第2話 ChristmasとXmas
「お疲れ様でした。ハジメくん、本当に助かったわ」
俺はクタクタになりながら店のシャッターを閉める。予約注文分のケーキが無くなったところで本日の業務は終了である。なんでもドイツで修行していた叔父さんによると向こうでは、12月24日は昼過ぎには店を閉めてしまうそうで、25日と26日は休みにして家族や親戚でクリスマスを祝うらしい。で、それを真似ているのだとか。まあ昼過ぎというのは流石に難しく、今は夕方の5時。俺としてもイブの夜にバイトというのも切ないので助かるのだけども。
そう言えば叔母さん夫婦はそのあたりでよくウチに遊びに来てるな。母さんと三人で昼間っから酒盛りしてたり……。ちなみに父さん、ウチのサンタは、本物のサンタ同様、クリスマスはほぼ仕事で家にいない。子どもの頃、俺の枕元にプレゼントを置く係は母さんの担当であった。
「じゃあ、そこのケーキ持っていってね。それとお義姉さんに明日遊びに行くからって伝えといて。えっと、お兄ちゃんは今年も仕事よね」
「ええ、父さんはいつも通り残念そうな顔してました」
「まあ、仕事大好き人間だからいいか」
父さんは親戚の中でも働き者のいい人で通っている。俺としてはそんな仕事人間にはなりたくないと心から思っている。そんなに多くはなくてもいいから、最低限のお休みは欲しいのだ。でも、父さんって何してるんだ? 市役所勤めのはずだけど、土日祝働きに出ている気がする。怪しい……。まあ、悪いことをするような人じゃないし、母さんもそのことについて何にも言わないってことは、何も問題はないのだろう。実は本物のサンタの仕事してたりしたら笑える。
そんなアホな想像をしながら、奥の叔父さんに挨拶して、叔母さんの店を出る。
「さみいな。雪が降るかもだっけか」
俺は真っ赤な衣装のサンタクロースから、黒のダウンジャケットにジーパンというふつうの高校生に戻れた開放感に浸りながら寒空の商店街に出た。
あれ? 気のせいか……。まあ、そうだよな。
「ちょ、ちょっと。素通りというのはおかしいのではないかしら?」
振り返ると電柱の横に立っていたのは、勘解由大路沙也加、その人だった。さっき店で見た軽装ではなく、がっちり膝まである黒のダウンジャケットを着込んで、手には缶コーヒーを握っている。あの肩のロゴは、MONCLERか。母さんがため息まじりに見ていた雑誌にあったから知ってる。二、三十万するやつだろ。缶コーヒーは俺の好きな庶民の飲むやつで安心する。たぶん高級缶コーヒーってないけどさ。
「ど、どうしたの? 家に帰ったと思ったんだけど。まさか、ケーキに何かあった!?」
「ち、違うわよ。あなたの叔母さんのお店のケーキに何かあるはずがないじゃないの。私は……、そう、私はたまたま通りがかっただけよ。そう、たまたま」
たまたまにしてはアレだけど……。まあ、何かしらの用事があったのだろう。上流階級の人たちの生態や行動というのは、小市民の俺には推し量れない何かがあるのだろう。
「なるほど。じゃあ、寒いから風邪引かないようにね」
「だから、もう!」
俺がそのまま帰ろうとすると、彼女に服を掴まれて引き止められた。
「えっ?」
「女の子がこんなクリスマス・イブの寒空の下、ひとり寂しそうに立っているというのに、あなたはそれを放置して立ち去ろうというわけ? それは人としてどうなのかしら?」
「は、はい?」
おいおい、さっきのパーフェクトイケメンはどこに行った?
「行くわよ!」
「は、はい……」
何がなんだか分からないまま、俺は沙也加さまに合わせて歩き出す。
「森くん、いいえ、はじめくん……。あなた、クリスマスの表記にはCで始まるChristmasと、Xで始まるXmasがあるのだけど、その違いは分かるかしら?」
めっちゃ、クリスマスの発音が良いのは、たしか彼女が帰国子女かなんかだからだったか。とは言え、そういえば二種類あるなと思ってみる。
「い、いや。分からないです」
「はあ……、これだから日本の若者というのは……」
どうした勘解由大路沙也加、言動が急に年寄り臭くなったぞ!
「いいかしら、はじめくん。Christがキリストを、masが祭礼とか祝祭日を意味するの。だから合わせてキリストの降誕祭、つまりイエス・キリストの誕生をお祝いする日ということね。それで、もともと新約聖書というのはコイネーと呼ばれる古いギリシア語で書かれていたと言われているわ。ギリシア語でΧριστος……」
「ん? クリ……」
「ちょ、ちょっと今変なこと言わなかったかしら? 日本語っぽく発音するとクリストスよ。いい、クリストスだからね!」
なぜか沙也加さまは顔を真っ赤にしてそういう。
「う、うん。分かった。クリストスだね」
「そう。その頭文字の『X』をとってXmasのほうの表記もあるのよ。ちなみにXとmasの間にアポストロフィーを入れる表記は間違いだとされるわ」
「へっ、知らなかった。俺カッコイイからって中学生のとき、そっちで書いてたし……」
「カッコイイからって、本当にこれだから……。でも、海外では『X』のほうのXmasもあまり使われなくなってきているの。数学でもxは未知数でしょ、そんなニュアンスの一文字でイエス・キリストを表すことはけしからん、って感じかしら」
「ほ、ほう」
沙也加さまって物知りなんだなと俺は素直に感心する。
「あっ、見えてきたわ」
何だろう? 商店街の先に公園に隣接する広場が賑やかだ。
「あれは何やってるの?」
「クリスマスマーケットね」
「クリスマスマーケット?」
「そう、私が中学生のころ生活していたドイツではふつうにあったわね。クリスマスを迎えるのに必要なもの、飾りやプレゼント、人形、お菓子を売る屋台が並ぶの。教会の少年合唱団のコンサートだとかクリスマス演奏会が開かれていたわ。日本でもこうやって楽しめるイベントになってきているのよ」
「へえ」
勘解由大路沙也加のクリスマス 卯月二一 @uduki21uduki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。勘解由大路沙也加のクリスマスの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます