何であっても切る時期は考えるように

いすじお

何であっても切る時期は考えるように

こんなことはどうでもいいのです。くだらないことはいつか誰も話さなくなって忘れますよね。なんでもない人は時代に溺れたまま行方知らずになればいいのです。


 


賢いというのは、ただ学問に優れているということだけではなくて、物を見る目が良いことも賢いということのようだ。

 私はもうすぐ死ぬ長生きの鳥である。まだ日が長いときに、この国に来る途中に迷ったところで、数日間暮らした田舎があった。そこにいた京から越してきたという人の言葉を聞いたよ。どうやら、京に賢明なお方がいると。時代のものの真価が分かるようだと。

 さて、私は今年の冬は越えられないであろうから、寒くなる前に愉しいことをしてやろうと、早速ひとりで京まで飛んでいった。

 日が短くなった京はどこも外面は栄えていたけれど、噂話に耳を貸すと貧乏人から貴族までちょっとした病が流行っているそうだ。適当な枝の先で辺りを見回すと、不安そうに身体を縮めて歩く人のなんと多いこと。話を聞くに、すぐに死ぬ病ではないようなのに。ではどうしてこんなにみんなが不安なのだろうね、病以外にもなにかあるのだろうか。私の知るところではないけれどね。


 白い空を見上げ、もうすぐ雨が降りそうだなと大きな木の下にとまることにした。枝を切る時期を間違えただろう柿の木だ。実がならないのは良くないが、葉が多いから雨は防げる。私の身体はもう長く持たないから、雨で冷えるのも避けたい。

 明日から、賢明な方を探そうと、今日はもう寝てしまうことにした。


 どうやったら賢明な方に出会えるかなと思ったのだが、寒い朝に死にかけていたら一つ思いついたよ。仏のふりをするのはどうだろうか。

 仏というのがどういうものか知らないが、化けるのは昔から好きだったからできるだろう。なんとなく、輝いていて……、うん、なんだか輝いていれば仏のようではないか。ほんとうは、私は物の真価も賢い人も興味がないのだ。田舎の人の言葉通りの人なのか、ずっと続く暗い雲と寒い雨と、平凡な病となんだか不安な人々を牛耳っているヤツがどんなヤツなのか、死ぬ前にこの目で見てからかってやろうと思うだけだ。私は学のないただの鳥なので賢明な人と馬鹿だったら、馬鹿の方が面白いからそっちがいいと思うよ。


 陽が差すと同時に、小綺麗な人形(ひとがた)になってみた。神々しいというのは、本当は極めて質素なことかもしれないけれど、今は馬鹿を集めればいいから本当の神々しさは必要がないね。不安な雲で暗く覆いつくされた場所を簡単に明るくすれば、それは馬鹿にとって拝む対象になるだろうから。

 雨を簡単に花にして降らして、辺りはずっと暗いからちょっと照らせばそれだけで眩しくなる。野次馬に傘をさしてもらって飯も貰って、そろそろ一週間が経った。賢明な方にも届くだろうよと、命尽き果てそうな体を揺らして、反対に愉しい心は躍らせていたら、遂にたいそうご立派なお方がのこのこやって来たよ。

 光の大臣という人のようだ。天皇の子だそうで、ふんぞりかえってら。

 私はそいつを一目見るだけで良かったのに、そいつは私のことをずっと見たままだ。奇妙なくらいであった。大臣というならその役をしに戻ってほしいくらいであった。

 長いこと見られたら、化けは剥がれるに決まっている。こちらはただの老いぼれの鳥だからね。

 化けが剥がれて、柿の木の下の泥に落ちると、野次馬の子供が私の身体を容赦なく潰した。泥を沢山飲んで苦しかったが、最後に瞼を少し開けると、そこには自慢げに笑う光の大臣がいたよ。


 そういえば、田舎のあの人は、梅の木の剪定を慎重にしながら、老いぼれ痩せ鳥の明日の身も知れぬ私を優しく撫でてくれたなあ。

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