おまけ 初スタジオ前の小噺
目的の音楽スタジオは賑やかな通りにあった。
休日の午後、通りには様々な人々がいて、付近にある各楽器店なんかに足を運び、ある人物は今し方手に入れたであろう楽器を担ぎ、とある少年はディスプレイ越しに憧れの楽器を眺め、表示されている価格に苦悶の顔をつくる。
一般的に楽器の聖地として親しまれる地域だったが、僕はそんな華やかな通りの様子を新鮮な顔で見つつ、目的の場所を確認し、少々迷いながらもなんとか到着した。
「いようアキラぁ、迷子にならなかったかよ?」
「サイコ! もう着いてたの? 早いね」
「まあね。少し気になる竿があったから、そっちを見に行ってたりさ」
スタジオの休憩スペースには既にサイコの姿があった。
彼女は適当な仕草で手を振り、僕は彼女に駆け寄ると挨拶を交わす。
「気になる竿? じゃあ、何か新しいベースでも買うの?」
「いんや、試奏してきたけど思ってた感じと少し違っててね、今回は見送りだぁね」
缶ジュースを片手に彼女は呟く。
少々残念そうな表情で、しかしてその内心や表情の理由もよく分かるから、僕は「残念だったね」とだけ言葉を返した。
「サイコはその五弦がメインなんだよね? サブとかあるの?」
「サブっつーか、まあ何本かはね。そういうアキラは? いつもそのデュオジェットしか見んけども」
「あるにはあるけど、僕の手元にあるのはジャンク品をモディファイしたやつくらいだよ」
「へぇ、モディファイ? やっぱり見かけによらんねぇ……弄繰り回すのも得意なん?」
元々は姉から無理矢理に押し付けられたことだ、と口にしかけて留める。
「得意っていうか、趣味かな? このジェット改も中身は全く違うよ」
「ああ、どーりでねぇ……普通、グレッチって古臭い音するし、ピックアップのパワーも低いし、音の煌びやかさは別にしても現代ロックシーンにゃ不向きだってのに、アキラのジェットはまるで現代ギターの音がするから、不思議だったんよね」
サイコのいったことは確かなことだ。
その時代のロックシーンにおけるギターやベースには流行りというか、その時代に適したギターが確実にある。
というか、簡単にいってしまえばその時代に作られたギターやベースこそがその時代に最も適しているといった方が早いだろう。
今時では八十年代や九十年代に製造された楽器ですらミドルヴィンテージと称されるけれども、今や科学的にも工業的にも遥かな進歩を果たした時代に、過去の世代で名を馳せた名器が通用するか否か。
「通じるよね。というかその時代の音って現代じゃ完全に再現出来ないし、古臭い音と
「んだんだ。今時は竿一本で全てを賄えるくらいに機能的な楽器が当たり前で、それが前提にすらなり得てるけどさ、その分、音の説得力は不思議と薄まってんだよね。あれは何でだろうね?」
「そうだね。どう考えても技術や物の質は過去と比肩すれば圧倒的というか、比べ物にならないくらい現代の方が優れているのにね。それでも過去の楽器がイナタイと揶揄されつつも親しまれ愛されるのは、勿論愛着や憧れなんかもあるかもだけど……」
サイコの疑問に僕は頷きつつ、一般的な解釈や知識を交えつつ答える。
「例えばギターやベースを構成する木材の状態なんかは顕著だとされているね。最早半世紀にも迫るくらいに時を経た竿は木材が安定した状態になったと呼べるらしいよ。木材って死なないんだ。ずっと生きてるんだよ。ネックは動くし指板だって変形するでしょ?」
「ああ、所謂はネジレとか、指板の痩せか。あれってカルトじゃないん?」
「いやいやカルトじゃないよ! 建造物の方がもっと身近で分かり易いかな? 家鳴りなんかが顕著だけど、あれって日中に木材が膨張して、熱の引く夜半に痩せるから起こる現象なんだって。つまりね、伐採されたり成形されたり、原型と程遠くなっても木材は生き続けているんだ」
「てことは死なねーの? 木材ヤバくね?」
「ところがどっこい、約七十年程度で木材は完全に安定するんだ。水や油分の含有量もほぼほぼなくなる、というか安定する。ここまでくると痩せてしまって、例えばネック痩せと呼ばれる現象のように、ネックポケットから数ミリレベルの隙間が出来たりしちゃうんだけど、それでも音の質感は素晴らしいんだ」
「ミリレベルだぁ? それ糞程にダメじゃねーの?」
「そうでもないよ、実はラフな方がいいこともあるんだ。というかラフな方がいいのかもね。精度重視でギチギチに組まれたギターって、結構、弾いて気持ちよくないこともあるし」
「ふぅん、そんなもんなんかねぇ。ちなみにグレッチは精度や作り込みがうんこだってよくいわれるけど、実際はどうなのよさ?」
「……あはは」
「……成程ねぇ。高価なブランドだってのに、その苦笑いを見たらこっちが笑えねえわ」
現代ギターと前世代のギターの差は、一番簡単にいえば操作性や機能性の差だろうと思う。
今時は多くのギターがハムバッカーを搭載するし、それをコイルタップしてシングルコイルに近い音を出すことも可能で、この機能は大体のギターに備わっている。
また、ハイパワー化も顕著で、ピックアップの能力は大きく飛躍したといえる。
だが音の差だ。これは非常に大きい。
現代ギターの方が確かに操作性も機能性も上だし、音の作りも楽な部類だし、過去に名を馳せた名器の数々とは比肩するまでもなく取り扱いが楽だ。
それでも、音の輪郭や存在感、もっというと圧力の差が大きい。
作り込みも精度も遥かに現代ギターの方が上だし、音の質だって上回っているのが当然なのに、差は圧倒的とも呼べるくらいに歴然だ。
それをイナタイと称することも出来る。
存在感がありすぎて逆に邪魔だとも取れる。
または、クリーントーンやクランチサウンドは極上なのに、歪ませると使い物にならないくらいパワー不足だったりもするし、やはり一本のギターでは完結出来ない仕組みが前提にあり、複数本のギターを所持しなければ表現の幅が減るとも呼べる。
あまりにも尖っている、と呼べる。
それが古い時代の、前世代のギターな訳だが、それらを統合して断言出来るのは〈使い勝手も機能性も限定的だが、そのギターでしか出せない音〉がある、ということだ。
無視できない要因のうちには個体差なんかもあり、以前にもいったように魔が宿るような不可思議なギターだってある。
現代ギターにはこういった個体差だとか意味不明なギターは少ないが、過去に製造された楽器にはそういった奇跡が複数あったりもする。
全ては眉唾かもしれないし、そういった差なんてものは聴衆からして「何が違うのか分からない」といわれることが
「古い時代の電子機器は糞だし木材の加工精度も糞で、ラフと呼ぶことも無理があるような竿があるってのに、音の質感は古い物の方がいいって?」
「そこは好みだと思う。ぶっちゃけていえば聴く方は差なんて分からないし、見た目程度でしか判断は出来ないと思うしね」
「そうすっとアキラは現代ギターの音が好みな訳だろ? じゃなきゃジェットの中身を弄繰り回すだとか、酷い矛盾だしなぁ」
「そうだね、仮に音の質感が過去に劣るといわれても、それでも操作性や機能性、他に雑味と呼ばれるような〈味〉等の個体差を天秤にかけても、現代ギターの方が僕はいいと思えるよ。トラブルも減るし、仮に故障したとして、じゃあ当時のパーツが現存するのかといえば、それもまた難しいし、お金が凄くかかるもん」
「すげえリアリストっつーか、現場第一な考えだねぇ……とはいえ、んじゃあ最大の矛盾点があるけどさ」
サイコは僕のジェット改が眠るケースを指差す。
「なんでそいつなん? 現代ギター買えばよくね? わざわざ中身弄繰り回すのも手間だろうし、仮にそっちの方が安く済むとしても、機体自体は過去の造りだし、すげえ遠回りしてるっつーか、アキラの哲学に反してるんじゃねえの?」
彼女の疑問に「そう思うのは当然だろうな」と僕は思う。
まったくもってサイコのいう通りだ。
僕自身、音の質よりも操作性や機能性の方が重要だと思っているし、自由度なんてものはそれこそ比較にならないくらい現代に作られたギターの方が優れている。
機能重視、性能重視だと僕はいいつつ、では何故にポッドやコンデンサ、ピックアップ等を交換してまでジェット改に拘るのか、何故に現代ギターを買わないのか。
ところがこれの理由は実にシンプルであり、滅茶苦茶に分かり易いものだった。
「だって、その……ジェット、格好いいでしょ?」
「……はぁ?」
「だからっ。だから……こんなにも格好いいギターを、メインにしない理由なんてないでしょっ」
それだけだ。
たったそれだけの理由で僕はジェット改をメイン機にしている。
どれだけ御託を並べ
大前提として、自分が使いたい得物や相棒というのは、自分にとって唯一無二であり、替えのきかないような、そんな物の筈だ。
確かに姉から譲り受けたということもあるし、故に愛着があるとも呼べる。
だがそんな経緯だとかよりも何よりも、大切なことは――格好いいかどうかだ。
「そりゃ弾き難いよ、チャンバード構造なんてボディ内部に空洞を作ったお陰でハウリング発生しやすいし、元のピックアップはローパワーで使い勝手は悪いし、それこそ褒められるのは音の煌びやかさとルックスくらいだよっ。けどこれがいいんだもん、格好いいし、ジェットの他にジェットはないんだから、僕はジェットがいいのっ」
一般的にグレッチは〈世界で一番美しいギター〉を作ることで知られているし、その古めかしいデザインやルックスというのはどの時代にあっても注目を集める。
ただ、じゃあ見かけだけなのかといわれたらそうでもない。
やはり独特な設計もあり、曰くは〈エアー感〉と呼ばれる弾き心地や音の特徴はグレッチならではだ。
だが作り込みや物の質は、正直、大した程度とは呼べないし、価格の面で見ればぼったくりだとも呼べる。
結構、多くの憧れを寄せられるメーカーだけれども、見掛け倒しだと馬鹿にする人々だって多くある。
それでも僕はジェット改がいい。
優美で美しいグレッチ特有のソリッドブラックに、傷塗れで歴戦の
「いっひっひ……なんだぁ、結構知識自慢だとかテック思考かと思えば、最大の理由が格好いいかどうか、かよ?」
「べ、別に変じゃないでしょ! そもそも外観が一番重要でしょ、自分の思う格好いい相棒をメインにしたいでしょ!」
「弾き難いのに?」
「うん!」
「不要な構造なのに?」
「うん!」
「だーっはっはっは! まんまガキみてえなこといいやがる……ぎゃはは!」
(古い時代のギターが持つ説得力は、組み込みとか精度じゃなくて、木材そのものにあるとしかいえないんだよね)
現代ギターがどうしても過去のギターを再現できない理由があるとすれば、もう、そこにしかない。
古い時代のポッドやコンデンサ等の抵抗、またはピックアップ等の装備。
それらは探せば必ず見つかる。金と手間はかかるが手に入る。
だがこればかりは、この事実ばかりはどうしようもない。
古く、そして〈偽りなく確かな銘を持つ木材〉により製造され、かつ、過去に幾人もの人々の手元を経て使い込まれた楽器は、どうやったって作ることが出来ない。
だから僕はジェットを弄繰り回した。
姉が使用する以前から様々な人を経由し使い込まれたこのジェットは、中身さえ換えれば現代でも十分に通用するし、独自の個性を発揮できる筈だと信じた。
そしてその独自性――古い身体に現代の内臓を持つ矛盾したギターならば、或いは、姉のような化け物を相手にしても渡り合える筈だと信じた。
何せ彼女は化け物だが、その手の内には魔が宿るペンギンがある。
ジェットと全く同じ構造なのに当たり前のように深く歪み、現代ロックシーンでも十分に通用する、どころか牽引する程の説得力を持つ音を生み出す。
「あ? なんだお前ら、随分早いな。まだ二十分前だってのに、もう到着してたのかよ?」
「虎徹先輩! 先日ぶりです!」
「おいテツコぉ、やっぱアキラおもれーぜ! 何でこいつがジェット使ってるか分かるかぁ? なぁなぁ?」
「ちょっと馬鹿にしないでよ、サイコ!」
「いや、それこそ姉貴が使ってたからじゃねえのか?」
「それがさ、別に理由があんのよさ、ぷくくっ!」
ではそれに追い縋ることは果たして本当に可能なのか否か。
姉から譲り受けたジェット改は元の主と魔の宿るペンギンを相手に音で敵うか否か。
敵う筈だ。そして聴衆を納得させることが出来る筈だ。
それの確証を得る為にも、僕は揃ったバンドメンバーを見つめ、初の音出しに血が滾るのを実感した。
青の時雨に泣きやがれ タチバナ シズカ @tatate
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