一章 悪意なき殺意

1話

 警察学校を卒業し札幌駅前交番に配属になって二か月。いつも通り本署へ向かい、制服へ着替え、装備品や携帯品の用意をする。ここまでは昨日と何ら変わらない。問題はここからだった。朝礼へ向かう途中、誰かに見られているような気がして視線の方へ顔を向けた。

 すると視線の先で手を後ろで組んだ幡中はたなか警部補が、じっとこちらを見ているのに気づいた。警部補は柔らかい笑みを浮かべたまま、手招きをしていた。傍から見れば上司に呼び出された部下、署内では見慣れた光景だろう。しかし、警部補の様子がどこかいつもと違う気がした。

 幡中警部補はエレベータの前に立っていた。既に制服に着替え、装備品を身に着けている警部補は誰がどう見ても「交番のお巡りさん」だ。私はその隣に並び、声をかけた。

「おはようございます。お呼びですか」

 おはよう、と警部補は笑顔と同様の柔らかい声で返した。署内では「微笑みの幡中」の愛称で親しまれている警部補。歳は四十後半と聞いてたが、その柔和な面持ちは三十代と言われても信じてしまいそうなほど若く見える。

「公務中ではありませんし、硬くならなくて結構ですよ。氷雨ひさめちゃん」

 警部補は、近所の子供へ話しかけるような声のトーンでそう言いながら、私の肩を軽く二度叩いた。

 舞原氷雨まいばらひさめ。それが私の名前だ。だけれど警部補、幡中さんは私が子供の頃から、私のことを氷雨ちゃんと呼んでいる。

「一応、職場なので」

 私がそう返事をすると、警部補は「そうですか、残念です」と言った。

「それで、要件を伺ってもよろしいですか」

「ええ、所長がお呼びです。これから署長室へ向かいます」

「署長が私を、ですか」

 警部補が「ええ」と返した直後、エレベータの扉が開き中へ入るよう促された。署長室までの道中に警部補と会話はなく、どこか不穏な空気感の中、署長室の前に来てしまっている。

「おそらく悪い話ではないでしょうから、そう緊張しなくて大丈夫ですよ」

「・・・・・・わかりました」

 と返事をする。もちろん、署長に叱責されるようなことをした覚えはない。しかし、そういう問題ではないのだ。組織の長からの呼び出しに緊張するなというのは無理な話である。そんな考えを巡らせているうちに署長室の扉が開く。警部補の「失礼します」という掛け声に私も「失礼いたします」と続ける。

 札幌中央警察署長――巻波正まきなみただし

 階級は警視。警視庁本庁捜査一課にて数々の功績を残した人物。そして、私の横に並んでいる幡中さんとは警察学校時代の同期で、彼が敬語以外で接する数少ない友人の一人らしい。

「幡中、舞原君、急に呼び出して申し訳ない」

 机の上で手を組み、署長は言った。

「構わないよ。それにお前からの呼び出しが急じゃなかったことなんてないだろう」

 それもそうか、と署長は低い声を出した。先ほどまでの険しい表情からは打って変わって朗らかな表情を浮かべている。それに話には聞いていたが、実際に聞いてみると警部補のタメ口にも驚かされる。

「早速だが舞原君、君を本日付で異常犯罪対策室へ異動とする」

 署長の言葉に一瞬頭が真っ白になった。異動の二文字が耳の奥で繰り返し響き、私から思考を奪っていった。

 淡々と連絡事項を告げた署長に、まるで掴みかかるかのような勢いで詰め寄った。

「何を考えている。彼女はまだ配属されて二か月の新人だぞ!」

「落ち着け、幡中。お前が舞原君のことを気にかけているのは分かってる。しかし、これは決定事項なんだ」

「よりによってなぜ異常犯罪対策室なんだ!」

 異常犯罪対策室。噂で聞いたことがあった。警察組織内で設立されていながら防衛省直下の部署である異色の組織。犯罪発生率の高い関東や関西で設立されていると聞いていたが、北海道にも設立されるという事はやはり巷を騒がせている連続殺人事件が要因になっているんだろうか。

 約三か月前――正月が明けたばかりの一月十日に、事件は起きた。

 事件現場は北海道札幌市中央区にある一軒のガールズバー「ファム」。午前十時、従業員の飯塚果歩いいづかかほさんが忘れ物を取りに店舗へ戻ってきた際に、事務所で店長の藤倉正美ふじくらまさみさんの遺体を発見した。

 藤倉さんの死亡推定時刻は同日午前五時。衣服は一切身に着けておらず、手足を鋭利な刃物で切り落とされていた。さらに背中の皮膚が剝がされており、腹部には胸元から下腹部にかけて大きく切り裂かれ、広げられていた。そしてどういう訳か、右肩甲骨と子宮が欠損していた。

 そんな無惨で異常な事件現場の様子に、初動捜査にあった捜査員たちに、底知れない恐怖心を植え付けたのだという。

 すぐに管轄内で事件が発生した中央警察署に特別捜査本部が設置された。北海道警察本部、中央署の副所長、署長、各課の捜査員が集まり、本格的な操作が始まった。

 しかし、動員した人数ほどの進展は得られていなかった。というのも捜査が進めば進むほど、この事件の異常性が浮き彫りになっていったのだ。

 被害者の切断された両腕と右足の傷口には生活反応があった。つまり、両腕と右足が切断されたときはまだ生きていたということだ。さらに腹部の傷口からは被害者の者ではない指紋が検出されている。当初は犯人のものとして捜査が進められていたが、指紋の主が三年前に既に死亡していることが分かった。現場周辺の防犯カメラにも犯人らしい人物は移っておらず、被害者自身にもトラブルを抱えている人物はいなかった。

 事件発生から二か月が経過しても、捜査本部は犯人の手がかり一つ得られていなかった。

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次の更新予定

2024年12月18日 20:00

異常犯罪対策室・舞原氷雨 歪みのすゝめ 平良久楽 @T_kura0318

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