夕暮れの鉄塔で

川崎燈

第1話

 僕はこの町で独りぼっちだった。放課後に友達と遊ぶようなことも、家に帰ってお父さんやお母さんと一緒に食事をするようなこともなかった。でも、特別それを寂しいだとか思ったりはしなかった。一人で遊具や木登りで遊び、夕暮れ時には町の鉄塔に登って町の景色を眺める。僕にとって、それが幸せあり日常であり、すべてだったから。


 そんな僕に、ある日声を掛けてくれた女の子がいた。エリちゃんという名前の女の子だった。最近になってこの町に引っ越してきたそうで、鉄塔から町を眺める僕をたまたま学校の帰りに見つけたんだそうだ。声を掛けられたとはいえ、人と話すことはどうにも気が進まなかった。だから最初は気付かないふりをしていたのだけれども、彼女はそんなことはお構いなしに僕に喋りかけてきた。しばらくどうすればいいのか分からずにいたけれど、彼女の屈託のない笑顔と明るさの前に折れ、彼女に鉄塔のはしごを登ってきてもらうようにお願いをした。


 久しぶりにきちんと人と話すのなんて久しぶりだった。だから会話の途中に噛むし、言葉に詰まることも何回かあった。そんな僕を見て彼女はフフっと可愛らしい笑みを浮かべて見せた。そして、その度に僕は心を動かされていた。会話の内容はちゃんとは覚えていないけど、僕にとって凄く楽しい時間であったのはよく覚えている。


 それから、エリちゃんは週に2,3回僕に会いに来てくれた。会うのは決まって、この夕暮れ時の鉄塔の上だ。彼女は会うたびに色んなことを話してくれた。引っ越しで不安だった時のこと、この町の中学校で新しくできた友達のこと、部活動に入って大変だけど楽しいっていうこと。他にも、家族のこととか引っ越す前のこととか、いっぱい僕に話してくれた。そんな彼女の話を聞くたびに、僕は、彼女が色んな人に愛されているんだと感じていた。それはとても素敵なことで、尊ぶべきことで、それで、僕にはないものだった。


 ある日、僕は彼女に尋ねた。君はどうして色んな人に愛されているのかと。何か、君にしかできないこととか、特別なことがあるんじゃないか、と。彼女は困惑しながら僕に言った。「特別なことなんてない、愛されるのにも愛するにも理由なんてない」、と。僕は、その言葉がよくわからなかった。


 それからも鉄塔の上で何回か彼女と会話をした。でも、気づけばどんどん彼女がこの鉄塔に足を運ぶ回数は減っていった。会った時にその理由を聞くこともできたが、聞けなかった。会うたびに幸せそうにしている彼女の顔を見て、聞けなかった。そして、会えない時間が増える中で、ふつふつと自分の中で別の感情が沸き立ってくるのを感じていた。


 彼女の中学校へ行った。幸せそうだった。彼女の帰り道、友達と帰る彼女の姿を見た。楽しそうだった。彼女の家に行った。愛されていた。愛されていた。愛されていた。でも、そこに僕はいなかった。


 エリちゃんが暫くぶりに鉄塔へと来た。鉄塔に来ることが出来ていなかったことを彼女は謝っていたが、僕にはもうそれはどうでもよかった。一言、彼女に僕は話した。


「君になりたい。」


 エリちゃんは首をかしげていた。彼女が聞き返そうと口を開いたが、その前に僕は言葉をつづけた。


「君が来なくなってから、僕は君のことを見続けた。学校に行っている時も、エリちゃんが家族と出かけて町のショッピングモールへ行った時も、友達と一緒にカラオケへ行っていた時も、お風呂に入っている時も、寝ている時も、起きた時も、ご飯を食べている時も、歩いている時も、僕と、こうして話している時さえも。

エリちゃんが僕に会うのは暫くぶりだったのかもしれない、でも、僕は君を見ていた。ずっと。」


 エリちゃんの表情が露骨に変わっていく。笑顔はなく、ただただ青ざめ、怯えている、いわゆる恐怖の感情だけがそこ残っていた。ああ、君は恐怖を覚えるとそういう表情をするんだね。それもまた、愛されるための表情なのだろうね。ありがとう。

エリちゃんは慌てた様子で鉄塔から離れようと鉄塔のはしごに手をかける。今まさにはしごを下り始めようとするそんな彼女を見ながら一言、僕は話す。


「ありがとう、“私”に愛を教えてくれて。」


 エリちゃんのはしごをつかんでいた右手を思い切り蹴る。辛うじて左手でまだはしごをつかんでいたが、今度はその左手を蹴り上げる。そのまま、彼女は地上へと落下していく。そして、グシャリ、と嫌な音とともに地面には鮮血が飛び散る。


 私はゆっくりと鉄塔から下り、エリちゃんだったものの前に立つ。そして、鉄塔を後にした。


「エリ、帰りが遅いじゃない。心配しちゃったわよ。今日部活はないでしょ?」


 私が家へと帰ると、ママがそう話す。時間としてももう19時ごろだったので無理もない。


「ごめんママ、友達とファミレスで勉強してたら遅くなっちゃって……」

「ちゃんと早く帰ってきなさいね、ご飯はいる?」

「ううん、食べてきたから大丈夫。」


 「そう。じゃあさっさとお風呂入りなさい」と、ママは言う。そして、ママはそのままリビングへと戻る。そして、玄関を振り返り私は微笑しながら、こうつぶやく。


「ただいま。」

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夕暮れの鉄塔で 川崎燈 @akarikawasaki

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