深々と頭を下げる。

「そ、そんな…俺が勇者、ですか？」

　陸は一瞬言葉を失った後、呆然としたまま視線を蓮斗に送った。その目は信じられないという気持ちと、不安が入り混じった複雑な感情を映していた。しかし蓮斗もどう反応していいか分からず、ただ困惑した顔を返すだけだった。

　いやいや、そんな顔をされても困るのはこっちなんだが、と心の中で思った。そして、蓮斗は未だに名前を呼ばれていないことを思い出す。忘れ去られたかのような扱いを受けていることに、言い知れぬ違和感を覚えずにはいられなかった。

　そんな中、王は怪訝そうな顔をして今度は蓮斗の方に目を向けた。

「ふむ、貴公はどうやらこの勇者と共に召喚されたようだな。ではまずは名を名乗れ、異世界の者よ」

　王の厳かな声が部屋に響き渡り、思わず身を正す。その圧倒的な存在感に一瞬飲み込まれながらも、どうにか口を開く。

「えっと、俺は…津山蓮斗です。ただの大学生で、さっきまで彼の隣にいたんですが…」

　言葉を選びながら、率直に答えた。大学生という言葉が通じるかどうか分からないが、この場ではそんなことを考えている余裕もなかった。

「なるほどな…そうなると、君はこの勇者召喚に巻き込まれてしまったようだな」

　王はしばらく考え込むように顎に手を当てた後、しっかりと頷き口を開いた。

「しかし貴公もまた、勇者と同じ異世界から来たようだな。巻き込まれたに過ぎないとはいえ、我が国にとっては重要な存在となるかもしれん…」

　王は改めて視線を向け直し、しっかりとした口調で告げる。

「貴公も彼と同じく、何かしらの力を持つ可能性があるだろう。よし、ならば貴公も客人として迎えることとしよう！」

　その言葉に、蓮斗は驚きと戸惑いが混ざった表情を浮かべた。一瞬、どう返事をすればいいのか分からなかったが、王の威厳ある視線を受け「感謝いたします」と慌てて頭を下げた。

　つい先程まで、この場から追い出されるのではないかという不安が渦巻いていた。しかし「客人として迎える」という王の言葉に、少しだけ肩の力を抜くことができた。少なくとも、今すぐ放り出される心配はなさそうだ。だがそれと同時に、蓮斗にまであらぬ期待をされていることが見て取れ、憂う気持ちも芽生えた。

（俺にも…力があるのか？）

　異世界に召喚されたという事実が、自分に何か特別な力が隠されているのではないかという期待を呼び起こした。もし陸が「勇者」としてこの世界に選ばれたのなら、自分にだって絶大な魔力だったり、類まれな剣術だったりと、何か才能が備わっているかもしれない──そう思わずにはいられなかった。

　蓮斗達はまだ混乱していたが、王との会話が進むにつれ、ここが本当に異世界であること、そして陸が「勇者」として召喚されたことが、徐々に現実味を帯びてきた。蓮斗は心の奥でわずかな期待と不安を抱きながら、次に何が起こるのかをじっと見つめていた。

　そして、陸はずっと疑問に思っていた重要な質問を口にした。

「ちょっと、王様に一つ聞きたいことがあるんですけど…」

　陸の言葉に、王は驚いた様子で眉をひそめた。しばらく沈黙が流れた後、王は静かに頷いた。

「何だ、勇者よ。申してみよ」

「えっと、自分たちはいつ元の世界に帰れるんでしょうか…？」

　その問いが部屋の中に響き渡った瞬間、空気が一変した。まるで時が止まったかのように、誰もがその言葉に沈黙した。帰還──それは陸だけでなく、蓮斗の心の中でもずっと引っかかっていた疑問だった。自分は勇者ではないから、もしかしたらすぐに帰れるのではないかという淡い期待が、心の中に微かに残っていた。

　王は少しだけ考える素振りを見せた後、口を開いた。

「そうだな。それはきっと、魔王を倒したそのときに明らかになるだろう」

　その言葉はあまりにも曖昧で、投げやりにさえ感じられた。蓮斗はこの瞬間、期待はいとも簡単に打ち砕かれたことを悟った。こんな大掛かりな召喚を再び行い、自分たちを元の世界に帰す――そんな面倒なことにメリットなどあるはずがない。もしかすると、自分たちはこの異世界で便利に使われるだけの駒に過ぎないのではないか。そんな疑念がじわりと頭をよぎり始めた。

　一方で陸も、王の曖昧な答えに不安を隠せず、やや焦り気味に声を上げた。

「えっと、ということは…魔王を倒したら元の世界に帰れるってことですよね？あの、俺、早く元の生活に戻りたいんですけど……！」

　彼の声は一見落ち着いているが、その裏には明らかな焦りが含まれていた。王は少しの間、沈黙したまま陸を見つめ、言葉を選びながら答えた。

「異世界からの帰還…それは、決して容易なことではない。だが、古い記録には、使命を果たした勇者は大きな魔法陣の光に包まれ、元の世界に戻っていったとある」

「つまり、使命を果たせば戻れるってことですか…？」

　陸の顔に、わずかな希望の光が差した。きっと彼は元の世界に戻れるという確信を求めていたのだろう。しかし、王はしばらく沈黙した後、慎重な口調で答えた。

「そうだな、可能性はある。だが、その道を開くには、汝がこの世界を救い、使命を全うせねばならぬ。そうして初めて帰還の道は開かれるだろう」

「…分かりました。じゃあやってみます、その魔王退治を…！」

　彼の声には、これから待ち受ける試練への覚悟がにじんでいた。その声には恐れが感じられるものの、使命を果たすと決めた陸の姿は、どこか頼もしくも見えた。蓮斗はそんな姿を見て、彼の心の強さに感心せざるを得なかった。

　しかしその一方、曖昧で抽象的な王の発言にはどこか引っかかる部分があった。何かをはぐらかしているような、何か重大なことを隠しているような、そんな気がしてならなかった。

　ふと王が言った「古の記録」のことが頭をよぎる。記録に「元の世界に戻った」とあったとは言っていたが、「元の世界に帰した」といった発言は1度もなかった。もしかしたら、勇者は自らの力でこの世界を離れて行っただけかもしれない…。そうだとすれば、この世界の者が帰還の方法を知っているかどうかは怪しいものである。

　それどころか、もしかすると彼らは勇者を元の世界に帰す気すらないのかもしれない。異世界から召喚された勇者という存在には、計り知れない価値がある。戦争においては絶大な影響力を持つだろうし、魔王を倒すという名目で人々の英雄となれば、名声を得ることもできる。そしてその名声は、支配者にとって非常に大きな武器となるはずだ。勇者からの反乱でもない限り、元の世界に帰す意味など無いのは明白だった。

　だがそんなことを考える一方で、蓮斗はふと自分の立場を思い出した。勇者でもなんでもない自分はどうなるのだろうかと。

　蓮斗はふと視線を上げ、目の前で交わされる王と陸の会話に耳を傾けた。陸が語る自信に満ちた言葉、そしてそれを信じ、期待を寄せる王の様子は、まるで物語の主人公そのものだった。その光景を眺めていると、まるで自分がここにいてはいけない存在のように感じられる。

「俺は、元の世界に帰りたいのか……？」

　自分自身に問いかける。元の世界に戻れば、確かに平穏な日常が待っているだろう。だが、それだけだ。特別やり残したことがあるわけでもなく、情熱を注げるものがあるわけでもない。――正直なところ、帰りたいという強い願望は湧いてこない。

　一方で、この異世界で生きていく覚悟はなかった。陸はあの召喚の光とともに「勇者」として歓迎された。おそらく強力な力も授けられているのだろう。だが、自分はどうだろうか？ ただ巻き込まれてこの世界に来てしまった身だ。それが何か特別な理由によるものなのか、それともただの偶然なのかすら分からない。だが、特別な力もないただの平凡な人間なのだとしたら、この世界でどうやって生きていけばいいのか分からない…

　結局どちらにも決めきれず、ただ茫然としながら、目の前の会話を聞いているだけだった。蓮斗は悔しさで拳を握りしめた。それがどれほど弱々しい仕草であるかは、自分でもわかっていた。

「一体俺は、どうすればいいんだ……？」

　この問いの答えを見つけるには、まだ時間が必要そうだった。