朝に告げる願い
黒本聖南
◆◆◆
サファイア・ヴィリアーズの朝は早い。
使用人が起こしに来る前に目覚めると、誰にも気付かれないように部屋を抜け出し、真っ直ぐに向かうは使用中の客室。一年前からそこで寝起きしている者を起こすのが、サファイアの朝の楽しみだ。
扉を開ける時も閉める時も静かにし、足音を殺してベッドに近付く。耳をすませば規則正しい寝息が聴こえてきた。
そっと、そっと、近付いて……ベッドの上に横たわる者の身体を勢い良く揺さぶった。
「ガーネット! 朝ですよー!」
「……ん? ああ」
ガーネットと呼ばれた者はすぐに目を覚ました。ぼんやりとした顔で辺りを見回し、サファイアの存在に気付くと、無表情でじっと彼を見つめる。
「……今朝も来たのか」
「僕の仕事ですからね!」
「本来は使用人の仕事だと思うが、まあ、ご苦労さん」
欠伸をしながらガーネットは上半身を起こし、胸元まである金糸の髪を乱暴に掻いた。
サファイアはベッドに乗り上げると、そのままガーネットに抱きつく。
「今日の朝食は何でしょうね?」
「パンと卵とスープだろうな」
「そうなんですけど! 何のパンか、何の卵料理か、何のスープか、という話をですね!」
「ああ……玉ねぎのスープがいいな。この家のは絶品だから」
「僕も好きです!」
サファイアの肩までの髪も美しい金色であり、ガーネットと揃いの深紅の瞳、整った顔立ちも似ていることから兄弟のようだが、実際には従兄弟だ。
諸事情で生家を離れ、サファイアの暮らす屋敷で日々を送ることになったガーネット。兄弟姉妹のいない、歳の近い知り合いもいないサファイアにとって、
拒まれないのをいいことに、暇さえあれば彼にくっついている。
「ガーネット、今日は何して遊びましょうか!」
「勉強は?」
「……しますよ、お昼まではちゃんとやります。その後は一緒に遊びましょうよ!」
「するならいいが、そうだな……」
「たまにはチェスで遊びませんか!」
「外遊び好きのサファイアにしては珍しいな」
「そういう気分なんですよ!」
「別にいいけど。……なあ、サファイア」
彼の名前を呼ぶ声に、ほんのりと熱が込められる。急な変化に肩を跳ねさせたサファイアを、ガーネットは少し笑った。
「なっ……何ですか!」
「いや、朝だからさ。喉、渇かないか?」
「……渇いてますけど」
「そうか、渇いているか」
言うなり、ガーネットはサファイアの身体をそっと退けて、自身の寝間着の襟を広げると、サファイアに見せる。
「……っ!」
「昨日はたくさん吸わせてくれたから、今日はお前が吸ってくれ」
サファイアの深紅の瞳はキラキラと輝き、ガーネットの晒された首筋から目を逸らせない。
ゆっくりと開いていくサファイアの口。その隙間からは、鋭く尖った牙が覗いていた。
サファイア・ヴィリアーズ。そしてガーネット・ヴィリアーズ。共に吸血鬼だ。
本来であれば、人間なり、野生動物なりの血を好んで吸うものだが、吸血鬼同士での吸血も普通に行われる。
親愛の行動として、服従の証として、あるいは──求愛の行為として。
「……きっ!」
「き?」
一言発すると、サファイアはガーネットの腕を取り、
「今日は、こちらから頂きます!」
手首に勢い良く噛みついた。
ガーネットは苦笑しながら受け入れ、空いた手で、サファイアの金色の髪を優しく撫でていった。
彼と彼の吸血行為は、共に過ごすようになってすぐ、サファイアの方から始めた。
『ガーネットからは美味しそうなにおいがします』
サファイアとしては冗談で言ったこと。だが、ガーネットは手首を見せつけ、吸ってもいいと言った。迷いながらも飲んだ血は非常に美味しく、お礼にとサファイアも自身の血をガーネットに飲ませる。
とても美味しかったと告げたガーネットの顔が、あまりにも優しかったものだから、サファイアは余計に歳上の従兄に夢中になった。
他の家族の目を盗み、何度も何度も互いの血を飲んでいく。
最初こそ手首から飲んでいたが、次第に首へと牙を突き立てるようになり、終わった後に見つめ合う回数が自然と増えてきた。
『……』
『……っ!』
サファイアはまだ、おぼこい子供だ。ガーネットの傍にいる時、ふいに、胸の鼓動が高鳴り、頭の奥が熱くなろうと、そこから何か行動を起こしたりはしなかった。
ガーネットから何かをすることもない。彼がすることといえば、サファイアの頭を撫でること。その瞬間はサファイアにとって、何よりの幸福だった。
「……ガーネット」
ガーネットの手首から顔を離すサファイア。そのタイミングで、ガーネットの手が頭から離れていく。触れられていた箇所から急速に消えていく熱に、少しばかりの淋しさを覚え、サファイアは再びガーネットに抱きついた。
「どこにも行かないでください。ずっと僕と暮らしましょう」
「……」
彼がサファイアの元に来て、一年。
しばらくの間、一緒に暮らすことになると言われて、一年。
その『しばらく』はいつまでのことを言うのか。『しばらく』が終われば、ガーネットはサファイアの前からいなくなってしまうのか。
そんなこと、考えることすら、嫌だった。
「……そうだな、暮らせたらいいな」
サファイアの頭を再び撫でながら、ガーネットは静かな調子で告げる。
「一時的に避難するつもりだったのに、この場所は、離れがたい」
何度も何度も、頭を撫でる。
「離れないでください」
「……ああ」
抱き締める力を強めていくサファイア。そうすればガーネットはどこにも行かないのだとばかりに、強く、強く。それは、ガーネットにも伝わっている。
サファイアがもういいと言うまで、ガーネットはずっと、頭を撫で続けた。
朝に告げる願い 黒本聖南 @black_book
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