陽はまた昇る
1
タオのお母さんが作ってくれた愛情と栄養たっぷりの夕食で、ナーナは彼の家族とともに賑やかな食卓を囲んだ。
食事を終えると、村で採れた葉を乾燥させて作ったお茶を味わいながら、タオがナーナに言った。
「ねぇ、ナーナ。明日僕の友達とみんなで魚釣りに行こうよ。ナーナが綺麗にしてくれたあの湖。僕いちばんでっかいのをナーナに食べさせたいんだ。」
「えっ、あ…」
返事に困っているナーナを見て、タオの父が間に入った。
「タオ。ナーナさんは大きな事を成された後で疲れてるんだ。少し休ませてあげなさい」
「えーっ。僕も大きな事をして来たよ」
タオは食事の時に自分がどれほど活躍してきたかを家族に話して聞かせたのだ。
「そりゃあ立派だった。お父さんもお前が誇らしい。だけど疲れては居るはずだ」
「ぜーんぜん大丈夫だってば!もう今からでも釣りに行けちゃうくらい」
今度はタオの母がたしなめる。
「そりゃあお前は元気だろうよ。なんたって風邪の時も平気で外を走り回ってるくらいだからね。
だけどナーナさんは女性。それに慣れない村や町を巡り歩いたんだもの。みんなを救うために。お前も早く大人になりたいなら、女性を気遣う優しさがなきゃ。魚釣りは友達と行っといで。母さんお昼を持たせてあげるから」
大人と聞いてタオは渋々うなずいた。
「わかったよ。明日は予定通り友達みんなと行ってくる。みんなの分の釣り竿も新しくこしらえたんだ」
タオは誇らしげに部屋に立てかけてある数本の釣り竿を見て言った。
「さ、そういう事でナーナさん。今夜は食事の時間をご一緒していただいて、ありがとうございました。どうぞお家でゆっくり休まれて下さい」
「ありがとうございます。タオ、ごめんね」
「大丈夫大丈夫!でっかいの釣ってくるから楽しみにしててね!」
うん、とうなずいてナーナはタオの家を後にした。
なんで悲しそうな目をしてるんだろうと、この時のタオはその訳を知らなかった。
2
翌朝、まだ空が白み始めたばかりの時間にナーナは家を出た。
(会えばお前もみんなも辛くなる。誰にも
知られず、夜明けにそっとお行きなさい)
ヴァサマに言われた様に、誰にも会わずに丘の上の小屋を目指した。
小道を歩きながら、もう一度村を振り返る。
未練を残してはいけない。この場所は、きっと素晴らしい世界になる。私が居なくなっても、私が見ていなくても、この朝日は世界を明るく照らし続けてくれる。
ナーナはもう振り返らずに丘の上にある草原に向かって歩いた。歩きながら何度も涙が出そうになる。
これでいいんだ。これでいいんだよね。
救世の神様の力を頼らなくても、人々は自分
たちの力でこれから幸せな世界を創っていけ
る。私は、そう信じる。
ううん、きっとそうなれる。
草原にはそよ風が吹き、自分が初めて見た時と何も変わらない。まるでここだけが、切り抜かれた別世界のようだった。
小屋に入って待とうかそれともここでいいのだろうかと考えていた時、「ナーナ!」と呼ぶ声がした。
彼女は、ゆっくりと振り返る。
そこに、汗だくになって肩で息をするタオの姿があった。
「タオ…」
ごめんね。ごめんなさい。黙って出て来てし
まって。
ナーナはタオが怒るのが目に見えた。
だが彼はゆっくりと近づき、何も言わずに彼女を抱きしめた。
「タオ…!」
ナーナもたまらなくなって小さな少年を抱きしめる。
少年は怒らず、恨み言もいわず、静かに言った。
「……タオって名前はね。大昔の言葉で「あさがお」って意味なんだって。僕が笑顔で朝を迎えれる様に、父さんと母さんが付けてくれた名前なんだ…」
「あさがお……。タオ、素敵な名前ね…」
「僕はナーナの事を忘れない。ずっとずうっと忘れないよ。もしいつか、ナーナがあさがおを、元気なあさがおを見て笑顔になれたら」
タオはグスッと涙を堪えた。
「僕はどんなに離れていても、それが一番嬉しい」
ナーナももう、涙を堪えては居られなかった。
ごめんなさい。ごめんなさい、タオ。
「ナーナ、笑って。笑ってよ。僕はナーナの笑った顔が大好きだよ」
ナーナは涙を拭いて、タオの大好きな優しい笑顔を彼に向けた。
白いもやが、草原に立ち込める。
それはひと所に集まり、やがて老人の姿に形を変えた。
【 迎えに参った 】
声ではなく、想念の様にそれは彼女の心に直接話し掛ける。
「行かなきゃ…」
ナーナはタオを抱きしめていた手をそっと離した。
白いもやが彼女を包み込み、その体が浮かび上がる。
もやの中で少しずつ薄れていく彼女の姿を、タオは涙を流しながら見つめていた。
「忘れないよ!ナーナ!ずっと忘れない!ナーナ……。大好きだよ!僕は、ナーナが大好きだ!」
「私もよ、タオ!いつか必ず思い出すわ!あなたの笑った顔を、元気に走る姿を!いつか…きっと…。
ありがとう、タオ!ありがとう…!」
私もあなたが大好きよ
その声が彼に聞こえたかどうか、彼女にはもう分からなかった。
―――――――――――――――――――――
3
自分の部屋に私は転がっていた。
昨夜はかなり盛り上がって、いつどうやって帰って来たのか覚えがない。でもどうやら部屋には無事にたどり着けたようだ。誰か送ってくれたのかも知れない。
ハイボールをかなり飲んだ記憶があるけど、頭痛はない。良かった。
せっかくの休みを頭痛でベッドに拘束されるのは嫌だ。
彼女は家の階段を一階まで降りてきた。シャワーの音がする。
またお姉ちゃん朝帰りだ。私も人の事言えな
いけどそろそろ父さんがピリピリしてるのを
気づいているんだろうか。
キッチンでコップに冷たい水を注いで飲む。
「…タォ…!」
声が聞こえてビクッと反応した。
なぜそんなに驚いたのか分からない。
声のした方に行くと「ちょっとー!何でタオル無いの?!ナルミ持って来て!」
とお姉ちゃんがプンプンしている。
「もー入る前に確認しとけばいいじゃない。ハイ!」
わざとちょっと乱暴に投げてやった。
「サンキュ。あんた今日休み?」
嫌な予感がする。大抵こういう時は何か頼まれ事をされるんだ。
「そーだけど?」
「テーブルの上に手紙があるから出して来て」
ほーら来た。
「何でー。自分で行けばいいじゃん」
「あたしは今から寝るの!今日は夜勤なんだから。それに私じゃなくてお母さんが頼んでったやつだよ」
自分が頼まれたのに何であたしが。でも抵抗して成功した試しはない。
まあせっかく早起きしたし、たまには散歩がてらに行ってみるか。
「貸し、10ポイント」
脱衣所で何か言ってるお姉ちゃんを置いて私は家を出た。
朝が清々しいと思ったの、どれくらいぶりだ
ろう。
朝はだいたい不愉快な目覚ましで起こされるか、休みの日は昼近くまで寝ている。本当にたまには朝の散歩もいいかも知れない。
何故か青空がいつもより美しく見える。
風が吹いているのも別に珍しくない事なのに、その当たり前な世界がとても尊く思える。
まだアルコールが残ってるのかな?と彼女は自分の感情を分析した。早朝は空気が違うと言われるのもこういう事かも知れないと思った。
最寄りのボストに投函して役目を終えた彼女は、ふと塀越しに見える庭に目がいった。たくさんの花が咲いている。
その中の一本を見た時、胸がキュッと締め付けられるような感覚があった。
別段珍しくもないはずのそのあさがおは、日の光を待ちわびて大きな花びらを広げている。
朝に顔を出すから、あさがお。
子供の頃に教わった何でもないその現象が、彼女の心を揺さぶる。
なんであたし、泣いてるんだろう。
あさがおが元気いっぱいに咲く姿を見て、ナルミは何故か涙が止まらなくなった。
庭の持ち主であるこの家のお婆さんが立ち尽くす彼女に気づいて声を掛ける。
ヤバい。変な人と思われる。
彼女は慌ててその場を離れようとした。
お婆さんは優しい声で
「花がお好きなの?」と訊いてきた。
「あ…、いえ。別にそういう訳じゃ…」
そう言うとお婆さんがせっかく育てた花を否定している様な気がして、ナルミは
「あの、すごく素敵なお庭だなと思って」
と言葉を口にした。
「ふふっ。ありがとう。ここはおじいさんが生きてた頃に二人でせっせと育てた花畑でね。色んな花を植えたけど、おじいさん、あさがおが一番好きだった」
「あ…」
自分もそのあさがおに何故か惹かれたんだと彼女は打ち明けた。
「そう…。アサガオなんて、そんなに珍しくも無いし、おじいさんがどうしてこの花がお気に入りだったのか今では分からないんですけどね」
おばあさんは愛しそうに花を見つめながら言った。
「あさがおの花言葉は、愛情 、結束、 明日への希望、とか。色々あるんですよ」
その花言葉は、ナルミの心をまた揺るがし、そして再び涙を溢れさせた。
情緒不安定なんだろうか、あたし。
でも……。
「素敵な花言葉ですね」
彼女は涙を拭いながら素直に言った。
「わたしも、そう思うわ。あ、もし良かったら少し種をお分けしましょうか。ちょっと待ってて下さいね」
ナルミの返事を待たずにおばあさんは嬉しそうに玄関を上がって行ったが、ナルミに断る気持ちは無かった。むしろ見知らぬおばあさんの優しさと、話し掛けてくれた事が嬉しかった。
「はい。少しでごめんなさいね。でも全部育ったらきっと素敵だと思いますよ」
ありがとうございます、とナルミは丁寧にお礼を言った。
「またいつでもいらして下さいね、育て方とかも全部教えて差し上げますから。
素敵なあさがおが咲いてくれますように」
もらった種を大事に握って
(おばあさんの願いが叶いますように。私のこの子も元気に咲いてくれますように)
と彼女も同じように願った。
ー完ー
その花が咲くように
北前 憂
その花が咲くように 北前 憂 @yu-the-eye
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