舌の顔

ふさふさしっぽ

本文

 ごめんね、心晴こはるちゃん。


 中学一年生のゆいは洗面所で歯を磨いていた。


 ごめんね。


 親友だった心晴がいじめを苦に自殺して、ひと月が過ぎた。

 来週四十九日をするらしい。

 母親が教えてくれた。心晴ちゃんのママから聞いたのだろう、と結は思った。


 四十九日など結の頭にはなかった。

 結は頭の中でずっと、親友の心晴に謝っていた。

 歯を磨くときでさえ、謝っていた。


 私があんなこと言わなければ。


『私別に、心晴ちゃんと友達とかじゃないし。だって心晴ちゃん暗いし、正直嫌いだったんだ』


 いじめっ子グループから心晴の味方でいるか、選択を迫られた。結は迷った。これ以上、いじめられている心晴の友達でいたら、自分までいじめられてしまう。それは、最悪な中学生活を意味していた。


 友情と自分の平穏な中学生活を天秤にかけ、結は自分をとった。

 いじめる側にまわった。

 を心晴に向けて吐いた。

 翌日、心晴は自宅で首を吊った。

 遺書はなく、いじめの事実は有耶無耶となり、いじめっ子たちは何事もなかったかのように過ごしている。


「ごめんね、心晴ちゃん」


 口をすすぎ、歯ブラシをしまい、あらためて鏡を見て、呟く。


「ごめんね、許して」


『許してあげる』


 自分の口が、ひとりでに動いて、声を発した。驚いた結は、はたと鏡を見つめる。

 今たしかに『許してあげる』と言ったのは、自分だ。

 信じられないものを見るかのように、見慣れた自分の顔を見つめ続けると、再び口が勝手に開く。


『許してあげる』

『許してあげる』

『許してあげる』

『許してあげる』

『許してあげる』

『許してあげる』

『許してあげる』

『許してあげる』

『許してあげる』

『許してあげる』

『許してあげる』

『許してあげる』


 止まらない。

 抑揚のない自分の声が、同じ言葉を繰り返す。

 半ばパニックになり、震える右手で勝手に動く口を抑えようとしたとき『許してあ』のところでようやくピタと一度止まり、


『許してあ、げぇーーーーーー』


げぇーーーー、とともに、舌が勝手に口から出てきた。限界まで伸びたその舌には、顔があった。

 

 細い一重瞼に、泣きぼくろ。


 心晴の顔だった。


 なにこれ、なにこれ、なにこれ。


 結は心の中で叫んだ。

 どうやっても自分の意志で声が出ない。

 舌を引っ込めようにも言うことを聞かない。

 気がつけば、鏡の中の自分は長く舌を出したまま、涙とともに、鼻水とよだれまで垂らしていた。


 心晴ちゃん。私を恨んでいるの? 裏切った私を。

 お願い許して。

 ああするしかなかったんだよう。

 許して。

 許して。

 許して。


 許して。


『許してあげるよ……結ちゃん……私たち、親友だもの……』


 舌が引っ込み、ぼそぼそと鏡の中の自分がしゃべりだす。心晴のしゃべり方で。


『今日から……私たち、ずっと……ずっと一緒だよ……』


 鏡の中の自分が、再び舌をべえ、と出した。

 心晴の細い目が、もっと細くなり、笑っているようだった。




終。



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