悪しきものの源

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その巨木は見るだけで圧倒されそうな大きさだった。幹の太さもそうだが、何より洞窟の深部を埋め尽くすほどの葉と花が隙間なく生えている。

ナーナはこれから大樹に直接触れ、癒しと粛清の言葉を紡ぐという。これほど邪悪に育った巨大なものを相手に彼女は一人で立ち向かおうとしている。

彼女は「私が魂の全てを傾けている間、あなたに守護をお願い致します」とタオに向かって言った。タオはその意味をすぐ理解した。


大樹の根元、葉の陰、枝のそこかしこから何かがこちらを見ている。あれは、生き物じゃない。人々の心から生まれた、闇の部分だ。

邪魔者がきた、邪魔者を排除する、という思いが感じられる。彼女が自分の役目を無事果たせるように、僕は全身全霊をもってそれを守らなければならない。

「使命」を与えられた彼の赤い光は輝きを強くした。

「まかせて。ナーナは僕が護る」

緊張した顔に少しだけ笑みを浮かべた彼女は、真っ直ぐに大樹に向かう。

タオは唱える呪文もないので、目を閉じて彼女の加護を念じた。


悪しきものたちは赤い気配を畏れて近づけない。

ナーナはそっと大樹に触れる。

「うっ!」

強大な闇の力にナーナは顔をしかめる。

 苦痛と圧力が心の中を、魂を砕こうとしてい

 るのが分かる。

彼女は守護神の力と自分の魂を信じ、祈りの言葉を唱え始めた。

「アガタの神の名のもとに、

 我が魂をもってそのものたちに伝え申す。

 ナンサマ、ナンサマ

 ユンニュヤオナカコツ

 ユンニュキャークロテー

 グーラシューヒダルーハガユー 

 ドギャシコアビラッテ

 ヤオナカラッタチュ」

苦しそうな様子でナーナが唱える。タオは彼女に邪魔が入らぬ様、廻りの悪しきモノたちを抑え続ける。彼もまた、悪しきモノの叫び、誘いに心が揺らぎそうになる。自分の中に入り込もうとするそれらを食い止めながら、必死に彼女を護る。

大樹の根元で何か違う動きがあった。目を閉じていてもそれが次第に大きくなっていくのが分かる。悪しきモノたちは最後の抵抗の様に一塊になって襲おうとしているのだ。ナーナもタオもそれに気づいているが今集中を解けばあっという間に隙間に入り込まれる。


その時、入り口の方から大きな雄叫びが聞こえた。

「ゴオオォォーーン!!」

 

森の神獣、ガーダルグローが疾風の様な速さで巨大な悪しきモノに飛びかかる。

悪しきモノはサーベルの様な牙で噛まれ、また散り散りと元の大きさに戻った。

ガーダルグローは、塊まるならいつでも喰らいつくと言わんばかりにその攻撃的なオーラを放ち続ける。

守護神と神獣に守られながらナーナは懸命に己の魂を削り、大樹を諌めようとする。だが彼女もかなりの精神と体力を削られ、声の力が弱まって来ている。

「アッドンガコルカラ

 ワガデヨサンゴテスルゴツ

 ナンサマ ソギヤンスルゴツ  

 ユーテカスルケン」

「アッドンガコルカラ

 ワガデヨサンゴテスルゴツ

 ナンサマ ソギヤンスルゴツ  

 ユーテカスルケン」

彼女の声に重ねるように、もう一つの声が聞こえる。


タオの村のヴァサマだ。彼女は精神をこちらへ送り、透けた体でナーナと共に大樹を囲み、闇の力を鎮める言葉を唱える。二人の声は大樹に変化をもたらした。

「ナンサマ ナンサマ 神の意志なる大樹よ。その姿を在るべき色に戻し民の過ちを許し、民に再び自ら選び進む道を開かれ給え。アガタの神の名のもとに我らが魂をもって願い奉る。ナンサマ ナンサマ……」

二人の声は繰り返し繰り返し言葉を伝える。

 闇に染まった人の心よ

 あなた方がどれほど困窮に喘ぎ

 人を憎み、人を羨み

 無念の中で、変わり果てた姿となり

 大樹に取り込まれてしまったかを

 私達は知っています


 闇に誘われた人の心よ

 あなた方が満たされぬ欲にまみれ

 人を蹴落とし 人を蔑ろにし

 抗う事の出来ない傲慢に身を投じて

 なおも救われる事の無い悦びの陰に

 虚しさを抱えて苦悩する事を

 私達は赦(ゆる)します


 どうか今一度、我らに選ぶ事をお許し下さい

 同じ過ちを繰り返さぬよう

 真に救われるのは

 自他共に愛する事だと言う事を

 私達は先々に続く代へと

 必ず伝え紡いでいくことを

 ここにお約束いたします

 

  


闇の大樹は次第にその花の色を変えた。それは美しく輝く空の色。

そして花びらが一枚一枚剥がれ、

白い光となって昇っていく。

 

何千、何万もの白い光が全て飛び立って消えると、後には大樹の根の部分だけが残された。

そこには、青い花を咲かすことの出来る苗が、あまりにも脆く小さな姿で、それでもしっかりと美しく茎まで輝かせて生えている。


 

「タオよ」

先ほどよりも薄くなったヴァサマの姿が声を掛ける。

「はい」

タオはしっかりとヴァサマを見つめた。

「この青い芽は力なき赤子じゃ。民の心持ち一つで良くも悪しくも育つ。この苗が青いまま育ち、いずれこの大樹に青の花を満開に咲かせるよう、そなたたちが育んでいくのじゃ」

タオは力を込めて「はい」と頷いた。

「花が枯れても大樹の根は生きておる。再び闇に飲まれる時がもしもあらば、その根は大地を割り、今度こそ滅びの始まりが訪れるであろう。その様な事が無いよう、手を取り、助け合い、愛を持って人の心の花を育てるのじゃ」

黙って頷くタオに、ゆっくりと頷き返してヴァサマの姿は消えた。



ドサッと音がして、振り返るとナーナが倒れていた。

「ナーナ!!」

彼女は限界まで魂を使い果たしたため、息をするのがやっとの状態だった。

タオの守護の力は消えている。だが彼はナーナを担ぎ、洞窟の出口を目指して歩き始めた。

 (ナーナ、どうかしなないで。アガタの神様、

 どうかナーナを、連れてかないで)



 

           2


外の光に目が眩みそうだった。覆っていた雲はすっかり晴れ、美しい青空が大地を見守っている。

 この愛しく尊い世界を、これから僕達が守る 

 んだ。


光を浴びて、ナーナが目を覚ました。

「ナーナ!!良かった…!」

タオは思わず涙ぐんだ。

「…こんな所まで、タオが運んでくれたの…?ありがとう…。重かったでしょう」

「ぜーんぜん平気!ナーナは軽いもん!」

汗だくの少年を見てナーナは微笑んだ。

 

ナーナは本当に軽かった。人の体を抱えているとは思えない程に。

  人ではない者。

タオはナーナが遠い存在で、もっと遠くに行ってしまうような不安を感じた。決して離さぬよう、抱えている腕に力を込めた。


ガサガサと茂みが揺れた。タオは思わず身構える。

そこに姿を見せたのは、雨の中、主と離れて崖を転がり、それでも何とか生き抜いた王様の馬だった。

「生きていたのね!」

ナーナはタオの腕から飛び降りその汚れた馬に抱きついた。

「良かった…!」


崖を一番下まで転がり落ちた馬は、怪我を負いながらも何とか生きていた。

頭のいい馬は無理に崖を這い上がろうとせず、幸いにも谷に流れていた沢と付近に生い茂った草で命を繋いでいた。

そして長い時間をかけて元の場所まで登って来たのだった。


ナーナに抱きしめられて、馬の体力は次第に回復する。

彼は「乗れ」と言わんばかりに「ブルルルル」と背なかを長い顔で示した。

「乗せてくれるの?助かるよ!」

タオが手綱を持ち、ナーナがその腰にしっかりとしがみつく。それを確かめると王の馬は

「ヒヒヒーン!」と力強い雄叫びを上げて山を駆け下りて行った。



          3


二人を乗せた王の馬が町へ戻り、人々は彼女達の無事を心から喜んだ。

町の復興は少しずつ進み、宮殿は材料を採取する目的で取り壊されたが、王の部屋の窓辺の部分だけを改良して保存し「祈りの塔」として青い花が太陽の恵みを受けている。茎の部分も綺麗な青色に戻っていた。


まだ王様と名乗れていない衛兵長は、ナーナとタオに

「感謝の言葉だけでは言い表せない」

と二人の余りにも大きなはたらきに頭を下げた。

ナーナとタオは「使命を果たしただけです」

と、王になる彼と三人で手を握りあった。


森を抜け駆け付けていた行商人の男が、王の馬の手綱をひいてきたタオに感動し、自分の愛馬を譲ってくれた。

「俺ぁまたイチからこの町でやり直しだ。町の復興が進んでみんなが安心して暮らせるようになったら、今度はたくさんの人を喜ばせる配達屋にでもなるつもりだ」と語った。

 


村へ帰るタオに、衛兵長は

「君が成長して村を出る時が来たら、どうかこの町で私を助けて手伝って欲しい」と願った。タオは誇らしげに

「王の元で恥じない男になって必ず参ります」と応えた。

村へ戻っていくナーナとタオの馬を、町の人達はいつまでも見送っていた。

 



森の道は素晴らしく整地されていた。山賊達は木こりに名を変え、森の景観を損なわないよう、それでいて人々が安心して行き交えるような道を完成させていた。

「俺たちは今まで人の物を奪って生きてきたが、これからは自分達の力でたくさん与えられる様に生きていくんだ」

腕っぷしのいい男たちはみんないい顔をしていた。

 



タオの村は、未曾有の災害に見舞われたが大きな被害もなく、みんな無事で、二人の帰りを待っていた。

タオの父と母は彼を見るなり駆け寄って抱きしめた。

「…このヤロウ、立派になりやがって…!」

父はタオの表情からにじみ出る男前な姿を誇らしげに抱きしめた。

「だけど僕はまだ父さん母さんにもう少し甘えたい」

タオはそう本音を漏らして廻りのみんなを笑わせた。

「あんたの胃袋は母さんがうんと甘えさせるわよ」

母は愛しい息子を、もう一度力いっぱい抱きしめた。



二人はヴァサマの館に報告に向かう。

いつもの様に閉じられた幕をくぐる時、タオは少し不安だった。あんなに魂と精神力を削って、彼女は無事だろうか。

彼の心配をよそにヴァサマはいつも通り、でもこれまで見たことの無い笑顔で迎えてくれた。ただでさえどこにあるのか分からない小さな目を細めて、シワと同化して分からなくなる程だった。


「アガタの神の御魂に代わり、大きな使命を果たされ事。誠に大義で在り申した」

ヴァサマの言葉にナーナは静かに頭を下げた。


外でタオの母が「夕食よーっ」と彼を呼ぶ声が聞こえる。

「ナーナも後でおいでね!僕の胃袋を久しぶりに甘やかしてもらうご馳走が待ってるから!」

ナーナは「うん」と返事をして彼を見送った。


 

ヴァサマは椅子に座るよう勧め、自分もいつもの椅子に座った。初めて会った時と同じだ。

「そなたは役目を無事に終えられた。そなたの魂はアガタの神のご意思によりこの世界に転じて移され参られたが、大変な思いもさせてすまなんだ」

ナーナは目を閉じて首を振った。

ヴァサマは一呼吸おいて続ける。

「最初の言葉通り、そなたを元の世に還さねばならぬ。この地に身を置いて欲しいのはだれもが望む事じゃろうが、異界の互いの均衡が崩れるやも知れぬゆえ、お許し願いたい」

しばらく沈黙した後、ヴァサマの口調が少し変わった。

「わしもじゃ、ナーナ。わしもお前ががずっとおってくれたらどんなに嬉しいか。ひ孫の様に愛しい、わしの宝じゃ」

年老いた老婆の目から涙が滲んだ。

「おぉ…、涙なぞ。とうに枯れたと思うとったわい。こんなババが泣くのは見苦しいかの」

ナーナは席を立ち、ヴァサマを横からぎゅっと抱きしめた。

「優しい涙。ヴァサマの涙は、とっても綺麗な優しい涙」

ナーナも一緒に泣いた。

「私も本当は、ずっとここに居たい。みんなや、タオと一緒にここで暮らしたい。でも、もと居た場所がどんな所か分からないけど、私が居るべき所がそこにあるのなら、還らなければいけないと。みんなのためにも、もと居た世界のためにも、そうしなければいけないと。分かっています」

ヴァサマは優しくナーナを撫でた。

「おまえさんは本当にいい子じゃ。元の世界に戻っても、きっと幸せになれる様に、わしゃあ祈っとる」

ヴァサマはナーナの肩に手を置いて、小さな目を何とか開けてしっかりと伝える。

「もと居た世界に戻る時、ここでのお前さんの記憶は全て消える」

ナーナは目を見開いた。

「これは、アガタの神の御慈悲じゃ。

求めても行くことが出来ない場所、会うことの出来ない人々の事を覚えておるのは苦しみになる。それは救いようのない悲哀じゃ」


確かにそうかも知れない。元の世界に戻ったらもう二度とここへ来ることはない。むしろここに来るような事がまたあってはならないのだ。

そうして行くことの決して叶わない世界の、人々の事を覚えているというのは、苦しみでしか無いのかも知れない。

だが、記憶が全て消える。それは別の意味で苦しく寂しいものだった。

どちらがいいのか、自分では分からない。

 

「しかしここの者たちは、そなたの事を決して忘れはせぬ。民の心には、いつでもいつまでもそなたの姿がある。このババもそうじゃ」

泣き出しそうになるナーナを、ヴァサマはもう一度抱きしめた。

「辛いかも知れぬが、それはいっときの事じゃ。在るべき世界で幸せになるんじゃぞ」

うぅっ、とナーナは泣きたいのを堪えた。

ヴァサマは、いっそうしっかりと抱き寄せた。

「ありがとう。ほんにありがとう。ありがとうよ……。

さ。タオがご馳走を前にして待っておる。行っておあげ。いつもの優しい笑顔を見せておあげ」

 

ヴァサマに別れを告げ、ナーナはタオの待つ家に向かった。


綺麗な小川が流れている。彼女はその冷たく透き通る水で涙を洗い流した。



 

 

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