第4話 答えを求めて
「あなた、どこにいるの?」
電話の向こうで、カナさんの甘く馴染みのある声が聞こえた。それはあまりにも普通で、胃の中が捩れるような気分になった。
「…家にいます、カナさん。」
私は嘘をつき、息が詰まる思いで平静を装った。
「よかった。私のこと、無視しないでね。そういうの、本当に嫌いだから。」
その声は、平穏だった日々の残響のようだったが、今となっては遠い昔のことに思えた。
「もちろん。」
そう答え、私は急いで通話を切った。
「なんて言ってたの?」
ハヤナミさんが眉をひそめて尋ねた。
「普通っぽかったけど…。でも、そんなはずがない。あれを見た後では。」
私は溜息をつきながら、こめかみを押さえた。
彼女は信じられないと言わんばかりの目で私を見た。
「マサシカ君、自分で言ってることわかってる? あの化け物が人間を真似できるなら、それが本当に彼女だって、どうして言い切れるの?」
答えはなかった。ただ、混乱と恐怖が頭の中を支配していた。
「あいつらの正体を突き止めないと…生き残れない。」
彼女の声は震えていたが、その目には不屈の意志が宿っていた。手が震えながらも、彼女はノートパソコンの電源を入れた。
その夜、私たちはハヤナミさんの狭いアパートのリビングに腰を下ろした。彼女はインターネットで必死に調べ、私は埃を被った古い本をめくっていた。
「ドッペルゲンガー…。」
ハヤナミさんは、とある暗いフォーラムの記事を読んでつぶやいた。
「人間の姿を模倣する存在らしいけど、何のためにやっているのかは不明。悪魔だとか、復讐に燃える霊魂だとか、いろいろ言われてる。」
「で、どうやって止めるんだ?」
私は焦りながら尋ねた。
「ここには何も書いてない。でもね、こんな記述がある。”ドッペルゲンガーは単にその人の姿を真似るだけじゃない。その人の存在を完全に奪い、死と狂気を後に残すのだ。”」
その言葉の重みが、冷たい石のように私たちの上にのしかかった。
返事をする間もなく、不意に奇妙な音が沈黙を破った。
ゴトッ。
二人とも頭を上げ、凍りついた。その音は外の廊下から聞こえ、重く不規則な足音のようだった。何かを木の床に引きずる音も混じっていた。
「なんだ、この音…?」
私はささやいた。
ハヤナミさんは、何かが起こるのを恐れるように慎重に立ち上がり、そっとドアののぞき穴を覗いた。その顔が一瞬で青ざめるのを見て、私も隣に並んだ。
「大家さん…。」
彼女はかすれた声でつぶやいた。
のぞき穴の向こうには、隣人のドアを血まみれの拳で叩く老人の姿があった。その姿勢は不自然で、人間の形を保っていないようにも見えた。喉の奥から低い唸り声が漏れている。
「何をしているんだ…?」
目を離せないまま、私は小さな声で尋ねた。
すると、その老人はドアを叩くのを止め、ゆっくりとこちらを振り向いた。いや、正確には身体を動かさずに首だけを、不自然な角度でこちらに向けた。暗く虚ろな目が、のぞき穴越しに私を見つめているようだった。
私は背筋が凍るのを感じ、息を呑んだ。
すると、彼の口が大きく開き、不気味なほどに外れた。そこから、耳をつんざくような叫び声が響き渡った。
「ハラガ…ヘッタ…!」
その声は人間のものではなかった。複数の声が重なったような、歪んだ響きだった。
「気づかれた!」
ハヤナミさんが震えた声でつぶやいた。
老人――いや、それはもう人ではなかった――が突然こちらのドアに向かって突進してきた。その衝撃でドアがきしみ、木の破片が飛び散った。
「逃げろ!」
私はハヤナミさんの手を掴み、アパートの窓へと走った。
「早く!」
彼女は震える手で窓を開け、非常階段へと飛び降りた。
私たちが窓の外へ出た瞬間、ドアは完全に崩れ落ちた。中に入ってきた怪物は、歪んだ身体を不気味にくねらせながら部屋を見回していた。その目は暗く虚ろだったが、何かを探しているようだった。
「下りて!」
ハヤナミさんが非常階段を急いで降りながら叫んだ。
冷たい鉄の感触が手に刺さるように感じながら、私も彼女に続いた。怪物は追ってこなかったが、その叫び声は夜の闇に響き渡り、私たちはただ逃げ続けた。
冷たい夜風が顔に当たり、私たちはようやく数ブロック離れた場所で足を止めた。息を切らしながら壁に寄りかかる。
「…あれは一体なんだ…?」
私は耳の中で心臓が脈打つのを感じながらつぶやいた。
ハヤナミさんは暗闇を見つめていたが、何かがまた現れるのではと警戒しているようだった。やがて彼女は私を見つめ、顔は青ざめていたが決意に満ちていた。
「何であれ、あいつがここにいる以上、どこも安全じゃない。」
その言葉は刃のように胸に突き刺さった。もはや推測で遊ぶ状況ではなかった。これは生き残るための戦いだった。そして、私たちは無力だった。
影の中の真実 @AoiKazze73
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