第二話

 時は半月前にさかのぼる――


 虎之介が住むマンションを出て左に曲がって大通りまで歩き、右に曲がってまっすぐ十数分行ったところに彼が通う大学がある。その道中、ちょうど五分歩いたあたりに和香草ワカクサ商店街がある。


 古きを知らない私にさえ、商店街の外見は廃れているなと思わされる。今にも閑古鳥の鳴く声が聞こえてきそうなほどに、だ。道行く人間どもも、都合の良い日除け程度にしか思っていないに違いない。


 そしてこの商店街の開くことのない鉄扉シャッターの列の中には、ポツンと一つ、異質な店構えがある。


「明らかにおかしいだろ……。」


 紫色の煙が吹き出している怪しい店舗。反対側の店にまで届こうとする煙の群れは、普通の人間には見えていない。その証拠に、自転車に乗った人間は煙の中を何食わぬ顔で走り抜けていった。


「本当に気持ち悪いな……。」


 私しかえないものがあることはよく理解しているつもりだが、やはり現象に直面するときはなんとも言えない恐怖心が煽られるのだ。


「おい、似非えせ占い師。いるんだろ、出てこい。」


 店内にも煙は漂っている。いいや、それどころか煙で充満していて、視界が埋め尽くされるほどだ。手の届く距離でさえ何も見えていない。


 張り詰めた空気に冷や汗が垂れて落ちたとき、左から気配がゆらりと近づいてきた。


「――!」


 堪らず蹴りを放ったが、まったく手応えがなく、私はバランスを崩して倒れてしまった。


 消えゆく煙の中、わざとらしい笑い声が聞こえてくる。


「ククク……。アンタ、まだまだ未熟だねぇ。いいや、むしろこの前手合わせしたときより実力が落ちてる。はーあぁ、まったく。宝の持ち腐れってのは、アンタみたいなのを言うんだよ?」


「黙れ、このチクショウめ……。」


 水晶玉の置かれた物々しい台座の後ろに平然と腰掛けている、その女は私にとって不倶戴天ともいえるかたき東間紫雲アズマシウンだ。


 彼女は床に伏せる私を、憎たらしい笑みを浮かべてサングラス越しに見下している。やけに美貌なのが、余計に腹立たしくて仕方がない。


「で? 記憶について、前回から少しは思い出せたことはあったのかい?」


「あったとしても、お前に教える義理はない。」


「ちょ〜っと意地悪しただけなのに根に持ちすぎでしょ、アンタ。ワシ、可愛くない子は嫌いだよ?」


 座席から立って私のもとに歩いてくるものだから、殺意を込めて彼女を睨んでやった。……のだが、意に介されてないようで容赦なく頬を指で突いてくる。


 あまりのしつこさに払い除けると、彼女は飼い犬に噛まれたような驚き顔をした。


 一発殴ってやりたい気分だが、そうも行かない。なぜなら、実力の上では私は彼女に大きく負けているから。そして下手に攻撃すれば倍以上で返ってくるだろう、と本能的に察してしまっている私がいるのも事実だ。


「さて、と……。アンタを呼んだのはこんなことをするためじゃないんだよ。このまま話しても変だし、座ってじっくり話そうじゃないか? えぇ?」


 逆らおうにも逆らえない。私はそのことを熟知しているがゆえに、彼女の言葉に従った。


 真ん中の台座に置かれた水晶玉を挟むように椅子に着く。正直、こうやって近づいて向かい合うことすら鳥肌ものだ。彼女に許されるなら飛んで逃げ出したい。


「それで、話って何だ?」


 それでも私は強がってみせる。負けていると思われてしまっている想像に、途轍もなく嫌悪感を抱いてしまったからだ。


 彼女は慣れた手付きで水晶玉をつかんで放り投げた。すると、空中で静止し、不可思議なことに独りでに後ろの戸棚へと戻っていく。それから入れ替わるようにして、別の戸棚から紙の束が彼女のもとに飛んできた。


 彼女はその紙の束を捕まえ、一瞥してから台座に叩きつけた。


「誰だ、この人間?」


 クリップで留められた写真には、どう見ても子供にしか見えない人間が映っている。服装から少しグレた印象を受けるその少年の名前は、灰原勇翔ハイバラユウト。予想通り十四歳、本当に子供ガキだ。


「今回の、だよ。」


 その単語で言い換える理由、その意味は何か。そう考えた途端、いつだったか忘れた虎之介と観た映画の内容が逆再生されてゆく。この手の単語を使うときは大抵――


 身体が強張っていくのが自分でも分かる。頭が真っ白になりそうになったが、寸でのところで踏み止まった。


「それはどういうことだ? チクショウが、私に何をさせる気なんだ⁈」


「まあまあ、アンタ、そんなに感情的になるなよ? 決して殺しとかじゃないから。しっかり説明するから気を休めろ。」


 そうすると、彼女は私の知らない世界について淡々と語り始めた。


 概要はこうだ――彼女は過去の事情いざこざによって警察組織の一員と関わりがあり、とある交渉をしていたようだ。交渉内容は、簡単にすると、警察側は彼女の履歴に関して一切干渉しない代わりに彼女側は警察からの『計画』に全面的に協力する、といったもの。つまりはていのいい代行者ということだ。


 そして今回の依頼内容はターゲットの保護。ターゲットを確保して警察に身柄を渡せば、それで依頼達成ミッションコンプリートだという。


「何もかもが胡散臭すぎる。それに私が干渉する必要性がないように聞こえるのだが? だって、依頼を受けたのはお前なんだろ? もしかして。」


「アンタに代理になって欲しいってことだよ。それに、悔し〜ことに、今回の件はワシよりアンタの方が合ってる。まぁ、適材適所ってやつだよ。」


「――断る。」


「ハーァ、そう言うと思った。」


 大袈裟なため息を吐きながら煙草を取り出す彼女を他所に、私は置かれた資料を読んでいく。


 やたらと詳細に記されている経歴にじゃっかんのおぞましさを感じつつも、文字を追いかけていくと奇妙なことに気がついた。


 灰原少年が不登校になり始めた十一月中旬から、この街――千歳せんざい町での放火と見られる事件件数が増加傾向にあるということ。


 まさかとは思ってしまうが、単なる偶然だろう。なにせ、少年とこのデータには直接的な因果関係がない。一見、相関があるように見えるだけのまやかしのようなことに等しいものだ。


 だがしかし、今回の少年を保護する依頼内容を考慮すると、辻褄が合わないところがある。事件と無関係である少年をなぜ確保しなければならないのか。


 ここまで読んでも、その証拠になるものや目撃情報は書かれていなかった。すると、この先のページにその関連する情報が書かれているということだろうか。


「おっと、そこから先のページは読ませないよ?」


 彼女はそう言うと、いつの間にか手にしていた資料の束を私から奪い取った。同時に煙を吹きかけられ、思わず目をつぶってしまう。


「なっ――」


「にしても、迂闊な子だね、アンタ。この資料には、ワシの調査内容と重要機密シークレットが書いてあるんだ。クク……いや、まあ? この資料自体が他人に見せられるものじゃないんだけどね? ククク……。」


「おい! それってまさか……!」


「あぁ、その通りだよ。アンタが本当に断るってんなら、アンタの存在を本気ですることになるね〜。さ〜て、何分楽しませてくれるんだい? クク、ククク……!」


 抜刀の構えをとる彼女の背後にオーラのようなものが立ち昇る。


 手元が台座に隠れて、見えないために何が来るかが予測できない。


 そうでなくとも、数多の攻撃手段を持つ彼女がどのような手段で襲ってくるかがまったく分からない。この状況下で私が選択肢を間違え、戦うことは敗北を意味する。


 ならばこの交渉は、初めから対等なものではない。脅迫して私に依頼を受けさせるための罠だった。私が彼女の提示した資料を手にした時点で、この交渉は一方的なものに変化してしまっていたのだ。


「……この、チクショウめが……!」


 自身の迂闊さに対する自責の念と、目の前の彼女に対する怨みの念とが入り混じって複雑な心境になる。


「ククク……それは肯定ってことだよね? 嬉しいよ、請け負ってくれて。」


 拳を強く握って堪えるが、殴る物がないのが残念だ。今のボルテージなら頭蓋骨も粉砕できるだろうに――!

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魔法使いの花園 〜もうヒトリの「私」〜 呉田葉 莉 @Komaneko-It

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