雲にまぎれた煙のあとさき

かいまさや

第1話

私は教授の独白に鬱屈したまま暮夜けたリノリウムの廊下を足早に駆け抜けると、ふと世界をおおう色合いに目を奪われた。

人々は歩幅を規律よく整えて忙しなく脚を廻すばかりで、その頭上を掠める気色に気づいたのは私だけのようである。私は乾いて骨張った手を擦っとポケットから出して、天に翳してみると、細やかにも冷たい空の繊維が私の腕に靡いているのを感じた。雲は水彩絵の具のようにゆっくりとカタチをかえて、空色に馴染んでゆく。その刹那をとらえるために手のひらを大事そうに握って、その憧憬を閉じ込めようとすると、いくつか手背の静脈が主張した。

私は徐ろに外套の内から一本の煙草を摘むと、口に咥えて、手慣れた所作で先に火を点した。ケムリで咽喉をやいて、不健康を肺へ目一杯そそぐと、澄んだ空に向かって、一度にそれを吐きつけた。それが雲と一緒になって、じわりととけて姿を隠すと、私はひと時の無力感を堪能した。

ふと、路傍の行燈が不安定に点滅したと思うと、今度は明確な灯を齎した。

私は残火を煉瓦壁に入念に捻って、何となく軽快になった頭をあげる。空はやわらかな柑子色のレースカーテンにかかって、束の間の分割線は抽象的に空をすすんでいた。

夜が、始まろうとしているんだ。

そう呟くと、私は再び雑踏に足を運んでいった。

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