001

「分かった。店舗は契約しておくから後は任せる」

 電話を切り、小さくため息をつく。何度言ってもチャットアプリではなく電話をかけてくることに少し腹が立ちつつも、それを指摘することすらもう面倒くさい。

 新しい店を出す時の手順は完全なルーチンワークで、目を瞑っていてもできる。保健所、警察署、消防署を順に回り決まった手続きを行うだけ、ヤクザでもなく服役したこともないという希少な存在は俺くらいのものだし、書類を正確に書ける人間は意外と少ない。俺はヤクザでもなければ服役経験もないし、日本語の解釈と文書作成くらいならお手のものだ。それが珍しいというなら、恵まれた人生を送ってる事に感謝したほうがいい。


 忠巳市ただみしは、かつて窯業で栄えた街だ。今では商店街のシャッター通りが増える一方で、冬の寒さだけが変わらず厳しい、さらに言うと夏は人が死ぬほど暑い。肌がひりつく寒風にうんざりしながら、俺はダウンのチャックを一番上まで上げる。これだから冬は嫌いだ。東京でも不快だが、ここはさらに嫌な気持ちになる。

 周りを見渡して、誰もいないことを確認するとポケットから電子タバコを取り出し火を付ける。

「実際には加熱しているだけなのに火を付けると言うのは正しいんだろうか」

 路上喫煙は禁止だが、俺が気をつけるのは、周りに人がいるかどうか、それだけだ。和を乱すべからず。DNAに刻まれた本能は現代でも人間を支配している。


 駐車場へ行く途中、ベンチに座っている子供が目にとまる。中学生くらいだろうか。近頃のガキは年齢が全く分からないのは俺が老いたからなのだろうか。何をするでもなく、座っているだけだ。妙に姿勢が良いのが少しだけ気になったが、視線を切って車に乗り込み、二本目のタバコを吸い始めた。


 手続きを終え、駅前の喫茶店で飯でも食おうと車を走らせる。


 少し時間が早いからか、喫茶店には「準備中」の札がかかっている。30分もすれば開くだろうと思い、近くで時間を潰すことにした。

 しかし、飲食店に入って時間を潰すのはなんだか無駄に感じて、駅まで歩き、ベンチに腰を下ろした。

 すると、隣には先ほどの子供が座っていた。スマホをいじるでもなく、ただ静かに、姿勢良く座っている。そんな様子に少し違和感を覚える。


 ふと、彼がこちらに視線を向けてきたので、目が合ってしまった。

「お前、何してるんだ?」

 自然と声をかけると、少年は柔らかな微笑を浮かべて答えた。

「考え事をしていました」

「こんな寒空で考え事か?変わったヤツだな。そこら辺のマクドナルドでも座って考えられるだろうに」

「そうですね。でも僕、お金がないんです。それに、何も頼まずにお店にいるのは迷惑になりそうで……」

 そう言う少年の声は落ち着いていて、特に自分の境遇を嘆く様子もない。妙だなと感じたがそれほど興味は引かれなかった。ここで会話をやめるのもおかしいと思った俺は言葉を繋げる。


「そうか。だが、今は平日の昼間だぞ。何をしているんだ?」

 こちらの問いかけに、少年は一瞬目を伏せたが、すぐにまた穏やかな表情で答えた。

「学校には行きました。でも、どうも僕がいると嫌な気持ちになる人がいるみたいで……申し訳なくなって帰ってきました。学校にいるべきなのは分かってるんですけどね。ごめんなさい」

「説教をするつもりはない。単に聞いただけだ」


 その言葉に何か引っかかるものを感じた。彼は淡々としているが、どこか含みのある話しぶりだった。ただそれ以上、どう踏み込んでいいのか分からず、言葉を飲み込む。


「気になりますか?」

 他人事のように少年は言う。

「少しだけな」

 深入りするつもりはなかったが、返事をしないのも不自然に思えた。

「僕もよく分からないんですが、気に入らないということでLINEのグループでもそもそも僕は招待されないか、入っても露骨に無視されています。僕のことを空気みたいに扱っているのに、いると気分が悪くなるってちょっと面白いですよね」

少し笑いながら言ったが、冗談らしい軽さはそこにはない。

「笑えない冗談だな。ただそれは‒‒‒‒‒‒‒」

「はい、僕は

そこには強調も感情の変化もない。天気を告げるかのような物言いだった。

「下に見る人がいると楽なんだろうと思います。別にたいした理由もないことも分かっているのですが、嫌だなという言葉を受け続けると、少しずつ嫌なものが溜まっていって、あふれ出しそうになります」

「そういう時はどうするんだ?」

「そこから逃げ出すことにしています。自分の嫌なものが見えてしまいそうだから」

 少年の声は落ち着いていて、奇妙なほど冷静だった。


「....お前の名前は?」

 少し圧倒された俺は流れを変えるために何気なく聞いてみた」


「僕は月嶋蒼つきしまそうと言います。蒼白の蒼です」

「そうか、俺は佐倉さくらと言う」

 俺は立ち上がりながらそう言った。

「佐倉さん。さようなら」

「ああ、じゃあな」


軽く手を上げてその場を離れて俺は振り返らずに喫茶店のドアを押した。

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心臓に火をつけて ken the 365 @ken_the_365

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